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2013年7月 1日 (月)

生きているということ

 ただ生きていることだけでも、それはすごいことなのだと、ある著名な作家が書いていたのを何十年か前に読んだ。

 私は少年のころ精神を患って死のうとしたことがあった。だから、生きていることが当たり前のことではないことを経験的に知っていた。とはいえ、その本を読んだころ、私はまだ青年であり、「前途」があり、少なからず野心も持てるほどに精神は回復していた。そういう青年には、少なくとも自分に関しては、ただ生きていることは満足な「生」ではなかった。

 日本では1年間に3万人ほどが自ら命を絶つ。理由は様々あるだろう。治らぬ病を苦にして・・・。借金(とり)に追われて・・・。希望が叶わぬことによって・・・。病などによる精神的な苦痛に耐えられずに・・・。3万人とは、交通事故で亡くなる人の6倍の数である。

 よく理由の分からぬ死というものもないではなかろうが、たいていは何らかの説明はつくものである。ということは、救いようもあるということではないか。もちろん、簡単ではないものもある。しかし、なかでも若い人の死だけは食い止めたいものである。「自分に何かを強いること」はすべて捨て去り、ただただ息をしていることだけ考えて時間を過ごせ。それだけでいい。そうやって許す余裕が社会にあればいいと思う。

 それは甘いという人もいるだろう。誰だって苦痛なく生きているのではないから、一部の人間を非生産的な状態にしておくのは甘やかしだと考える。しかし、耐えられる世界と耐えられない世界には、深く広い溝があると思う。向こう側に行ってしまった人間の気持ちは、こちら側では理解できない。

 いいではないか。生きていることは、それだけで大変な偉業である。希望があればこそ生きられる、その反対に、希望を捨てることで生きながらえることもできる。誰もあなたを責めてはいない。生き方は一つではないのだ。まずは、自分の命の再生産に専念してほしい。

 まわりに救える人はいませんか。今日も100人近くが逝ってしまいました。悲しいですね。

 合掌

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