カテゴリー「思想・哲学・科学・モラル」の188件の記事

2017年4月 2日 (日)

凡夫の自覚

 人間、みな、ちょぼちょぼだ。こういう思想が私にはある。
 
 努力している人間は、いちおう評価はするけれども、その努力の目標が他の人の利益を損なうようなものでは感心できない。名をあげ、財を成したとしても、もともとはその人の欲求に発することである。成功して自分が偉いと思い、鼻高々に振舞っては普通の人以下である。謙虚に振舞っていればまだ敬意を示すこともできる。
 自分は、そもそもが平凡な人間であること。多くの煩悩をかかえた人間であることを覚る必要がある。それで、世の中の問題が解決されるわけではない。しかし、自己主張を抑えて、相手の言うことを聴いてみようと思うことは、民主的な解決への糸口にはなるだろう。
 少なくとも、個人の問題としてとらえた場合、救済の根拠にはなるように思う。

2016年9月22日 (木)

「民度」という言葉、そしてそれを使う人

 「民度」という言葉をたまに耳にする。

 
 1 間違った使い方
  この言葉は、一定の数をもった集団に対して使うものである。しかしながら、「民度が低い人」というふうに、個人にむかって使っている場合がある。これは間違いである。例えば、「大阪市民の民度」という使い方が正しい。

 
 2.使う人の傾向
  これは私の見解であるが、この言葉を使う人は、概して「大衆蔑視」の傾向がある。石原慎太郎がそのよい例であろう。表現として、必ず「民度が低い」という言い方になる。


 

2016年7月10日 (日)

石川啄木の言葉(中野重治の評論より)

 
 抜き書きです。
 即ち我々の理想は最早『善』や『美』に対する空想である訳はない。一切の空想を峻拒(しゅんきょ)して、其処に残る唯一の真実 ―『必要』! これ実に我々が未来に向かって求むべき一切である。我々は今最も厳密に、大胆に、自由に『今日』を研究して、其処に我々自身にとっての『明日』の必要性を発見しなければならぬ。必要は最も確実なる理想である。
 二十代の若者が、現実の社会状況および周囲にあふれる諸思想と葛藤していた。そして、時代閉塞という状況を分析し、改革・改善することなしに理想に向かうことができないことを悟っている。 
 どれだけ彼が「分析」能力を有していたか、不勉強で知らないけれども、貧困と病のために、その手段を得ることは大層困難であったことは想像できる。そのために気持ちばかりが先走ってしまったのではないかと思う。
 志があり才覚のある若者は大事にしたい。過去には、戦場や監獄で多くの才能を失くしてきたではないか。経済界だけではなく、文学や社会運動の分野でも、才能の芽を発見し、伸ばすことに注意を注ごうではないか。

2016年7月 9日 (土)

国に「美しい」という言葉を充てる人たち

 美しい日本を取り戻そうと言っている人たちを見て、彼らを美しいと思いますか。
 「美しい」とは、美しい風景、美しい絵、美しい女性、美しい友情等々、自然や、人間や、文化に対する形容ではないでしょうか。
 美しい国家など、望みもしないし、ありえもしない。そういうものは、特殊な思想的立場の人が抱く、妄想、幻想の類であると思います。
 望むのは、ささやかな幸福や安心のために、日々働き、生きる人々を守ってくれる国家でないでしょうか。この責任と機能を持った国家は、「美しい」ではなく、「頼れる」国家です。
 今の国家は、先ほど上げた美しいものを破壊し続けているのではないか。私は、これをとても、「醜い」ことだと思っているのです。

2014年8月22日 (金)

NHKスペシャル 狂気の戦場ペリリュー

 太平洋戦争の記録映像はDVDで販売されているのでいくらかは見ていますが、このペリリューの戦いは凄まじいですね。生き残った元日本兵の方が「瓶のなかにサソリを2匹入れて喧嘩させるようなものだ」と表現されていましたが上手い表現です。

 他にも凄惨な戦いはあるでしょうが、ベトナムの密林でのアメリカとベトコンの戦いも恐怖に満ちたものだったのでしょう。アメリカが暴力的な社会になったのはこの経験があるからなのではないでしょうか。テネシーワルツが流行っていたころはもっと穏やかな国だったろうと想像します。戦の経験は政治経済だけではなく、人間の精神にも大きな影響を与えます。

http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/0813/

2014年4月29日 (火)

恐ろしや「月刊WILL」

 梅田の紀伊国屋に行くと、雑誌のコーナーに月刊WILLが十数冊の山で6山も置かれていた。世界、中央公論、諸君などが数冊ずつなのとは対照的である。WILLが売れているとしても、そこまで極端な差はないと思うのだが、これはいかなる理由か。

 憶測するに、本屋が積極的に売りたがっているか、出版元の強いセールス活動があるからか。何かしらの意図が働いているに違いない。安倍政権による政策の右傾化と関係があるのではないかと思えて仕方がない。

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2014年3月20日 (木)

「差別的表現」について はだしのゲン回収

 差別用語を目に見えないところに追いやることはよろしくないですね。文学などで表現上必要な場合があります。これをきれいな言葉に置き換えてしまったら言いたいことが伝わらなくなります。

 少し古い時代の小説を読むと、「差別的な用語があるが、作者に差別的な意図はなく、歴史的制約もあるので原文のまま記載する」との但し書きがあります。たとえば、松本清張の小説にも見られます。確かに差別的な意図はないでしょう。しかし差別意識が全くないとは言い切れません。

 歴史的制約は進歩的と見られる文学者や知識人の中にもありえます。作品の評価において、私たちはそういうこともひっくるめて受け止めるべきでしょう。

市長が要請 はだしのゲン回収

2014年3月20日(木) 8時46分掲載

Photo

差別的表現とされた例=「はだしのゲン」(汐文社)から(朝日新聞デジタル)

「はだしのゲン」回収 泉佐野の市立小中の図書室

 戦争や原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」を大阪府泉佐野市教委が1月、市立小中学校の図書室から回収し、子どもたちが今月19日まで読めない状態になっていたことがわかった。作品に「差別的表現が多い」として問題視した千代松大耕(ひろやす)市長(40)の要請を受け、中藤辰洋教育長が指示したという。(朝日新聞デジタル)

2014年1月16日 (木)

怨念を残すな

 韓国で最も有名な日本人は、豊臣秀吉と伊藤博文だそうだ。侵略された恨みは民族の記憶として千年も受け継がれる。恨みを残すような行為、行動は避けなければならない。それを解消することは極めて困難である。

 アメリカ人は、パールハーバーを忘れないだろう。あの奇襲は、映画のセリフにもあったが、眠れる巨人を目覚めさせたのである。奇襲から入らざるを得なかったのは、短期決戦でしか勝機のない日本の国力を表していたのだ。そもそも開戦すべきではなかった。

 日本人にも恨みはある。沖縄であり、広島であり、長崎であった。アメリカは原爆を投下すべきではなかった。われわれは、それを決して許したくはない。しかし、このような恨み恨まれる関係を、単に忘れるというような消極的は方法でなく、解消する方法はないのだろうか。

 民族にこだわりつつ、民族を超えたところに普遍的な価値を見出したい。

2013年12月21日 (土)

「死」「破滅」「戦」 美化してはならないもの

 絶対に美化してはならないもの

 「死」であり、「破滅」であり、「戦(いくさ)」である。

 こういうものを美化する文学がある。あるいは歌がある。

 そういう文学や歌に傾く精神があることを知っているが、意識的に拒絶しなければならない。

 この傾きは、個人にとっても、国家にとっても危険なものである。

2013年12月14日 (土)

正気と狂気は共存する

 正気と狂気は共存する。

 同じ社会において当然であるが、同一の人格においてさえ、共存する。少なくとも併存はする。

 互いの存在に気づかず在るのであれば、それは一つの精神が分裂状態にあると言えるだろう。他方で、互いに気づきながら、けん制し合いながら在ることも可能である。

 正気は狂気を敬遠するだろう。狂気は正気を見ぬふりをするだろう。正気は狂気を敬遠しながらも、常に視界に置こうとするだろう。

 正気は狂気の暴走を、なんとか押しとどめている。よって、外から見ると、皆「まとも」そうに生きている。しかし、実体は見ることができない。

 分裂はたやすいが、併存は苦しい。とはいえ、健全な精神は取り戻すことができないだろう。意識が生まれて以来、その苦悩も始まった。そして近代に深化した。「人間的」苦悩を超越した、調和的世界は在りうるのだろうか。

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