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2013年10月20日 (日)

「奇遇」はなぜ起こるか

 先日、取引先が主催する伊豆で一泊する交流会に参加した。この交流会には三十数社が参加していたが、出席者の肩書は部長から社長まで様々であるが、大手企業だとさすがに社長は出てこない。

 ところで、取引先(とはいっても今のところそれほど太い付き合いではないのだが)のホスト役は常務取締役だったが、話をしていると同じ大学の出身であり、学部も同じだということが分かった。年齢は彼の方が下なので、学年は違うと思っていた。
 さらに話を進めると、どこの店で酒を飲んだとか、飯を食ったとかいう話になった。その時私が上げた食堂の名前に彼が反応した。O食堂でアルバイトをしていたという。私もO食堂でアルバイトをしていた。そして両者ともS君の紹介で、その店に来たのだった。ということは同時期なわけで、一緒に仕事をしていたはずだ。他の学部から来ていた学生もお互いに知っていた。おそらくシフトの関係で、たびたびは顔を合せなかったのだろう。だから印象が薄いのだ。

 というわけで、30年以上前からの知り合いであることが分かった。「奇遇だね」という話になったのだが、よくよく考えればこういうことが起こるのは単なる偶然ではなく、根拠がある。

 学歴と就職先における職位とには関係が深く、ある年齢に達すると同じクラスの職位に達するがために、顔を合わせる確率が高まるということである。企業には業者会があったり、講演会があったり、異業種交流会などがある。一定の役職になるとそういう会に出ていく。そうすると名刺交換し、歓談し、そのなかで出身校の話も出たりする。さらにサークル活動やゼミやアルバイトの話も出る。すると、あそこをご存知ですかとか、彼を知っていますかというようにより具体的な話になっていく。結果、どこかでつながっているということになる。まあ、奇遇であるには違いないが、びっくりするほどのことでもない。

 世間は狭い。社会は広いが、階層が分化し、固定化することにより活動範囲が限られてくるのだ。その範囲を「世間」と呼べば、それは極めて狭いということになる。

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