« 石川啄木の言葉(中野重治の評論より) | トップページ | 追悼 永六輔 »

2016年7月11日 (月)

犯罪とその手段について 盗撮から考える

 盗撮で逮捕、という記事は、見ない日がないほど多い。そして、それが警官や教員によるものであることも多い。警官や教員が目立つのは、ニュース性が高いという理由もあるに違いない。他の職業に就く者の犯行はこの何倍か何十倍かはあるはずだ。
 犯罪にはそれを誘発する条件がある。盗撮の場合はスマホという手段を得たからである。嵩張らずよく写る。なぜ、捕まるリスクを負ってまでそういう行為に出るのか分からないが、YouTubeの動画などに触発されるのではないかと思う。そうやって増殖していくのではないか。通信網の拡大と機器の発達がこの犯罪を助長していることは間違いない。
 とはいえ、その防止のためにネットワークや機器の廃止は考えられない。ながらスマホの危険性などは私も主張した違法だが、一方での有益性が勝っていることは疑いえない事実であるから、あとはモラルの問題にするほかなかろう。盗撮だけ不可能にする技術があればよいのだが。
 ところで、同じ犯罪でも、拳銃による射殺事件の場合は同じように考えるわけにはいかない。日本ではまだ少ないが、アメリカでは日常茶飯事である。拳銃を合法的に持てなくすれば、銃による犯罪は大幅に減少する。これは間違いのない話だ。その決断が米国民にできるかどうかにかかっている。
 世の中は変わる。変われば新しいことが起こる。便利なものには副作用がある。後追いになるのは仕方がない面はあるが、新しい倫理形成や教育が欠かせないのである。
 

« 石川啄木の言葉(中野重治の評論より) | トップページ | 追悼 永六輔 »