2009年11月 8日 (日)

三遊亭圓生 「八五郎出世」

 落語のファンというほどたくさんの演目を知っているわけでもなく、数を聞いているのでもないが、テレビやラジオでたまに聞くと面白い。学生のころは東京に住んでいたので、新宿の末広亭に何度か足を運んだこともある。東京の寄席は色ものよりも落語がメインで、幅を利かせていた。落語家では、生で聞いたことはなかったが、三遊亭圓生が好きである。

 最近は、CDやDVDを買わなくてもYouTubeで聞ける(見れる)のでありがたい。昨日は金馬の「藪入り」と圓生の「八五郎出世」を聞かせてもらった。金馬の落語は映像がモノクロだからかなり古い。この演目は有名で、人気も高いので高座にかかる機会が多く、私も若いころから知っている。奉公に出した息子を3年ぶりで迎える夫婦のやり取りや動作が面白くもあり、愛情にあふれており、思わず心にじんとくる話である。金馬は特に強情っぱりの父親をよく演じている。それがなおさらに涙をさそう。今では失われてしまった親子の情愛である。

 さて本題の「八五郎出世」だが、これも前に一度だけ聞いたことがある、しかし詳しい話の筋は忘れていた。殿様の妾に召された妹が世継ぎになる男子を出産したのをきっかけに、粗忽者の兄がお屋敷に招待される。そこで面白いやつだと見込まれてお屋敷の仕事を任されて出世するという話である。庶民と殿様との会話のギャップが面白いのだが、一番の聞かせどころは、酔っ払って兄が妹のことを心配しながらしんみりと話し出す場面である。身分の差を感じつつも、妹の行く末を案じる兄の情愛が巧妙に、濃厚に演じられる。圓生ならではの、人情の表現である。涙なしには聞けない話である。

 年をとると涙もろくなっていけない。

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2009年11月 3日 (火)

野村芳太郎 「張り込み」

 松本清張の短編小説を映画化した作品。1958年に、橋本忍の脚本で野村芳太郎がメガホンをとった。1958年といえば私が生れた年である。野村監督は1919年生まれ。加藤周一と同じ年に生まれている。亡くなったのは2005年で、加藤氏よりも3年早い。それでも85歳まで生きている。黒沢明の助監督を務め、監督として山田洋次を育てた。
 野村芳太郎と言えば、なんと言っても1974年の「砂の器」である。そしてそれに続くのは、1978年の「事件」と「鬼畜」だ。私はそれほどたくさん映画を観ている方ではないが、そのなかではいずれの作品も上位に位置づけられる秀作だと思う。

 さて、「張り込み」だが、ある女の主婦としての平凡な生活を追う場面がかなりの時間を占めるので、少々退屈してしまう。全体として地味な映画である。女は年長の銀行員の後妻に入り、先妻の子3人とともに平凡な生活を送っている。3年前に分かれた男が殺人事件を犯して、逃亡中にこの女に接触をする。それを張り込んでいたのが警視庁の刑事2人である。女は無表情で、感情がないかのごとく淡々と生活を送っていたが、昔の恋人に会うや否や大胆で感情豊かな女に変身する。このギャップに、この映画の唯一の面白さがあると言ってよいだろう。高峰秀子が好演している。ちなみに、刑事役は宮口精二と大木実である。
 興味深いのは、この映画から見てとれる(私が生れた年の)世の中の状況である。経済成長はまだ始まったばかりで、生活の様子は今と随分違う。東海道線の急行列車は蒸気機関車で運行している。道路には信号がない。舗装されている道もまだ少ない。舞台になっている佐賀市では、市内の川で子どもたちがまだ水浴びをしている。買い物は道端に並んだ露店でしている。一日の食費が80円。旅館の宿泊費は3食付きで650円である。これから考えると物価はおおよそ現在の10分の1程度だったと考えられる。風呂は石炭で沸かしている。当然ながら、列車にも家にも冷房はない。旅館にさえ扇風機がない。ストーリーは真夏に展開するので、とにかく暑そうである。汗だくの捜査とは、ああいうのを言うのだろう。そんななかにあっても、逃亡中の男と人妻となった女が再会する山中の温泉場には涼しい風が吹いているように感じられた。思い切って二人の生活に足を踏み出せなかった男と女の悲哀がそう感じさせたのかもしれない。

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2009年9月22日 (火)

キングオブコント2009に東京03

 3月29日のブログでお薦めした東京03が今年のキングオブコントのタイトルを獲得した。こういう賞には縁がなく、エントリーしていたことさえ驚きだったのに、優勝してしまうとは。しかし、もっとも実力があるのは彼らだという評価は私にもある。

 お薦めのネタは
① バンドの方向性
② サングラス
③ 本当は?
④ 空気を読みすぎる男
⑤ 熱血教師対熱血教師

 You Tubeで見てください。

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2009年9月21日 (月)

高度成長期を代表する歌3曲

 連休ということもあって時間があるのに任せて、歌謡曲シリーズで続けたい。特に昭和歌謡史の解説をするつもりもないので、あくまでも自分の好みに従い、好きな歌をピックアップすることにしたい。

 1 僕は泣いちっち 1959年 守屋浩歌
 2 ああ上野駅 1964年 井沢八郎歌
 3 東京の灯よいつまでも 1964年 新川二郎歌

 「僕は泣いちっち」が少し時代的には早いが、50年代の後半から高度成長期に入ったというのが通説になっており、その時期の代表曲として上げてもよいだろう。大衆の意識が東京へと流れ始めていることを物語っている。

  僕は泣いちっち

 僕の恋人 東京へ 行っちっち
 僕の気持を 知りながら
 なんで なんで なんで
 どうして どうして どうして
 東京がそんなに いいんだろう
 僕は泣いちっち 横向いて泣いちっち
 淋しい夜は いやだよ
 僕も行こう あの娘の住んでる 東京へ

 祭の太鼓が テンテケテンと 鳴っちっち
 みんな浮き浮き 踊るのに
 なんで なんで なんで
 どうして どうして どうして
 僕だけションボリ みそっかす
 涙がホロリ ひとりで出っちっち
 お祭なんか いやだよ
 僕は思う 遠い東京の ことばかり

 上りの急行が シュッシュラシュッと 行っちっち
 いやな噂を ふりまいて
 せめて せめて せめて
 遠い 遠い 東京の
 空に飛んでけ ちぎれ雲
 汽笛がなっちっち 遠くでなっちっち
 夜汽車の笛は いやだよ
 早く行こう あの娘の住んでる 東京へ

 続く2曲は、同じ1964年の作品。昭和39年といえば、東京オリンピックの年である。そこに向けて高速道路と新幹線の建設が急ピッチで進められ、成長のけん引力となった。もはや高度成長は誰の意識にも当たり前のこととして定着していた。しかし、その現実は夢みたいなものではなく、労働者に努力と忍耐を強いた。場合によっては早や挫折し、地方へ還流する動きも起こっていたのであろう。「東京の灯よいつまでも」は歌詞から十分に設定が読み取れない。単に東京でのデートを帰郷して思い出しているだけなのか、東京で働き、暮らし、女性とデートもしたが、事情があって故郷に帰らざるを得なくなり、少し悔やみながら思い出を語っているのか・・・。

  ああ上野駅  

 どこかに故郷の香りをのせて 
 入る列車のなつかしさ
 上野は俺らの心の駅だ 
 くじけちゃならない人生が
 あの日ここから始まった

(セリフ)
 『父ちゃん僕がいなくなったんで 
 母ちゃんの畑仕事も大変だろうなあ、
 今度の休みには必ずかえるから、 
 そのときは父ちゃんの肩も
 母ちゃんの肩も、もういやだって 
 いうまでたたいてやるぞ、
 それまで元気で待っていてくれよな』

 就職列車にゆられて着いた 
 遠いあの夜を思い出す
 上野は俺らの心の駅だ 
 配達帰りの自転車を
 とめて聞いてる国なまり

 ホームの時計を見つめていたら 
 母の笑顔になってきた
 上野は俺らの心の駅だ 
 お店の仕事は辛いけど
 胸にゃでっかい夢がある

  東京の灯よいつまでも

 雨の外苑 夜霧の日比谷
 今もこの目に やさしく浮かぶ
 君はどうして いるだろか
 あゝ東京の灯よ いつまでも

 すぐに忘れる 昨日もあろう
 あすを夢みる 昨日もあろう
 若い心の アルバムに
 あゝ東京の灯よ いつまでも

 花の唇 涙の笑顔
 淡い別れに ことさら泣けた
 いとし羽田の あのロビー
 あゝ東京の灯よ いつまでも

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懐かしのテレビドラマ 「冬の雲」

 オープニングの芦田伸介のナレーションをよく覚えている。とにかく、重々しい。リメイクした「白い巨塔」や「華麗なる一族」には昔の名残があるが、最近のドラマにはこういう感じはない。また、それに続く主題歌もすごい。重苦しいと言った方がよい。

  愛とは 春の日の花のように
  美しく、香り高きものであろうか
  愛とは 夏の日の太陽のように
  誇り高く、きらめくものであろうか
  愛とは、秋の日の落葉の下に泣く虫のように
  せつないものであろうか
  愛とは 冬の日の、その青空の

 ナレーションとは対照的にドラマの筋の方はほとんど覚えていなかった。You Tubeでその一部を見ることができるが、思い出せる場面はなかった。私が小学校6年から中学1年にかけての時期、すなわち38年もまえの作品であり、中学に入ると全くと言っていいほどテレビを見なくなったので、記憶が途切れてしまったのだと思う。ただ、大谷直子が出ていることは覚えていた。足の悪い女性を演じていたので印象に残ったようだ。彼女以外の出演者にも名だたる名優が顔をそろえている。二谷英明、久我美子、市原悦子、田村正和、近藤正臣などである。木下恵介の脚本でTBSが本格的に取り組んだドラマで、力の入れようが分かる。
 当時のドラマがすべてこういう路線であったのではなく、同じ木下恵介でも「おやじ太鼓」のようなコミカルな味を出しているものもあった。ちなみに、おやじ太鼓は私の父が好んで見ており、世間でもこちらの方が、冬の雲以上に人気があった。
 さて、今のドラマを見ていると、昔とはずいぶん変わってきたという印象を持つ。以前は、家族とは何か、男と女の愛とは何か(ドラマ途中のナレーションに「愛の本質」という言葉が出ていた。)罪とはなにかなどを、どこまで本気かどうかは別にして、扱った作品があった。今見られるドラマは、そういった重厚なテーマは避けて、若者の生活感に合わせて非常に淡白に作っているように見える。状況によっては生まれてしまう、人間の醜悪さや暴力性、人間同士の感情の行き違いなどを、ことさら強調して表現するのがドラマであり、芝居だった。ところが、今は取ってつけたような演技よりも自然にさらっと流す方が好まれるのだろう。多少悪役っぽい役柄もあるけれど、素はいい人なのである。それはそれでいいのだけれども、人間は環境の動物であって、場合によっては悪いことをしたり、意地悪なことを言ったり、最後に裏切ったりすることがあるのだということを、たとえドラマのなかにあっても表現しておくことが必要だ。社会が発展し、近代化したように見え、人間同士お互いに尊重し合えるようになったかに見えるが、不況のあおりで職を失ったり、収入が減ったりして人間が変わってしまいつつあるのも現実なのだ。人間の性質をよく知っておけば、情勢に流されず、持ちこたえることもできる。いざというときに免疫を持たない人間が増えているのは、病気だけではなく、精神の方にもあるようだ。

 

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北島三郎 女シリーズの名曲

 北島三郎には数多くのヒット曲があるが、私が好きなのは「女(ひと)シリーズ」と言われる、星野哲郎作詞・島津伸男作曲の一連の作品である。北島には「なみだ船」や「風雪ながれ旅」のような男っぽい、威勢のいい歌が多く、それはそれで彼の持ち味が出ていて素晴らしいが、私は「女シリーズ」の情感あふれる歌声がその対極にあって面白く、好きである。
 なかでも、「函館の女(1965年)」 「博多の女(1967年)」 「加賀の女(1969年)」をベスト3としてあげたい。どれも女を地方まで追っていく、悲恋の物語である。シリーズものとして同じパターンの設定にしている。このうち「博多の女」は、他と違ってスローなテンポで、しんみり聞かせる歌である。こういう歌に共感するのは、やはり男ならではのもので、勝手に思い込んで追いかけて行ってしまう身勝手さがあるのかもしれない。とは言っても、女の方も、まんざらでもない素振りを見せているわけで、今でいうストーカーではない。

 概して、演歌になるのは女にしても男にしても捨てられた方であって、前面に「恨み」が出てしまうと流行歌としては聞きにくいところがあるから、内面に隠しつつも、やっぱり恨んでいるという微妙な表現にしているのだと思う。

 博多の女   星野哲郎作詞、島津伸男作曲

ひとの妻とも知らないで
おれは来たんだ博多の町へ
逢わなきゃよかった 逢わないで
夢に出てくる初恋の
君をしっかりだいていたかった

夜の那珂川肩よせて
ゆけばしくしく泣くさざ波よ
ゆるしてください ゆるしてと
わびる姿が いじらしく
おれはなんにも言えなかったのさ

それじゃゆくぜと 背を向けて
夜の中州に逃げてはみたが
まぶたをあわせりゃ浮かぶのさ
俺はやっぱり あの頃の
君をさがして 明日に生きるのさ 

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2009年9月12日 (土)

さよならさざんか 藤田絵美子

 必殺仕事人Ⅴの主題歌である。必殺シリーズのなかでも、西崎みどりの旅愁と並んで、もっとも秀逸の一曲であろう。歌っているのは藤田まことの娘さんである藤田絵美子だ。

 未完成の魅力というのはこういうことなのか。まだ幼さの残る歌声に哀愁が漂う。痛々しいほど傷つきやすく、清廉な少女のイメージと仕事人の、悪を討つという大義と引き換えに命を奪わなければならない寒々とした心情が共振して、われわれの胸に迫るのである。

 討たれる悪は、今の社会にもある悪である。大衆は悪の存在を知っている。しかし自分で手を下すことはできない。フィクションの世界で自分の化身である仕事人に思いを託すのである。

http://www.youtube.com/watch?v=ME0gKQVvA34&feature=PlayList&p=A8BE81CEDC490A5A&playnext=1&playnext_from=PL&index=16

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浜圭介 天才作曲家

 浜圭介という作曲家の作る曲には独創性があって、それまで耳にしたことがないメロディーを聴かせてくれた。ヒットした曲も多数あり、特に70年代から80年代初めにかけてが絶頂期であった。

 それまでも日本の歌謡界には偉大な作曲家がいた。古賀政男がいたし、遠藤実がいたし、船村徹がいた。歌謡史に残る名作を数多く生み出し、戦後復興と高度成長を推進してきた国民大衆の精神的な支えになった。
  これに続いて70年代に入って頭角を現したのが浜圭介であった。ジャンルとしては演歌から歌謡曲まで幅広いが、演歌にしてもモダンな曲調が多く、いわゆるド演歌はない。最初期のヒット曲には「終着駅」があり、これを歌った奥村チヨを奥さんにしてしまった。

 次に、私の好きな5曲をあげてみたい。
1 折鶴(1972年、千葉紘子)
2 そして、神戸(1972年、内山田洋とクール・ファイブ)
3 街の灯り(1973 堺正章)
4 舟唄(1979年 八代亜紀)
5 哀しみ本線日本海(1981年 森昌子)

 私は楽譜の読めない音楽音痴なので専門的なことは分からないが、全体に抑揚に富んでおり、特にさびの盛り上げ方がうまい。非常にオリジナリティーのある曲調なので、すぐに記憶に焼き付いてしまう。昨今の演歌をはじめとする流行歌にはどこかで聞いたような旋律が目立ち、興味をひかないが、これとは対照的である。ちなみに、私はどの歌もカラオケで歌えるが、特に「街の灯り」は好んで歌う一曲である。

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2009年9月 5日 (土)

嫁入り舟 抒情派演歌の最高傑作 

 抒情派演歌というジャンルが成り立つならば、その最高傑作は野路由紀子が歌った「嫁入り舟」であろう。1973年にヒットした、吉田旺作詞、鈴木淳作曲の作品である。
 歌詞と曲が絶妙にマッチして、どうにもならない悲しさを表現している。特に、「今日の最終でこの街出たいけど、老いた母一人残して行かれない」という一節は、好きな人と彼と一緒になった人との生活を近くで見ながら生きることの苦痛を予想しながらも、逃げることのできない境遇を痛々しく歌っている。また、「一度だけ彼にあげた唇かみ締めて」というフレーズは、いろいろな解釈が可能であろうが、女の怨念を感じさせるものである。この女性はこのまま引き下がることはないだろう。復讐するにしても泣き寝入りするにしても、幸せにはなれないだろうから、最後は女の意地の問題である。抒情的なメロディーには乗せているが、一回だけ唇を軽々しく奪っていった男への恨み節なのかもしれない。ちなみに、「一度だけ」は「たった一度」に変えたほうが効果的である。

『嫁入り舟』
傘に絡みつく柳をよけながら
雨の掘割を嫁入り舟が行く
彼の元へ嫁ぐ人を私はずぶ濡れて
見つめているほほの涙ぬぐいもせずに
今日の最終でこの街出たいけど
老いた母一人残して行かれない

濡れた白壁をかすめて飛ぶツバメ
アヤメ咲く中を嫁入り舟が行く
彼の手紙細く裂いて水面に浮かべてる
悲しみなど誰も知らず小船に手を振る
今日の最終でこの街出たいけど
老いた母一人残して行かれない

一度だけ彼にあげた唇かみ締めて
雨の中にかすんでゆく幸せ見送る
今日の最終でこの街出たいけど
老いた母一人残して行かれない

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2009年8月 9日 (日)

悪い奴ほどよく眠る

 1960年制作の黒澤作品である。DVDを購入し、今日鑑賞した。「七人の侍」より6年あとで、「天国と地獄」より3年前の映画だ。土地開発公団と建設会社とが関わる贈収賄事件の首謀者たちに対して、かつて汚職事件のもみ消しを図るために自ら命を絶ち犠牲となった官吏の息子が復讐劇を演ずる。息子役の主演が三船敏郎である。

 汚職事件では、首謀者である組織の上層部には捜査の手が及ばず、中間の官吏が追及され、果ては口封じのために自殺を強要されるという終末がある。これは小説や映画だけの話ではなく、実際にも起こっていることである。犠牲者の陰で、枕を高くして眠っている巨悪の存在を摘発するのが狙いのように思われるが、黒澤の作品を見る場合にはそんな理屈は要らないのかもしれぬ。一級の娯楽作品は変な理屈抜きに楽しめばいいのだ。

 七人の侍は、私なりに組織論としての解釈を試みた作品だ。どうやって人を動かし、敵に勝利するか、ヒントになる要素を探しながら見たのである。それはそれで意味があり、面白かったが、ひとつの娯楽作品のなかにそういう厳格な要素を探求するのは無理がある。そういう要素はあるのだけれども、それを訴えるのが映画の目的ではない。だいたい、そんなに理屈っぽかったらヒット作品にはならないだろう。経験的に分かっている要素を散りばめて、あくまで映画を面白くするためのネタとして使っていると考えた方が自然である。

 黒澤映画は、理屈抜きに面白い。先ほど上げた作品の他に、「生きる」「赤ひげ」「野良犬」「用心棒」「酔いどれ天使」を見ているが、いずれも甲乙つけがたい。比較的上映時間の長いものが多いが、退屈するカットはなくてあっという間に結末を迎える。上等な小説も同じだが、時間の経過を忘れさせてくれるのが良い作品の特長である。

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2009年8月 2日 (日)

ジャズの思い出

  学生時代に一度だけ高田馬場にある「イントロ」というジャズ喫茶に行ったことがある。今は理化学研究所に勤務するA君に連れられて行った。ジャズ喫茶というのは、どこでもビルの地下にあるらしい。ここではコルトレーンの曲を中心に流していて、A君はコルトレーンはいいよと言っていた。ジャズ喫茶は、その名のとおりジャズを聴くためのお店なので、会話はご法度で、ただじっとして聴くばかりであった。したがって、ジャズに特別興味のない人間にとってははなはだ退屈な時間であった。

 ジャズと言えば、同じ仲間内でS君も趣味にしていた。S君はいくつかの大学でフランス語の講師を務めながらフランスの現代思想を研究しているらしい。キース・ジャレットのケルンコンサートのレコードを教えてくれたのは彼だった。とにかく、良いから聴けというのである。確かに良かった。特に、酔っ払って帰って聴くと、かき回したコーヒーにミルクを流し込むように脳の中にピアノの音が溶け込んでいく感覚がした。

 同郷のY君と初めて顔を合したのは新宿の「びざーる」だったろうか。店の様子は全然記憶にないが、それからY君とのつきあいが始まった。彼は文学青年で、新宮出身の中上健次をよく読んでいた。気を遣わなくていいのがよいところで、よく彼のアパートへ押しかけたものだ。インスタントラーメンを作って食べ、残った汁にご飯を入れて雑炊にして食べた。そういう食事は後にも先にも、彼のところでしか味わったことがない。そんな心優しき青年も、数年前に御堂筋線構内で脳溢血で倒れ、一ヶ月間意識が戻らぬ状態だった。しかし奇跡的に意識が回復し、現在もリハビリ中である。

 家内と交際中に、ジャズピアニストのチック・コリアのコンサートを聞きに行った。お客はごくまばらで、演奏者もソロだから彼一人で、よく言えばすごくリラックスしたコンサートだった。家内とはまだ公然とした交際ではなかったので、バスもひとつ手前の停留所で降りるなどして人目につかないように行動していた。会うだけでドキドキするような、まだ新鮮な時期だった。

 数日前に、YouTubeでキース・ジャレットを聞いた。音は昔のままだが、同じようには聞こえない。こちらが変わってしまったからだ。音楽であれ、文学であれ、他のものであれ、それを受け止めた人間に何らかの影響を与える。影響を受け、成長する部分がある。成長しているから、同じように聞こえないのである。

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2009年7月20日 (月)

サラー・チャンのツィゴイネルワイゼン

 クラシック音楽には疎い方だが、いいものは人の心を動かすと見えて、YouTubeでたまたま耳にすることになったサラー・チャンというバイオリニストの演奏に感動した。ツィゴイネルワイゼンは元々好きな曲なので、その要素も影響しているのだろうが、彼女の弾き方が素晴らしい。素人の勝手な思い込みかもしれないが、女性とは思えぬ力強さがあると同時に、その音色に奥深さがあるように感じた。こういう時は砂の中に宝石を発見したような気持がして、詳しい人から見たらいまさら何をと思うだろうが、素人の楽しみとはこういうものである。

 同じように、森昌子の「22才の別れ」を見つけたし、もう一つ付け加えると三浦洸一の「城ケ島の雨」を発見した。歴史のある名曲だけに藤山一郎を筆頭にたくさんの人が歌っているが、その艶のある声といい、躍動感のある節回しといい、抜群である。ちなみに、天才美空ひばりも歌っているが、残念ながらこの歌はあの人には無理である。この格調高き曲は清潔な人でなければ歌えないのである。美空は、上手いし、その事には疑問を差し挟む余地はないが、堅気には分からぬ世界と通じていたのだから、その点での制約は免れないのである。

 http://www.youtube.com/watch?v=_W_H2BEJbt0&feature=related

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2009年7月 5日 (日)

22才の別れ 森昌子について

 伊勢正三の作詞作曲で、1975年に“風”が歌ってヒットした「22才の別れ」。私が高校生の時に流行った歌で、キャンプの時に皆で歌った覚えがある。詞も曲もナイーブな感じがして、ちょうど多感な年代にはたまらない歌だった。

 最近、休日の夜はYouTubeでナツメロを聞くのが楽しみになっている。今日は、懐かしの「22才の別れ」をかぐや姫で聞き、“風”で聞き、松山千春で聞き、村下孝蔵で聞いた。それぞれに特長があり、面白いのだが、やはりヒットした“風”の歌声がいいように思った。これは若いころの記憶が残っていて、歌声に乗って様々な情景が蘇るからなのだろう。

 ところで、ここからが本題なのだが、そのあと、森昌子の「22才の別れ」を聴いてしまった。そう、聴いてしまったのである。私にとってはまさに衝撃的であった。もともと森昌子の歌唱力には定評があり、私もそれは認めていたが、この歌をこれだけ繊細に歌えることが信じられなかったのである。この抒情性は、さだまさしのコスモスにつながるものである。“風”もいい味を出しているが、それはフォーク世代の感性であり、演歌を歌ってきた森はそれ以前の感性を表現してしまう結果になってしまったのだ。

 そういうわけで、すっかり森の歌に感動した私は、続いて「越冬つばめ」を聞いた。これは円広志が作った曲として有名であるが、社員旅行のカラオケ大会で私が歌い、優秀賞として1万円いただいた曲なので思い出深い。この曲も、森はとても上手に歌っている。元の詞もよいのであるが、彼女の歌声に乗ってしまうと、あまりに切ないのである。森昌子は決して美人ではないが、こんな歌を聞かされていると、うんといい女に見えてくる。実際いい女に違いはなかろうが、やっぱり女は怖い。女は化けるのであるから。

 これを読まれた方は是非YouTubeで森昌子の「22才の別れ」を聴いていただきたい。ただし、20代の森昌子でなければならない。

 http://www.youtube.com/watch?v=ZvzmdTB-O1g&feature=related

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2009年6月22日 (月)

柔道一直線

 小学生低学年のころ、テレビで桜木健一主演の「柔道一直線」を毎週楽しみに見ていた。柔道とはいうものの、まともな柔道ではなく、マンガをドラマ化した奇想天外な内容であった。最近はCGを駆使して、人間が空を飛んだり、恐竜が出てきたりと面白いけれどもリアリティーに欠けた映像を作り出しているが、昔の方が発想は面白かった。

 まじめに考えたらおかしな内容がたくさんあった。覆面の柔道家が現れたり、ピアノを足で弾く選手(近藤正臣だった)がいたりした。桜木扮する一条なおやの二段投げはあり得ない技で、一旦投げた相手に追い付いて更に腕を掴んで投げる技だったと記憶している。理屈としてあり得ない気がする。また師匠の鬼車の地獄車という技は明らかに反則技ではないか。

 まじめに考えるとそうなるのだが、そういうことを考え出してドラマにしてしまうところが面白い。見ている方も、もはや柔道だとは思っていない。別の世界を見ているのである。この系統では他に、バレーボールを題材にした「サインはV」があった。思い起こせばよき時代であった。

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2009年6月13日 (土)

べッツィ&クリス 白い色は恋人の色

 北山修作詞、加藤和彦作曲で1970年に大ヒットした曲である。その時、私は小学校5年生から6年生にかけての時期で、よく歌謡番組で耳にしたので鮮明に記憶している。歌ったのはベッツィ&クリスという金髪の少女二人組であった。

 この曲のヒットは企画の勝利と言えるだろう。今でさえ、ジェロが注目を浴びるぐらいだから当時としては、西洋人が日本語で歌うことは非常に珍しいことだったのである。しかも高度成長で少しくたびれかけた日本人に対し、郷愁を誘う歌詞が魅力的であり、二人の澄んだ歌声はその詞によくマッチした。おそらく、日本人が歌っていたらこれだけのヒット曲にはなっていないだろう。生活感のない清らかさが、却って日本人の胸を打つことになったのだと思う。

 確か、ずいぶん時間が経過してから、おばさんになってしまったベッツィとクリスがテレビに出ていた。できるならば、そういう姿は見たくない。青春の思い出は、古いままの思い出にして残しておきたい。そういえば、太ったおばさんになった朱里エイコが踊りながら歌っている姿をなつメロ番組で見たことがあったが、あれば痛々しかった。他の出演者も高齢で、声も出ないし、昔の映像を流して懐かしむ企画に変更してほしいと思ったものだ。同じように、野球のマスターズリーグも選手を見て懐かしむことには意味があるが、プレーそのものは見られるものではない。

 また白い色は恋人の色を聞きながら寝ることにしよう。この歌がこれだけ記憶に残る歌になった理由を探しながら。

 

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2009年5月30日 (土)

越路吹雪のこと

 越路吹雪は好きな歌手の一人である。日本人の趣味は雑食性であり、世界のあらゆる文化を取り入れようとする。シャンソンもまたそのなかの一つであり、好む人が多い。おそらく、ジャズよりは少ないが、ハワイアンやカンツォーネよりは多いのではないか。とはいえ、私などは日本のシャンソン歌手といえば越路吹雪しか知らないし、本場でもイヴ・モンタン、シャルル・アズナブール、ジルベール・ベコーぐらいしか知らない。でも、なぜかシャンソンは好きなのである。

 越路さんは胃がんでなくなったが、もとから丈夫でなかったようで、一日の公演が終わると疲労でぐったりして動けなかったという。それだけ全力投球だったのだ。シャンソンと言えば、物憂げな歌い方が特徴と思いがちで、そういう歌もあるけれどもすべてではない。越路さんの「ろくでなし」は迫力がある。生命力を感じさせる歌い方で、聴いているものを元気にさせてくれる。1980年に56歳で亡くなったが、あんなに舞台映えのする歌手はそれ以降見ることができない。残念ながら、80年と言えば私がまだ24歳の時で、越路さんの良さが十分に分かる年齢ではなかった。それでも、たまにテレビで見ると惹かれるものを感じていた。今になってDVDなどで在りし日の姿を見、歌声を聞くにつけ、生の舞台を見たかったと思うのである。

 最後にベストスリーを上げて終わりたい。1位「ろくでなし」 2位「サン・トワ・マミー」 3位「愛の賛歌」

  追記:「愛の賛歌」は当たり前過ぎて3位にしたが、あらためてDVDを見たら素晴らしかった。ピアノの伴奏もよくて、うまい下手は分からないが、越路の伴奏ができる喜びを感じながら弾いているのではないかと、そういう感じを抱かせる音色だった。

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2009年5月24日 (日)

映画DVD鑑賞 「飛べ!フェニックス」

 23日の夕方、梅田へ買い物に出かけた。新型インフルエンザの影響でいつもの土曜に比べ明らかに人出は少なかった。マスクをしている人は一割から二割程度で、まばらという表現があたっている。用心深い人は外出を控えていて、気にしない人が繁華街に集まるからそういう割合になるのだろうと思った。平日の通勤時はもっと多くの割合になるだろう。

 ロフトで文房具を買った後、ヨドバシカメラでDVDソフトを購入した。買うのは専ら古い洋画である。廉価版が出ていて、買いやすい。新作だと4~5千円するし、邦画は古くても高い。黒澤映画や松本清張原作の映画は面白いが、やはり高価なので余裕のある時にしか手を出せない。

 今回は、20世紀フォックス社の①「飛べ!フェニックス」②「トラ・トラ・トラ!」ワーナーブラザーズ社の③「カッコーの巣の上で」の3本。①はテレビで見たことがあり、②は会社の同僚から借りて見たことがある。③はアカデミー賞受賞の名作だが、見たことがない作品である。

 さっそく、①の「飛べ!フェニックス」を見た。双発の輸送機がサハラ砂漠を飛行中に砂嵐に遭遇し、不時着する。救援を待つが、コースを外れているので望み薄である。歩いて脱出しようと試みるものが現れるが、数百キロの道のりを踏破することは不可能に近い。飲料水は10日分しかない。不凍液を蒸留しても4日分増えるだけである。一人二人と犠牲者が出始め、焦りがただよう。そんななか、ドイツ人の技師が、機体の一部を利用して単発の飛行機を組み立て脱出する案を提示する。救援を待つ時間に機体を調査して、理論的に可能であることを確かめ、設計図も書いていたのだった。最初は皆半信半疑だったが、他に道はないと覚悟して協力し始める。時折不協和音を発しながらも思いをぶつけあって最後はまとまって機体を完成させた。そして体力も気力を限界に迫ったところで飛行に成功し、17日ぶりに人が生活する場所にたどり着くことができたのである。

 印象に残った点を3点上げてみよう。まず、遭難者の一人である医者の言葉。希望を持つことによって、長く生き延びることができる。実際に思い通りの結果が得られるとは限らないが、そのことだけでもやってみる価値があると言った。非常に合理的な考えであると思う。ただじっと待っているだけでは衰弱死に至る時間を浪費するだけである。目標を持つことにより、気力が生まれ、集団に規律が生まれる。これは、遭難ものに必ず出てくる、生き延びるための鉄則である。危機的な状況で誇張されているが、通常の社会にあっても、組織が生き残っていくための欠かせない要素である。次に機長と技師との関係。機長は年長者であり、経験が豊富で、機長という立場からもリーダー的存在であることは間違いない。遭難したのは自分の責任という意識が強く、あれこれ指示を出している。それが時に技師との確執を生む。機体の組み立てにおいては技師の方が専門であり、機長も譲らなければならない。最後にそのことが分かる。置かれた状況によって、最善の選択は何かを考え、過去の成功事例や立場も捨て去る勇気が必要である。三つ目は、クライマックスの場面。ドイツ人は技師とはいっても、模型飛行機の設計を仕事にしていることが分かる。本人は隠していたのではないが、周りは本物の飛行機を作ってきたと思いこんでいる。それで、この計画は成功するはずがないと落胆してしまうのだが、それに対する技師の言葉が説得力を持っていた。すなわち、模型飛行機も飛ぶ原理は同じである。だから偽物であるというのは間違いである。「本物」は操縦士がいるので操作ができるが、模型飛行機は自分で飛ぶのだからなお難しい、というのだ。最後の部分は私には分からないが、確かに模型飛行機の設計も同じ理屈で考えるに違いない。エンジンの出力に対してどれだけの大きさの翼が必要になるかなどの計算は同じ根拠でなされるのであろう。科学に頼らざるをえない場合には、非合理な思い込みは排し、科学的な知見を優先すべきということだろう。

 

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2009年5月23日 (土)

港町ブルース

 1969年、第11回日本レコード大賞は森進一が受賞するはずであった。しかし、ダークホースの佐良直美にさらわれてしまった。あの時の森の涙を忘れることができない。

 港町ブルースはその年最大のヒット曲であった。レコード売り上げ枚数でもオリコンの実績でも佐良の「いいじゃないの幸せならば」を大きく引き離しており、誰もが受賞を信じて疑わなかった。それが一転して、最優秀歌唱賞に森の名前が呼ばれ、彼は驚きと失望の表情に顔をこわばらせた。後に「襟裳岬」で大賞を受賞し、ある意味名誉を回復するのだが、それによっても決して取り戻すことのできない心の傷が生まれたと私は勝手に思っている。森にとってはそのタイミングでどうしても手に入れたい賞だったと推測するのである。

 では、なぜ選ばれなかったか。業界が決める賞であり、そこにどれだけの公平性が求められるのか難しいところではあるが、ファンあっての音楽業界であり、消費者の期待を裏切るような判断を下してはならない。しかし、実際には業界内での一般人には知ることのできない力関係に左右されたのではないだろうか。また、一歩引いて、客観的に不利な点があったとすれば、レコードのリリースが佐良の方が後であり印象が強かったこと。「港町ブルース」のようなご当地ソングに対する評価が定まっていなかったことが上げられると思う。

 「背伸びしてみる海峡を 今日も汽笛が遠ざかる・・・」無抵抗に受け入れている歌詞であるが、そこには特殊な状況がある。なぜ背伸びをしているのか。海峡に目をやっているのだから視線はかなり遠くを見つめているはずだ。それなのになぜ背伸びを。「今日も」ということは、何日もそこに立ち続けているということなのか。「汽笛が遠ざかる」ということは・・・。船の速度は決して速くはない。遠ざかるまで、かなり長い時間が経過しているはずだ。そう考えていくと、これはただ事実を描写しているのではなく、何かを象徴的に表しているのだということが分かる。海峡を隔ててある陸地は未来なのだ。そこには、今は手に入らない幸福がある。だから、背伸びをしてまでも視野に入れたいと願うのだ。来る日も来る日もそこに立ってしまうのだ。不幸ではあるが、決して不幸に甘んじたくはない、そんな大衆の感情を表現したのが演歌ではないだろうか。「生きていくのが辛い日は、おまえと酒があればいい」と小さな幸せに逃げ込むのも人生の知恵ではあるが、私達は大きな希望を捨てて生きることができない。

 

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2009年5月 1日 (金)

戦争映画について

 特別好きだというのではないが、時々DVDで戦争映画を観る。大抵が娯楽映画で、善玉と悪玉とに分かれ、観衆は善玉側について満足するのである。よく悪玉にされるのは、ドイツ軍やソ連である。背景として歴史的事実もあるのは確かだが、欧米の図式は非常にはっきりしている。007シリーズ(戦争映画じゃないが)ではソ連の描き方は非常に固定化している。映画が仮想敵国のイメージ作りに貢献していることがよく分かる。

 娯楽映画とは別に、記録映画として実際の戦争の映像もある。太平洋戦争の映像もDVDで観ることができる。ほとんどがアメリカの従軍メディアによる撮影だ。米軍の火炎放射機で黒こげになった日本の兵隊の映像は悲惨極まりないが、音がないために、死体というよりは物体に見えてくる。人間の想像力はいろいろな要素の影響を受け、正常に働かない場合も多いということだ。

 善玉の兵士が殺されると、その死が大きくクローズアップされる。重たい死として描かれる。それに対して敵の兵士は犬畜生が殺される程度の軽さである。一般の兵士は戦争にあたって徴集された普通の市民である。何の罪もないだろう。軍の命令で動いているだけである。敵も味方も命の重さに違いはない。ブルース・リーにバッタバッタとなぎ倒されるハンの手下も、それぞれ事情があってそういうポジションに就いたのだ。彼らにも言い分はあるだろう。そこまで想像力を働かせることは、逆に愚かなことなのだろうか。

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2009年3月29日 (日)

東京03

 テレビはあまり見ないが、見るならお笑い番組かスポーツ中継である。最近おバカキャラのタレントを押し出したクイズ番組が大流行りだが、好きではない。アタック25のような真面目なクイズ番組は自分の知識量を計るうえでも参考になる。

 お笑い番組も多い。若手芸人はギャラが安いので、製作費が抑えられて利益が上がるのだそうだ。「レッドカーペット」「エンタの神様」を子どもと一緒に見ることが多い。ピン芸人から5人組までいて、芸風もまちまちである。レッドカーペットはひと組の持ち時間が短いので、じっくり見せたい芸人にとっては難しい。逆に、経験が短く、話術が未熟な芸人でも、ネタとキャラで受けることが可能だ。だから一瞬注目されるが、すぐに消えていく芸人(もどき)もいる。エンタは人によって持ち時間が異なる。アンジャッシュやタカアンドトシなどは5~6分のコントを演じる。逆に素人に毛の生えたような人が出てきて、1分で終わる場合もある。この番組を作っている読売テレビのプロデューサーであるMさんから聞いたのだが、面白いタレントを発掘するのが仕事で、ヒロシは彼が見つけてきたそうだ。短い期間だったが爆発的に売れて、月収が4万円から500万円に跳ね上がったそうだ。今は何をしているのだろうか。

 私が今好きなのは、東京03というトリオである。30代半ばの男性3人組で、芸歴は皆十数年ある。NHKの爆笑オンエアバトル育ちで、メンバーは別の2組のコンビとトリオのメンバーだったが解消して2003年に今の形になっている。ネタはたくさん持っていて、You Tubuで見ることができるが、私のベスト3を上げると、①サングラス ②バンドの方向性 ③熱血教師対熱血教師となる。設定は、友人同士、職場の仲間同士、上司と部下など日常どこでも見られるシチュエーションで、見方・考え方のズレや本音と建前とのギャップを、誇張して面白く見せている。日常では表面化しない行き違いや葛藤を表に出すことでお笑いにつなげていて、非常に巧妙だと感じる部分もあるが、少し生々しく感じられることもある。

 

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2008年12月 6日 (土)

遠藤実氏逝く

 演歌界の大御所である遠藤実さんが亡くなった。子供の頃から馴染んできた作詞家、作曲家が一人一人消えていきます。今年は阿久悠さんが亡くなりました。有力どころでまだ存命なのは、船村徹さんと市川昭介さんです。

 遠藤実さんは貧乏話が有名でした。町を歩いていて紙片を見つけ、紙幣だと思って人目を気にしながら拾い、逃げるようにして帰って確かめたところ、ただの紙くずだと分かり泣き崩れたとのことです。あまりに貧乏であるがゆえにそういう行動をとってしまったので、情けないことであるが、やはり貧乏を恨んだとの話でした。それから記憶にあるのは、新潟で夜の雪道を歩いている途中で、余りの寒さに耐えかねて小便を手にかけたという話です。

 遠藤さんには本当に数え切れないほどのヒット曲があります。私が知っている曲を挙げると、「北国の春」「星影のワルツ」「せんせい」などです。いずれもゆっくりしたテンポの歌で、心に沁みるメロディーですね。特に、「星影のワルツ」は若き日の千昌夫の歌唱が新鮮で記憶にも新しく、時々口ずさむことがあります。こういう歌が作れるのは、たとえ貧乏であっても常に未来に希望を持ち続けたからに違いありません。お悔やみ申し上げます。

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2008年11月 3日 (月)

映画鑑賞 容疑者Xの献身

 子供が見たいというので、東野圭吾原作の「容疑者Xの献身」を梅田の映画館まで見に行ってきた。最近は便利なもので、インターネットで席を押さえられるから上映開始時間に合わせて出かければよいのである。

 観客は若い人たちが多く、女性の割合が高い。東野圭吾の読者に女性が多いということも考えられるが、一番の理由は福山雅治人気であろう。さて、内容であるが、ほぼ原作に近い脚本で撮られていた。福山演じる主人公湯川と堤真一演じる容疑者の石神が雪山に登るシーンがあったが、これは原作にはなかった。しかし、湯川と石神の関係をより鮮明にさせる効果があって成功しているのではないかと思う。この映画、主演は湯川を演じている福山であるが、上映が終わった後で、近くの女子高校生(もしくは中学生)が話していたように、石神を演じている堤真一がストーリーの中心に位置していて、存在感で福山を圧倒していたと思う。原作の頭が薄く、丸顔の男性とはイメージが違ったが、石神の孤独を非常にうまく演じていて、素晴らしい。いろいろ評価があるだろうが、一見の価値ありである。

 最後に、石神が愛する隣人を救うためにホームレスの男性を殺害する。そのことが、愛の証のように表現されているが、殺された男性の命は、人生はなんだったのだろうか。そんなに軽いものではなかろうに。

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2008年10月11日 (土)

緒形拳

 俳優の緒形拳が亡くなった。数少ない本物の役者が消えてしまったという思いがある。経歴を調べたら、高校を卒業したあと、1958年すなわち私が生まれた年に新国劇に入団している。その後1965年にNHKの大河ドラマ太閤記に秀吉役として抜擢されて売れっ子になった。ドラマのことはうっすらであるが、記憶に残っている。秀吉が信長の草履を温める場面はこのとき初めて見たのである。

 緒形はテレビドラマにも数え切れないほど出演しているが、私は映画俳優としての緒形の印象が強烈である。たくさん見ているわけではないが、「砂の器」「鬼畜」「復讐するは我にあり」「楢山節考」と見てきて、どれも役どころを押さえた際立った名演であったと思う。特に、「鬼畜」の気弱な町工場の経営者と「復讐するは我にあり」の根っから悪の殺人犯とは全く対照的な役であるが、見事に演じきっている。私には、後者の方が演技の切れ味鋭く、はまり役だと思われるのである。

 善人はある意味、だれでもそこそこの演技ができるだろう。しかし本物の悪人は、本物の役者でなければ演じきれない。悪人と言っても、善悪を対立させる単純なドラマ、たとえば水戸黄門の悪代官などを指しているのではない。人間は皆、自分は善人だと思って生きている。しかし、現実には悪いことをしてしまっている。世の中がそうさせている場合もあるし、その人の特殊な性に由来する場合もある。普通の人は、それがある範囲に収まっており、目立ちもしないのだが、一線を越え、雪だるまのように膨れ上がっている人がいる。それは必ずしも犯罪者だということではない。合法的な巨悪もある。いずれにしてもそういう普通からかけ離れた人間を演ずることは難しい。役者は、自分が悪人である必要は毛頭ないが、心のなかに悪を飼っていなければならない。悪の魔性といつも対話している人間でなければならないのだ。

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2008年9月23日 (火)

1968年の流行歌 その二

 ①「ブルー・ライト・ヨコハマ」(いしだあゆみ) 軽快なメロディーにのって大ヒットした。皆がそう思っているように、いしだは歌が上手くない。曲がよかったということだろう。作曲者を調べたら筒美京平だった。うなずけるところですね。いしだはその後女優になり活躍している。歌で名を売り、女優という職を得た。

 ②「恋のしずく」(伊東ゆかり) 三人娘のひとり。本人いわく男っぽい性格だそうな。この歌、平尾昌晃の作曲。続々とヒットを出していたことが分かる。音楽の素人からすると、こういう今までにないメロディーがよく次々と出てくるもんだと感心する。

 ③「愛のさざなみ」(島倉千代子) 島倉のヒット曲の中では、それほど目立つ曲ではないか。初期の「からたち日記」や晩年と言っては失礼だが、「人生いろいろ」などが代表曲として思い浮かぶ。彼女、借金を作ってしばらく苦労した。その時にバックについていたのが、細木数子である。興行でかせぎ、借金を返済させたが、それ以上に細木が大金を稼いだらしい。うまい金蔓を掴んだというわけだ。

 ④「霧にむせぶ夜」(黒木憲) ヒット曲はこの1曲だけ。歌も上手くない。曲に恵まれたということだろう。これは鈴木淳の作曲だが、ヒットメーカーに曲がもらえるかどうかで歌手の運命が決まると言ってもよい。歌がうまくても売れない歌手はたくさんいる。

 ⑤「三百六十五歩のマーチ」(水前寺清子) 星野哲郎の作詞。人生の応援歌である。熊本県出身で、公園の名から芸名を付けた。彼女の苦労時代は五木寛之のエッセイに紹介されている。歌手として熱狂なファンがいる一方で、TBSドラマの「ありがとう」などで女優もいっぱしのものだった。その後司会にも挑戦したりで頑張っていたが、最近顔をみていない。

 ⑥「悲しくてやりきれない」(ザ・フォーク・クルセダーズ) 京都から出た三人組で、それぞれ個性があって才能豊かなグループだった。何といっても「帰ってきた酔っ払い」はよく流行り、一世を風靡した。この曲は、詩がサトウハチローで、単なる作詞家ではなく、芸術家である。加藤和彦の曲もうまくマッチしている。

 ⑦「あなたのブルース」(矢吹健) 非常に印象に残っている歌である。その理由は曲調にもあると思うが、激しい詩の内容によるのではないか。詩をあらためて見てみたら、一番の詩が大変良い。ところが二番は平凡だ。こういう歌は結構ある。最初があまりにはまりすぎると後を続けるのが大変なのだ。

 ⑧「釧路の夜」(美川憲一) 「柳ヶ瀬ブルース」で大ヒットを出した後の歌である。宇佐英雄とのコンビでまたまたヒットした。美形の青年として人気をさらったが、そのうちにおかま風おじさんになってしまった。けっこう面白がられて人気が出たが、これも、ものまねタレントのコロッケのおかげだといえよう。

 ⑨「受験生ブルース」(高石友也) 今は「高石ともや」という表記にしている。この曲はよく売れたが、本人は売れるとは思わなかったようだ。テレビ局のスタジオに連れて行かれて流行歌手といっしょに歌わされた時の話をじかに聞いたことがある。それまでに手にしたことのないギャラをもらったそうだ。しかし、それは一時の話で、以来フォーク歌手として地道に活動している。いや、歌手としてよりもアイアンマンレースのアスリートとして名が売れている。元気で愉快なおじさんである。

 

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2008年9月21日 (日)

1968年の流行歌 その一

 1968年は私が10歳の時。この時期は歌番組が多く、私が歌好きだったこともあり、よく記憶に残っている。

①「恋の季節」(ピンキーとキラーズ) よく売れた。子供を含め若い世代に人気があった。ピンキーこと今陽子の歌唱にはパンチがあって若い魅力があったが、私はいまだに上手いとは思わない。彼らをメインにしたドラマ仕立ての番組も作られ、結構見ていたのであるが、面白かったという印象はない。とにかくピンキーだけが前に出て、キラーズは目立たなかった。

②「天使の誘惑」(黛ジュン) 作曲家三木たかしの妹である。歌は上手かった。この曲のほか「夕月」も大ヒットした。ミニスカートを売りにしたが、あまり美人ではないので歌以外にアピールするものがなかったのだろう。その後、ヒットがなくなりテレビの世界からは消えていったが、その後もジャズを中心に歌の活動を続けていたように思う。大橋巨泉のラジオ番組に出て、日本は本当に歌の上手い人が売れない世界なので残念だねえ、と言って慰められていた。

③「好きになった人」(都はるみ) 市川昭介と組んで数々のヒットを世に出し、一時代を築いた。しばらくヒット曲が途絶えたが、「北の宿から」で復活した。普通のおばさんに戻りたいと言って芸能界から引退したが、歌を捨てきれずに復帰したようだ。(このあたりの事情は詳しく知らない。)彼女は京都生まれであるが、父親は朝鮮の出身者で、そのこともあってか中上健次と仲良くしていた。新宮にも何度か足を運び、死期を間近にした中上を見舞っていたらしい。

④「愛の園」(布施明) 「霧の摩周湖」でデビューして以来、その歌唱力を武器にして安定して活躍している。これも数あるヒット曲のひとつである。ちなみに「霧の摩周湖」は平尾昌晃の最も初期の作品だったと記憶していて、若いことからいい曲を書いていたのである。布施の一番のヒットと言えば「シクラメンのかほり」だろう。今なお親しまれている名曲である。布施は、オリビア・ハッセーと結婚し男の子を一人もうけている。どういう縁か知らないが、ずいぶん羨ましがられた。その後離婚している。

⑤「小さなスナック」(パープル・シャドウズ) 強い印象はない。地味なグループの地味な歌である。ある意味、この時代だからこそ受けた歌であり、その前でもその後でも支持されなかったのではないか。

⑥「花の首飾り」(ザ・タイガース) グループサウンズ全盛の時代にあって最も人気のあったグループである。この曲はメインのボーカルが加橋かつみで、かれの高音がよく映えた歌だった。とはいえ、人気者は沢田研二で、タイガースファンの大半が彼のファンではなかったか。沢田はソロになってからも大ヒットを連発した。グループサウンズ出身者は、音楽の世界に残り、活躍した人が少なくないが、シンガーとして華々しく活躍したのは沢田ぐらいではないか。ショーケンは早々と俳優の道に入った。

⑦「長い髪の少女」(ザ・ゴールデンカップス) グループサウンズのなかでは最も好きな曲の一つである。あの低い、湿った旋律がたまらなくよい。詩のなかみは、大した意味もないように思うのだが。

⑧「亜麻色の髪の乙女」(ザ・ヴィレッジシンガーズ) ご存じ、島谷ひとみがリバイバルヒットさせた曲である。ゆったりした平和なメロディーである。こういう歌もあっていいのだと思う。

⑨「年上の女」(森進一) 独特の声で人気を博した森進一。鹿児島の出身で、ハングリー精神があり、彼の稼ぎで実家の生活を支え、弟を医学部に通わせ医者にした話は有名である。猪俣公章の弟子になって才能を開花させ、「花と蝶」「女のため息」など続々とヒットさせた。五木ひろしと比べられることが多かったが、彼には淡谷のり子という応援団がいた。大原麗子と結婚して、世の男性に嫉妬されたが間もなく離婚。続いて森昌子といっしょになったが、これも離婚。「おふくろさん」の歌詞を勝手にアレンジしたことで川内康範を激怒させ、歌うことを禁止された。晩年は上手くいかなかった。

⑩「伊勢佐木町ブルース」(青江三奈) 独特のハスキーボイスだった。歌は上手かったと思う。ヒット曲が途絶えてからもしばらくは紅白の常連だったから歌を聞く機会はあった。知名度はあるし、歌も聞けるし、特定のファンもありそうだから、地方公演やキャバレー回りで稼げたのではないかと推測するが、事実はどうか知らない。

⑪「今は幸せかい」(佐川満男) ヒット曲はこれだけのようだ。歌はうまいとは思わなかった。同じ年にヒット曲「恋のしずく」を出した伊東ゆかりと結婚したが、これも離婚。数年前にテレビで、二人で歌っているのを見た。

⑫「グッド・ナイト・ベイビー」(ザ・キングトーンズ) 独特の歌声と雰囲気を持つグループである。その後テレビにはあまり出なくなったが、なつかしのメロディーなどで往年と変わらぬ声を聞かせてくれたので,地道に活動していたと見える。

⑬「ゆうべの秘密」(小川知子) この曲は特別特徴はなく、歌手にも特徴はなかったから、歌謡曲の歴史においては特別の意味はなさそうだ。しばらくしてテレビの世界から消えていったが、非常にきれいな人だった。その後「幸福の科学」に入ったと聞いた。時期は忘れたが、谷村新司とデュエットして話題になった。今どうなっているかは知らない。

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2008年1月 5日 (土)

紅白のとり

 紅白のおおとりは五木ひろしであった。歌は「契り」。阿久悠の作詞であるが、聴いていて阿久の作品のなかでも最悪の歌であると思った。内容は浪漫主義であって日常の感覚から遠く離れたものである。「人の心は鴎のように真っ白だろうか」という文句があるが、真っ白な心など実際はない。いろいろな感情や欲望や意思が入り混じったどろどろした心があるだけである。「真っ白」という言葉で表現したいのは、純粋ということであろうが、そんな観念的に作り上げた心境は、ごく一部の倒錯した人間にしか定着しないものだろう。もしもそんな感覚が国民に広く及んだならば、そこはファシズムの世界である。同じ阿久作品でも、石川さゆりが歌った「津軽海峡冬景色」はよい。リアリティーがある。

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2008年1月 4日 (金)

紅白歌合戦

 昔のように最初から最後まで通しで見ることはなくなったが、昨年の紅白は途中数回と最終盤を見た。そのなかには素晴らしい歌唱が含まれており感動した。そんな中で、最後は赤が勝ったか白が勝ったかという投票にはいるわけだが、なぜこんなことにまで勝ち負けをつけなければならないのか大いに疑問をもった。歌の良さを陳腐化させるだけなのだ。もちろん、見ている人はそんなことはどうでもよく、どっちが勝ったのかを話題にする人は皆無に近いであろうし、覚えている人もほとんどいないのであるが。

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2007年9月30日 (日)

赤ひげ

 先週は「七人の侍」だったが、今日は同じく黒沢の「赤ひげ」を観た。これまた面白い映画で3時間という時間を感じさせなかった。いろいろ考えさせられる場面やせりふがあったが、こういう映画では「善」とは何かという問題が出てくる。赤ひげが言うように貧困と無知の問題があって、そこで医療に何ができるかとか、偽善でない「善」とは何かということを考えさせられるが、簡単に答えはでない。映画なのでほどほどのところでほっとする結果が出るのであるが、現実にはいい話はあっても、根本的な解決にはならない。どうなろうとも一人一人がどう生きるかという問題は残されたままなのである。

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2007年9月24日 (月)

七人の侍

 黒沢の「七人の侍」をレンタルDVDで観た。久しぶりに観たので、筋も忘れており新鮮に観られた。3時間半という時間を感じさない面白く展開のあるストーリーであった。

 今回は、この戦の話を通じて戦いの方法、人心の掴み方など経営に役立つ内容を切り出すことができた。そういう眼で見るスタンスが出来上がってきたということであろう。

 何点か参考になった点あるいはセリフをあげておこう

①守るのは攻めるより難しい

②もう大丈夫と思っているときが一番危ない時でな

③ひとつ隙を作る。そこに敵を集めて攻める。

④子供にも仕事はできる。大人扱いをすればの話だが。

⑤戦のときは高く翻るものがほしい(旗・・・理念、スローガン)

⑥戦で走れなくなった時は死ぬ時だ

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2007年6月14日 (木)

藤山寛美のこと

 子供の頃、テレビでよく松竹新喜劇を見た。父が好きでよく見ていたので一緒に見たわけである。藤山は喜劇王と言われるほどの役者であった。声は舞台でよく通る質ではなかったが、せりふや表情の作り方が上手かったように思う。芝居の専門でないから分からないが。また長い間ほぼ同じメンバーで芝居を作っていたので、互いに息が合っていたことも藤山のよさを引き出していたのだろう。にわか作りの芝居とは違うところである。

 新喜劇でおどろいたのは、お客様お好みリクエストであった。何十と言う演目のなかからその場でリクエストをもらい、今からなにを演じるか決めるのである。従ってセットはすべて揃っており、演者はせりふをすべて覚えていなければならないのである。しかし、いとも簡単にやってのけた。記憶に残る演目は「愚兄愚弟」「人生双六」である。

 

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2007年5月 7日 (月)

芸風

 芸人には芸風というものがある。私の好きな芸風は徹底的に「ナンセンス」な話芸である。ネタは馬鹿馬鹿しいが、話術は長けている芸人である。名前を挙げると、ケーシー高峰、ポール牧、南州太郎などである。

 私が子供のときからテレビに出ていたから皆相当な芸暦であるが、長い時間をかけて作り上げた話芸は大したものである。ケーシー高峰は一度病気をしたが、復帰して現役を続けている。ポール牧は坊さんになってしまった。南州太郎はごくまれであるが、笑点などで見かけることがある。

 いつまでたっても下手な芸人もいるが(例えば高松しげおの漫談)年季のはいった芸は参考になる面が多い。

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2007年4月27日 (金)

淡谷のり子のこと

 淡谷のり子は一本筋の通った歌手だった。戦争を生きた人だからであろう。戦時中は慰問で兵隊たちのところを多く訪れている。若い兵隊が慰問の後に戦場に旅立ち死んでいったことを何度か話していた。

 淡谷はブルースの女王といわれ、決して戦時に受ける歌手ではなかった。しかし哀愁に満ちた歌声は、軍歌よりも戦時歌謡よりも返って兵士の心を打ったのではないだろうか。死への恐怖、家族との別れ、それらを避けられない絶望感。そういったものがブルースの曲調と共鳴したのではないか。

 淡谷は歌の心を大事にした。森進一を評価し、五木ひろしは技巧的だといって評価しなかった。この意見には肯んじがたいものがあるが、淡谷らしい見方であると思う。

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2007年4月26日 (木)

美輪明宏のこと

 美輪明宏が好きだというと変わっていると思われるのだろうか。彼は見た目と違って考えかたがまともであり、気品のある人だと思う。

 少し人と違っているからという理由で白眼視されることもあったろう。国賊と呼ばれたこともあったらしい。右翼からは嫌われるタイプである。しかし、よいとまけの唄で分かるように働く庶民の心が分かる人である。海外でも歌うことが多く、フランスで歌うと聴衆が涙を流しながら彼の歌を聴くらしい。いいもの、確かなものは感動を生むのである。

 かあちゃんの働くとこを見た

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2007年4月13日 (金)

月光仮面

 「どこの誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っている。」テレビドラマ、月光仮面の主題歌である。子供のころよく見た番組であるが、再放送を何度も見ていたのだと思う。この主題歌は最近話題になった川内康範の作詞である。川内といえばたくさんのヒット曲を世に送った作詞家であるが、私の印象に一番残っているのは、水原弘が歌った「君こそわが命」である。

 月光仮面に戻ろう。当時は頼もしい英雄に見えたが、時代の流れであろう今ではなんとも弱弱しいヒーローに思える。大してスピードも出ないスクーターに乗り、しまらないタイツ姿でピストルも至近距離でなければ命中しないようなしろものだった。しかし考えてみれば敵もまた大した強敵ではなく、同時代においてバランスは取れていたのである。非常に人間的で、優しいヒーローであった。

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2007年4月10日 (火)

美空ひばりのすごさ

 改めて言うことではないかもしれないが、美空ひばりはすごい歌手だと思う。歌のうまさは絶品であった。安定感抜群、音程が狂う心配など微塵もなかった。これは病のなかで歌っているときも変わらなかった。声は太いが、同時に繊細さを持っていて、曲に対する柔軟性があって、しかも技巧的ではなかった。自然に上手かったということができる。

 美空ひばりはプロであった。プロ根性はすさまじいものであった。楽屋で点滴を打つような状況であっても舞台ではしゃきっと屹立し、普通に歌ってのけた。すごい人だと思うと同時に、道を究めた人間の計り知れない強さに感服する。

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2007年4月 6日 (金)

高度成長期の演歌

 高度成長期の典型的な演歌は井沢八郎が歌った「ああ上野駅」だろうか。中央志向、上昇志向が表れている。この時期は敗戦の後に目標を失った日本人が、経済的な成長を共通の価値観として労働に精を出した時期である。経済ナショナリズムの時代と言ってよいだろう。いろいろな矛盾を生み出した時期でもあったが、皆同じ方向を向いていたという意味では輪郭のはっきりした時代であったと思う。

 元に戻ろう。「くじけちゃならない人生は、あの日ここから始まった」というくだりはジンと来るものがある。そういうからには、人生とは楽なものではないということが皆の思いであったのである。私に「あの日」はあるだろうか。谷川雁に「原点が存在する」という著作があるが、私の原点は何なのか。祖母が私に伝えた「偉くなれよ」という言葉だったのかもしれない。

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2007年4月 5日 (木)

いい役者

 いい役者はたくさんいるが、最近の人はあまり知らない。いい役者だなあと思うのはテレビドラマではなく映画を観たときである。テレビでは物理的な意味で演技に迫力を欠くからであろう。

 「飢餓海峡」の三国連太郎、「鬼畜」と「復讐するは我にあり」の緒方拳、「生きる」の志村喬が素晴らしい。特に、緒方は先ほど挙げた二本の映画でまったく違う人物像を演じ分けた。

 その他、脇役では加藤嘉、井川比佐志、石橋蓮司、蟹江敬三を挙げておきたい。

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2007年3月18日 (日)

映像と音響の効果

 テレビドラマや映画における音響の効果は大きい。安っぽい芝居でも泣かせることができる。私はテレビはほとんど観ないが、食事の時に少しばかり視野に入ってくる。どうも漫画から飛び出してきたような役者が多く、脚本も単純なものが多そうだ。本当に安っぽいのだ。それをたくさんの人が喜んでみているのだから恐ろしい。泣かせる場面も巧妙に(これは作る上では必要な仕掛けであろうが、泣かせるだけが目的のあまりに単純で恣意的なものだとどうかと思う)仕掛けられていて、その罠に簡単に引っかかってしまうようだ。

 映画も同様であるが、映画館という独特の閉ざされた空間ではより効果を発揮する。いい映画においては仕掛けに引っかかっても気持ちがいいものだ。いい映画の定義は難しいが、今まで見て記憶に残っているものを何本か挙げておこう。

 「復讐するは我にあり」「鬼畜」「飢餓海峡」「砂の器」「生きる」「泥の河」「遠雷」

 「鉄道員」「自転車泥棒」

  

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