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2013年8月26日 (月)

誤審、誤審と騒ぐが・・・

 審判は、相当なスピードで動く体、バット、ボールを肉眼で捉え、判断している。機械がやっているのではない。ホームランの判定にビデオの使用が採用されたが、これはその限界を補うものであるし、また見方を変えれば審判の人数を減らしたことへの補てんという意味もある。

 プレーは人間がするものだ。同様に審判も人間であった方が面白い。フェンシングなど肉眼では判定できない(こんなスポーツは近代に生まれたものに違いない)ものは除いて、人間が判定するのがプレーと一体感があってよいのだ。

 技術を向上させることが必要なのは当然であるが、あまりやかましく言わない方がよい。選手がかわいそうだという主張も分からなくないが、逆に自分の側に有利な判定もあるわけである。その時は審判に文句は言わないだろう。絶対的な公平性を訴えるなら、その時も文句をつけるべきだ。

 審判の心得としては、言った瞬間に間違えたと思ったら、間髪をいれず、ミスジャッジと宣告して訂正を入れることだ。間違いは誰にもあるのだ。その後の処置の仕方で、展開は随分違ってくる。

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