2009年10月18日 (日)

総合的に考える

 民主党政権がスタートして、改めて自民党政権下で進められてきた行政、特に国土開発への見直しが行われている。具体的には、ダムや高速道路の建設、港湾や空港の整備などである。反省点は、グランドデザインなしに、とにかく地方の要求に応じて(地方選出の議員がそれを代弁するのであるが)作り続けてきたというところにある。一つひとつの施策が、全体の計画の中でどのように位置づけられているかという観点は、国政のみならず、仕事や生活の次元でも大切なものである。

 仕事でもお世話になっている、村井哲之氏がその著書である「ハイヒールと宝石が温暖化をもたらす」で、温暖化対策の考え方について述べられている。割りばしの使用をやめてマイ箸を使おうとか繰り返し使える箸を外食で使う運動が進められているが、これをどう考えるか。一時、割りばしは大量消費の代表的事例として取り上げられ、すっかり悪玉にされてしまった。しかし、これが森林の伐採を加速し、二酸化炭素の吸収を阻害することで温暖化を促進することになるのだろうか。村井氏は、この問題を一面的にとらえるのではなく、総合的なビジョンに位置付けるべきだと主張する。すなわち、日本の山林はよく知られているように、一所懸命に植林を進めてきた割には手入れが行き届かず、間伐が行われていない。山林の荒廃は、二酸化炭素の吸収能力を弱めてしまう。これを全国的に解決するためには、間伐材を割りばしに利用する動きを政府が後押しする。消費が起これば、供給するために間伐材の確保や設備の増設が進む。生産・流通・消費のサイクルが生れるのである。
 このように、総合的な政策としてビジョンを打ち立てる必要がある。これは一例であるが、木を見て森を見ずの例は、ここかしこに見られるのである。

 

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2009年9月23日 (水)

グリーンコンシューマー

 鳩山首相が、温暖化ガスの25%削減(1990年比)を打ち出し、環境への取り組みが一層加速化されそうな情勢である。これに対しては積極的に支持する意見もあれば、現実的ではないとする意見もあって、受け止めは一様ではない。とはいえ、環境問題が今後の政治経済のキーになる課題であることに疑問を差しはさむ余地はない。

 企業におけるエネルギー使用量の削減努力は継続的に続けられている。私の勤務する会社でも、生産高は増えてもエネルギーの消費量は減少させる方針で取り組んでおり、今のところ計画どおりに進んでいる。各社、環境報告書を作成し、環境への配慮を企業の社会的責任として認識してそれを実践する姿をアピールしている。今後ますます要求が厳しくなり、どういう方針を掲げて実効性のある施策を推進するかが、企業の命運を決する課題になるのは間違いない。ただし、産業界からは、25%という目標はあまりにも厳しく、これまで努力してきただけに改善の余力は少ないとする意見が出ている。確かに、現場で取り組んでいる立場からしてもその意見には無理からぬところはあるが、企業が社会を支えているという自覚に基けば、チャレンジする価値のある目標だと思う。

 さて、家庭に目を転じてみると、論者によっては、家庭での削減余地は大いにあるのでここでの取り組みが企業よりもなお重要であると主張している。ただし、そこには一定の費用が発生するので家計の負担が増大するとの懸念も表明されている。太陽光発電の設備購入やいわゆるエコカーの購入などが大きな出費として考えられる。他にも節水型の便器に買い替えるだとか、電灯をLED照明に変えるだとかすれば確かにお金は出ていく。しかし、逆にその効用もあるわけで、省エネ型の商品開発は産業界にイノベーションをもたらし、停滞した経済に活力を生み出すだろうし、実際にエネルギーの節約にもなるのである。
 そのように見れば、企業にとってもメリットは大きい。要は、世の中の変化を商機としてとらえるかどうかである。いくつかの調査結果を新聞等で見ると、確実に消費者の意識は変わってきている。意識して環境によい商品を選ぶとか、環境問題への対応を積極的に進めている企業の商品を積極的に購入しようとする傾向が強まっている。昔のように、そこそこの品質があれば売れるという時代はすぎ、消費者が商品を選別し、開発までをリードしてしまうような時代になった。これは環境問題とは別に発生している社会現象であるが、環境をキーワードとして取り込みつつ発生しているという点に注目しなければならない。いわゆる「グリーンコンシューマー」がぞろぞろと姿を現し始め、影響力を持つに至ったのである。

 グリーンコンシューマーとは、ウィキペディアで検索すると
グリーン・コンシューマー(Green-Consumer)とは、訳すると「緑の消費者」の意。 この「緑」は「環境にやさしい」を意味しており、 買い物をするときに、できるだけ環境に配慮した製品を選んで購入する消費者のことを言う。
 主義にまでなっている人はまだ少数かもしれないが、ところどころでこのような消費行動をとる人が増えているようだ。企業はそれに呼応して商品開発を進めなければならない。これは早くから環境への対応を企業理念として掲げてきた企業にとっては喜ばしいことである。先駆けて開発し、市場に粘り強く説明して買っていただいていた商品が、さほど時間をかけなくても受け入れてもらえるようになったのだから。しかし、どの企業でも同じことをやりだしたら、消費者の方も、いかに目が肥えだしたとはいえ、選別に戸惑うことだろう。そこで大事なのは、売りたいがために理念をにわかに掲げるのは邪道であって、理念の実践が商品として結実している企業こそが本物だということだ。とはいえ、市場社会は競争社会であるから、結果的に勝ち残らなければこの主張の正当性は示せない。これは厳しい現実である。
 テレビを見ていると、Y電機が、環境によいことをしていると盛んに宣伝している。この会社は、社員の待遇が非常に厳しいとか、電機メーカーから販売のヘルパーを強制的に供出させているとかの悪いうわさが絶えない会社である。ホームページで、CO2の削減にいかに貢献したかを訴えているが、その中身はいかにたくさんのエコ商品を売ったかという実績に基づいている。出店、買収で巨大化すれば生まれる成果であって、それと環境配慮とは直接関係がない。多少なりとも環境問題に取り組んでくれるのは、やらないよりはましであるが、本物の会社かどうかは疑わしい。同業ではないが、こんな会社には負けられないという思いがある。

 結論。グリーンコンシューマーが今後の社会形成の過程で、重要な「主体」となっていくだろう。

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2008年9月17日 (水)

森林も魚も空気までも

 人類の歴史は自然(資源)を貪り食う歴史だった。持続可能な資源利用という知恵がなかったわけではない。弱った自然を労わりつつ、滋養させて再び利用する。そういう自然への向き合い方が、世界に、殊に日本にはあったかと思う。江戸という都市は、稀に見るリサイクル社会だったとも聞く。しかし、それは残念ながら極めて特殊な社会だったのではないか。

 森林は、人類の発展の過程で半分を失った。全く手を加えなくても成長のための栄養源となる魚類を、驚異的に発達した技術を使って獲りつくそうとしている。空気は汚れ、今夜も星が降るようだという歌が、大昔の歌のように思える。

 増え続ける人口を賄う資源は再生可能か。水は戻るか、森林は戻るか、魚は戻るか、空気は戻るか。増えなくても、せめて現状維持は。均衡は破られる。動き始めた物の勢いを止めるには莫大なエネルギーが必要だ。人類のどこにそんな力が残っているというのだ。

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2008年9月16日 (火)

水資源が枯渇する危機

 人口増加に伴って必要になった食糧の増産のため、農耕地が拡大されてきた。農業には大量の水が必要である。河川から引き入れるか、地下水を汲み上げるかして調達するのだが、大規模な農業開発が水資源を枯渇させつつあるようだ。

 いくつか例を挙げると、アメリカの雨量の少ない穀倉地帯では主に地下水が使われている。大量に汲み上げられているので、年々井戸は深くなり、涸れる恐れも出てきている。中国には、黄河と揚子江という大河が流れているが、近年雨量が減ったこともあり、また人口増に伴う農耕地の拡充などで北部地域の水量が激減している。黄河では、流域の途中で水枯れが生じているという。複数の国をまたがって流れる国際河川では、水の争奪戦が行われている。上流にある国が、水を独り占めするために国際的な紛争へと発展している。

 水は生きていくために必須の資源である。日本では雨量が多く、水が不足することなど長い間考えられてこなかった。しかしながら、最近では時折ダムの貯水量がゼロに近い状態になっているというニュースも聞くようになった。また顕著なのは、飲料水の質が落ちたためにミネラルウォーターが飲まれるようになったことである。日本の水も、無限にあると言える現状ではない。合わせて、食糧安保の観点から自給率を上げようとすれば、当然のことながら農業用水が必要だ。単純に考えると、自給率を倍にしようと思えば、水も倍必要なのだ。

 とりあえず、飲み水がなければ生きていくことさえできない。毎日、遠くの井戸まで水を汲みに行くことが日課の大半を占める子供たちがいる。学校に行くこともできない。非常に不公平な人生だと思う。力のある国が多くを奪いすぎることに原因があるとすれば、それをより公平な配分に持っていくための方策はどこにあるのだろうか。

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2008年7月 6日 (日)

環境問題、エネルギー問題、食糧問題

 世界的規模で考えなければならない問題として環境問題、エネルギー問題、食糧問題の3つの問題がクローズアップされている。今や、3つの危機と表現する方が適切である。エネルギー問題と食糧問題は合わせて資源問題として扱われる場合もある。

 「危機」であるから、それへの対応は可及的速やかに行われなければならない。国家、市民社会(市場)、個人のレベルに至るまで変革が求められている。予算配分、制度の変更。省エネ対策、生産設備の更新、製品の仕様の見直し。ライフスタイルの変更。などである。

 いろいろやるべきことはあるが、ひとまず国家レベルでは政治家と官僚に役割を果たしてもらわねばならない。とはいえ、その自己保身的本質から考えて、抜本的な改革の発想を期待するのは難しかろう。市場レベルでいえば、企業が環境配慮製品をスピーディーに提供していく必要がある。いい意味で先を競うことが大事である。個人レベルでは、生活の仕方や物の購入の仕方を変える必要がある。今まではたくさん物を買い、消費することが豊かさの基準であったが、自分のよしとするライフスタイルに合わせて物を買い、消費するという合理的精神が求められる。それは、「耐乏生活」というようなストイックなものではなく、新しいスタイルの創造というポジティブな活動としてとらえなければならない。

 以上のことはいち早く行わなければならない。基本的に日本人は危機意識に乏しい。それは決して日本人が劣っているということではなく、歴史的な背景があると思うが、今やそういう論議をしている場合ではなく、「いざ」という時のために備えをしておくべきであるということだ。パン食の機会を減らし、米を食べるようにすべきだろうし、一汁一菜は行き過ぎにしても過剰なカロリー摂取は改めよう。このことにより、食品メーカーは影響を受けるに違いないが、それに限らず、生活の見直しによって様々な分野の負の影響が出るだろうから、国民が広く等しく背負うべきではないか。

 世界の変化に対応して、未来の日本がどうあるべきかを個人レベルで考えなければならない。政治家や官僚には考える能力も意思もないから(変えれば既得権を失うのであるから)変革の主体はもう一度個人レベルから再構築されなければならないのである。

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