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2016年9月 4日 (日)

青年の主張 あれはある種の暴力であった

 かつて、成人の日にNHKで青年の主張全国コンクールが放送されていた。これは、新成人にテーマを与え、それについて弁論、主張を行い、順位をつけようとするものであった。
 私が主に聴いたのは、中高生の時代であったように思う。当時はテレビは家族で見るものであり、この番組もそうであり、特に父親が好んで見ていたように思う。
 私の記憶にある主張は二つ。とはいっても、ごく一部の断片であるが。一つは養護施設で働く職員の話、もう一つは酪農を営む青年の話であった。詳しくは覚えていないが、いろいろな困難を抱えながらも、この仕事に誇りをもって打ち込んでいきたいというのが結論だったように思う。
 そういう主張を聴いていた私は、大層重苦しい気分になった。当時思春期にあった私は、心の中に迷いや苦しみがあって、決して楽しい時期ではなかった。そういう気分の時に、ある意味「立派な」主張を聴くと、それと比較して、自分はいかにダメな人間かを感じてしまうのだった。
 今振り返れば、主張した彼らのその後は、それを聴いていた方の若者と特別変わったものになっていないであろうと想像される。「立派な」人間は、それほど多くいるわけではない。彼らも並みの人間であったのだろう。
 一部に彼らやこの番組を揶揄して評論する人たちもいたが、私はそこまでの思いはない。若者に主張の機会を与えることはいいことだ。しかし、予選を通過して全国放送される内容は少し多様性に欠けるもので、それは主催する側の「期待」が色濃く反映したものであったろう。
 自分がどう生きるかという葛藤は、人にさらけ出すものではない。社会的な問題に対して主張し、議論を戦わせることは結構なことだ。それは確かに不足している。
 繰り返すが、立派な人はそんなにいるものではない。心配しなくてよい。

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