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2013年8月11日 (日)

関心を向ける

  人間は直接見たり聞いたりしたことに反応する。生活の現場だけではなく、テレビやインターネットから得た「情報」や「刺激」に反応して、考えたり、感じたりしているのだ。そういうきっかけなしに考えることは皆無に近い。だから、受動的な「受信」態度だと、当然ながら情報の傾向に人間の考えることは流されていく。これは恐ろしいことである。

 大事なことは、自分から情報を取りに行くことであり、それは流行とかそういうことではなく、自身の長く持ち続けている興味や関心によるものでありたい。そうしないと、報道されない大事なことに誰も目を向けることがなくなってしまう。

 人間は考えているようで、ほとんど考えていない。あるいは「思考」していないといった方がいいかもしれない。生活に余裕がないせいだろうか、教育のせいだろうか、思想が育たないせいだろうか。

 もともと無意識に行動している人間がどうしたら思考するようになるのだろうか。まずは、世の中で起こっていること(起こっていると報じられていること)を信じないことである。少なくとも丸呑みしない。見えているのは全体のごく一部であること。一部は全体を表さないこと。必ずしも真実ではないこと、などを前提にして見つめる必要がある。信念を持てば、自ずと「思考」するようになる。

 見えない部分に思いを巡らせることが、心の狭隘化を防止する。また人間や組織の成長によく効く肥やしになるに違いない。

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