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2013年11月の投稿

2013年11月30日 (土)

【再徹底】 「さん」付けで呼ぶ

「さん」付けで呼ぶ 

これは、できるだけそうしようという呼びかけではなく、

例外なくそうせよ、という指示です

上から下まで、漏れなく実施してください。

当たり前になれば、企業風土として定着したと言えるでしょう。

もう一歩です。

以下補足

 役職は業務上与えられた地位であり、組織の目的を達成するために考えられた手段です。業務を離れてその権限を行使することはできません。業務時間中は上司・部下の関係が成立します。指示命令が出され、部下はそれを受けて行動します。

 組織のなかにおけるこの関係が理解されておれば、ことさら役職名(呼称)にこだわらなくても仕事はできます。あまりに役職・地位の差が意識されると、自由な発言が抑制されます。また、人格に備わった属性かのように錯覚され、時間外にもその関係が持ち越されます。

 自由な気風を促進するために、「さん」付呼称を引き続き実践します。

 注意1:自由な発言、議論を推奨しますが、時間に限りがある以上、全員が納得する答えに至らない場合もあり、その時は組織や上司の判断に従います。このけじめは必要です。

 注意2:上下の関係を離れ、人格的に尊敬し、尊敬される関係が別にあります。これは素晴らしい関係です。

 この関係を基礎にして、業務外で付き合うことは何の問題もありません。尊敬しあえる関係を築きましょう。それには、自己研鑽・自己啓発の努力と謙虚な態度が大切です。

2013年11月24日 (日)

万博公園の利口なカラス

 先週の日曜日だが、芝生の上を走りたくなり、万博公園まで出かけた。このシーズン、紅葉祭りが行われており、入園無料ということもあるのだろう、大層な人出だった。

 紅葉のスポットは西側にあり、中央の広場ではABCラジオ祭りがおこなわれていたので、東側の運動場には人はまばらであった。ただし、水はけが悪いのか芝は水分を含んでおり、よい状態ではなかった。

 ここで書きたいのは走りのことではなく、食べ物をカラスに奪われたことである。千里中央でモノレールに乗り換える前に、エネルギーの補給用としてスティック状の栄養補助食品を3個とペットボトルに入った飲料を買った。そして運動場の隅にレジャーシートを敷き、荷物を置いた。

 それから運動場で歩いたり、走ったりしたのだが、問題は食料をシートに上に置きっぱなしにしたことである。カラスは食べ物であることを察知していた。私がいない間に、飲料を残して食料を奪い去ったのである。シートの周囲に、包装紙の切れ端が落ちていたのだが、それはくちばしで袋を破った証拠である。

 カラスにとってよい餌場なのであろう。私と同じような人間が集まってきて食料を提供してくれるのである。ああ、また来たカーである。憎々しいが、なんと利口なのだろうか。次は、リュックのなかにしまってから走ることにしよう。

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2013年11月23日 (土)

儲かる人材紹介業

 中途採用する場合、人材紹介会社を利用することが多い。社員のコネクション等で採れた場合はコストはほぼゼロだが、紹介の場合は成功報酬として、年間給与の30%ほど支払わなければならない。500万円の人材であれば150万円であり、高額の紹介料である。紹介会社は数多くあるが、この手数料水準は横並びであり、ダンピングはない。これが崩れると、人材紹介業とビジネスが崩れるからである。また、主要な企業がリクルートの出身者であり、同じビジネスモデルを継承しているからでもある。談合して儲けていると言うことができる。ちなみに、欧米での紹介料は15%程度であるから、その高さが分かるだろう。

 そんな高い金を出してまで紹介会社に依存しなければならないのは、多数の企業が採用力を持たないからだ。自分で人材を見つけてくることができない。それは、情報の不足であり、ノウハウの不足があるからだ。転職したいサラリーマンはたくさんいる。そして、そのなかには優秀な人も数多くいる。いかに、彼らの情報を入手し、アプローチできるかどうかだ。会って話をすれば、自分の企業の理念や特長を伝えることができるので、可能性は開ける。

 媒介するのはやはりインターネットだ。データベースの閲覧権限を売っている会社がある。データベースから検索条件を組み合わせて、欲しい人材を引っ張ってくるわけだ。そして個々にメールなどでアプローチする。とはいえ、その母集団のレベルが低いと欲しい人材にあたる確率が上がらない。そこで、ある会社はエントリーを有料にした。金を払ってまで登録する人のレベルはそうでない場合に比べ高くなる。そうすると、人を採りたい企業もいい人材に出会う確率が高くなるから、相乗作用で利用度が高まっていくのである。

 知名度の低い企業は採用弱者である。紹介会社に頼ると、それなりの人材しか回ってこない。なんとかして自前で対象者にアプローチするノウハウを持ちたい。観光ホテルでも、旅行代理店を使わないと集客できなければ途中のマージンを取られるから利益が少ない。自前で客を集められれば儲かるのである。

 いい会社があることを分かってもらいたい。

 

2013年11月17日 (日)

ミッションから行動へ 主体的な思考と行動の基礎

  最近2冊の冊子を読んだ。

 一つは、全国的に行われている「品質月間」(日科技連、規格協会、商工会議所主催)のテキストである。タイトルは「日本品質と現場力」で、ローランド・ベルガ―の遠藤さんが書いている。冊子なのでボリュームはなく、月間テキストなので平易に書かれている。
とはいえ、内容は現在の日本企業の品質に関わる問題点を的確にとらえている。

 一つは組織の劣化であり、品質をつくり込める組織が育っていないということ。私の会社でもそうだが、言われたことだけやる人が増え、考える組織になっていない。それを解決するために、遠藤さんは、「言える化」と「心のつなぐ化」を主張する。そのことで組織密度を高め、問題解決に全員参加で取組む態勢を作る。
 加えて大事なことは、背負うのは作業ではなく、ミッションだということだ。ミッションを基準にして主体的な行動が生まれる。ミッションを背負うとは、言い換えると、お客様を背負うということである。それが出来れば、日本の現場の品質は間違いなく高まると、遠藤さんは言っている。

 二つ目の冊子は、みずほ総合研究所が発行している「経営参考BOOK」シリーズの134号「最高のリーダーシップ33の鍵」である。これは、元スターバックスCEOの岩田松雄さんが書いている。この冊子の冒頭に書かれていることが遠藤さんの意見に通じている。「ミッションが行動を決めるのであり、そのミッションを伝えるのがリーダーの役目である。」スターバックスには細かなサービスマニュアルはないそうだ。ミッションをどうしたら達成できるかを自分で考え行動しているという。

 ミッションで原理原則を明確にしておけば、いつでも適切な対応ができると書いている。こんあと表題の33の鍵について書かれているが、いずれもミッションを果たそうとすれば、自ずと出てくる行動である。この関係を見落としてはならないと考える。

2013年11月16日 (土)

新鮮な食材は限られる いいものは富裕層に独占される

 世界の人口は70億人を超えたと言われている。これだけの人口に見合う食糧(食料)が確保されているのだろうか。飢えている人々がいる反面、一部には食べ残して廃棄されている現状もある。食糧(食料)は地域的にも偏在しているし、階層間でも偏在している。これは富の一般的傾向と同じである。また、カロリーベースでは必要水準を満たしていても、栄養素のバランスを欠いている場合もある。ジャンクフードに頼って肥満となり、糖尿病におかされる人々もいる。

 新鮮で、安全な食品は量が限られる。基本的に地産地消がリスクを低減させるが、地産のない地域もあるし、消費者が集中する都市部ではそもそもそれはかなわない。海外も含めて域外で大量生産(捕獲)されたものが入り込んでくる。いきおい、安全性を疑われる農薬や抗生物質や成長剤などを使用した食糧(食品)が幅を利かせることになる。そこで、「安全」すなわち産地が明らかであり、危険な薬剤が使われていない保証のあるものを手に入れるにはお金が必要なのである。なぜなら、それらは希少なものだからである。今後、後発国では人口の増大も相まって食糧(食料)消費は増大する。先進国ではゆるやかに減少していくのではないか。そして減少の過程で、下層へのパイも減少していく。富を持つ者は、これまで通り消費するだろうから。

 食材の新鮮さを売りにする飲食店も多いが、数に限りがある。安定供給はなかなか難しい。それが、誤表示(偽装表示?)を生む背景にある。無理なことをしてはいけない。養殖ができない魚介類や有機栽培の野菜などは流通量を増やすことができない。日本はまだ恵まれている方であるが、米や国産の野菜などを食べなくなり、ジャンクな食事に偏していくと健康が損なわれるであろう。

 食糧(食料)、食品の貧困化は国の貧困化である。私たちは健康や命と引き換えに何を得るのだろうか。

2013年11月10日 (日)

「天は二物を与えず」 与えるのは「天」ではない

 「天は二物を与えず」というが、妬ましいほど才能豊かな人物もいる。才色兼備の女性がいれば、イケメンで頭脳明晰な男性もいらっしゃる。

 イケメンでなくても複数のことをハイレベルで達成している人もいる。弁護士で、法科大学院の教授で、弁護士会の要職に就き、ピアノはコンサートを開くほどの腕前で、マラソンでもいいタイムを持っている。

 こういう人にしても無条件にそうなったのではなかろう。家庭環境にも恵まれていたに違いないし、遺伝的要素もあろう。しかし、人一倍の努力はしたはずだ。集中力が人並み外れて高いこともあるだろう。そういうことを考えずに、ただ羨ましがっても仕方ない。

 少なくとも、天から授かったものではあるまい。遺伝という意味では親から授かったのであり、生活環境という意味でも親の影響が大きい。ただし、それだけで誰もが成功するわけではない。環境に甘えて、自分は偉いのだと勘違いをして、挑戦することを忘れていては何一つ成就しないし、人の役に立つこともできない。

 まわりの人々の支援と本人の努力が相俟って、結果が出るのである。才能とはあくまで「種」であって、豊かな実りが得られるまでには年月が必要なのである。

2013年11月 9日 (土)

ポイントは「補強」か 読売巨人軍

巨人・渡辺会長「来年はあらゆる補強をして勝つ」

 巨人の渡辺恒雄球団会長(読売新聞グループ本社会長兼主筆)は6日、東京都内で日本シリーズ終了後初めて取材に応じ、楽天に日本一の座を奪われたことについて「巨人ファンはがっかりで、あんまりうれしいことではない」としながらも、「東北の人がみんな喜んでいる。星野(楽天)監督のためにもよかった」と祝福した。

 もっとも、来季の補強について問われると「そりゃあ、しなきゃいかん。来年も負けていいと言っているんじゃない」ときっぱり。「今年は仕方がないが、来年以降は連覇だ。あらゆる補強をして勝つ」と日本一奪回に強い意欲を見せた。

以上、産経新聞11月6日(水)22時42分配信記事

 

 補強は勝つための手段としてあっていいのだが、「あらゆる」補強という言い方、考え方には賛同しかねる。巨人の戦力は劣っていない。楽天に負けた直接の原因は、打線の調子が下降し底にあったからだと思われる。

 原監督の采配が特別悪いとも思わないので、大きな問題はないのではないか。そういうなかで、補強を打ち出すことは既存戦力のモチベーション低下になる。投手陣を見ても、今村などの好素材がいる。

 金にものを言わせてと、批判されてきたが、まったく変わっていない。金で勝てるなら手腕など問題にもならないではないか。

2013年11月 4日 (月)

若いという錯覚

 自分はまだ若いという感覚を持っている。よく考えてみると、世の中で高齢化が激しく進んだために、周囲で自分より老いた人たちを見続けているからだろう。総務省のデータによれば、私と同じ年齢以上の人口は5千万人近くもいるのである。私より若い人の方が多いけれども、これだけ年上がいると相対的な関係で、自分が若いという感覚になるのである。

 戦後の小説などを読むと、50代と言えば相当な老人であり、30代の女性などは年増として描かれている。この当時は若い世代の人口が多かったのである。そのことを考え合わせると、やはり50代半ばは年寄りという認識が必要なのかもしれない。考えてみれば、頭髪が薄くなり、腰痛あり、視力の低下ありで、体も傷んできている。

 過信に基づき、必要以上に出しゃばりすぎると、若い世代の邪魔になる。これを老害と言う。心したい。

2013年11月 3日 (日)

正倉院展

 先週、恒例の正倉院展に行ってきた。開催2日目だったが、午後遅い時間帯だったので、制限なしに入場できた。それでも中へ入ると混んでいて、牛歩の歩みであった。

 展示品は毎年入れ替えがあって、今回の目玉は「漆金薄絵盤(うるしきんぱくえのばん)」である。工芸品の値打ちはよく分からないが、細かな細工と色付けが施されている点には感心する。織物も多数展示されているが、かなり傷んでいるものが多い。また、この時期は着るものは地味である。それよりも、毎年感じるのは、当時の役所で官吏が書いた文書の字の美しさである。毛筆しかなかったのだからとも思うが、立派な字である。

     
 浅はかな知識で言うが、当時は中国を真似て、律令制国家建設に力を入れていた。戸籍を作り、国家が民に一定の耕作地を与えていた。しかし、租税があり、労役・兵役もあり、生きていくのに汲々とするレベルであったようだ。まだまだ生産力の低い段階であり、理想むなしく次第に崩壊していく。国家が弱体化し、私的な領域が拡張する。 

 正倉院展もよいが、常設の仏像の方がゆっくり見られるし、心を惹かれる。いろいろな表情があって面白い。穏やかな表情は心が落ち着く。この近くの法隆寺へ行けば、奈良時代よりもさらに古い仏像があり、そのうちいくつかは国宝である。白鳳時代の仏像は、まだ日本化していない、ふっくらした顔であったような記憶がある。概しておおらかな要素は古い時代に見られるように思う。

Syousouin

2013年11月 2日 (土)

心が折れる・・・

 「心が折れる」という言葉をよく聞くようになった。私のある友人によれば、この言葉が目立ち始めた時期とメンタルヘルス不調者が増え始めた時期とが重なるという。それが事実かどうかは分からないが、原因は何であれ、困難に対し精神的に持ちこたえられない状況が生まれていることが暗示される表現である。

 私は思う。心は、「折れない」。折れようがないのである。かえって、折れてくれた方が楽な場合もあろう。実際は、心は「潰れる」のである。そして、潰れ方が弱い場合には、周りの気圧が下がれば(環境が変われば)元に戻ることが可能だ。しかし、ぐちゃぐちゃに潰れたら、再生は不可能になる。

 心が折れるという言い方には、逃避的な傾向が読み取れる。

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