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2013年8月25日 (日)

夏の休暇中に 佐多稲子の「樹影」を読む

 前から読もうと思っていたが、講談社の文芸文庫は値段が張るので後回しになっていた。ちなみに税別で1,400円する。新潮文庫などと比べると倍ほどの値段である。とはいえ、こういう売れない小説は出さないと手に入らない。

 主人公である麻田晋は長崎に投下された原爆の閃光や爆風にやられてはいなかったし、同じように柳慶子も直接の被害は免れていた。しかし、麻田は直後に爆心地に入り、柳慶子も1週間ほどのちに放射能に侵された地域に入った。

 麻田は画家で、妻と子二人を持つ身であったが、慶子と愛し合う仲になる。慶子は中国福建省出身の柳泰明の娘であり、国籍は中国にある。いわゆる華僑と呼ばれる人々の集団に人種的にも文化的にも含まれる人である。

 二人は、慶子が新たに営む喫茶店の設計を麻田に手伝ってもらったことからその関係が出来上がった。原爆投下から3年後の夏であった。その仕事を通じて二人は深い仲になっていく。(一般的な意味での「深い仲」という内容も含まれるが、より精神的で複雑な深さを持っていた)

 麻田はそれだけで食べていけるほど絵の売れる画家ではなかった。才能はないではなかったが、中央での評価が得られる条件に不足していた。また、胸の病から始まって様々な体調不良があり、それが原爆症の恐怖を生んでいた。いい絵を描きたい、中央で認められたいという渇望が彼の生きるエネルギーを生み出していたが、それを側面で支えるのは実の妻ではなく、慶子の愛であった。

 慶子は華僑の娘である。差別と貧困のなかに育ち、不利な条件に負けまいと気丈に活きている。二人はある意味、「まともでない」境遇に生きる二人として共感し合っている。慶子の肉体も原爆症と思われる様々な症状を呈していた。それが残存放射能から来ているものかどうかは医学的に確かなものではなかったが、慶子自身の人生に大きく影響するものであったし、麻田の負った苦痛、苦悩を理解する基礎となったのである。

 彼らの運命は麻田が妻子持ちであったということ、慶子が華僑の娘であったということを抜きにして考えられないのと同時に、原爆の被害にさらされたという彼ら自身にはどうすることもできない外的な条件に左右されたのである。このような物語を読むたびに、歴史に、あるいは「政治」に翻弄される人々の不運を感じずにおれない。そんな中でもけなげに生き、愛し合い、成長を求める人々にわずかでも希望を抱くことができるのは文学の救いである。現実はもっと過酷なものであろう。

 慶子は麻田の死後、政治運動に入りこむ。中華人民共和国が成立し、米ソに対抗して核武装するが、このことへの評価を巡って在日の華僑にも分裂が生じる。慶子は親が大陸出身ということもあり、北京を支持する。しかし、運動の疲れが出たこともあるし、原爆症の影響もあり、クモ膜下出血であっけなく死んでしまう。この物語において、終盤の内容はどんな意味を持つのだろうか。これも華僑であったことの悲劇なのだろうか。

 ところで、麻田の妻は何を感じ、何に生きがいを求めたのだろうか。どんな女であるかはっきりした描写がない。貧しい生活を支えるために内職をする姿が描かれている。慶子のことは知りながら、静かに夫の帰りを待つ女であった。彼女にスポットを当てるなら、これまた一つの小説が成り立つかもしれない。夫の愛を奪われ、奪った女の援助で生活しなければならない。この屈辱と原爆症の恐怖とを比較することはできないが、決して軽んずることのできないものである。

 広島には、井伏鱒二の「黒い雨」があった。そして長崎には佐多稲子の「樹影」がある。両者とも重たい作品であるが、「黒い雨」の方が分かりやすい小説であることは間違いなさそうだ。

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