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2013年7月14日 (日)

日本国憲法について

 かつて日本は富国強兵を目指した。
 次第にアジアの強国となり、欧米列強と肩を並べるまでに至った。
 アジアに植民地を置く欧米に対し、自分の庭を荒らされている気分になった。

 日本には膨張思考が生まれていた。
 欧米列強にとって、日本は邪魔者であった。
 日本のとった道は他民族の独立を侵すものであり、誤りであったが、欧米に正義があったわけではない。

 日本は敗北した。国力の差から考えて、それは当然の帰結であった。
 日本は占領された。占領軍は、日本から牙を抜く必要があった。
 二度と戦争を起こすことのできない国にする必要があった。
 米国は「平和憲法」を日本に与えた。
 その内容は戦争に反対をしてきた人々の意志に沿うものであり、戦争に散々苦しんだ国民に受け入れられるものであった。

 しかし、世界の情勢は変わっていく。
 欧米にとって脅威となる共産主義化がアジア地域に広がると、日本を丸腰にしておくことが米国にとってのリスクとなる。
 米国に向ける刃は悪であるが、共産主義国に向ける刃は善なるものであった。

 日本は、東西冷戦を背景にして驚異的な経済成長を遂げた。
 複雑な国際政治の下における一つの巡り会わせであったろう。

 日本国内には多くの米軍基地がおかれ、それを自衛隊が補強している。
 日本を丸腰のままにしておくことに米国の不利益が生じた。

 日本の膨張を進めた旧勢力とつながりのある保守政権はそれを拒まなかった。
 自分たちの地位の維持のためには米国への従属も厭わなかった。

 いよいよ憲法が邪魔になってきた。
 アジア地域の国家が経済成長し、経済的摩擦が政治衝突へとつながってきた。
 力が欲しくなった。最高法規と現実との矛盾を回避するために、最高法規に手を加える必要が生じた。

 日本の経済をどうするかという問題はあるが、もう二度と戦争などしたくないという気持ちは絶対的なものである。
 戦争のリスクを最小限にする環境作りが外交の最優先課題であろう。
 その砦として、現憲法は維持しなければならない。

 米国の意志ではなく、戦前とつながる保守の意志でもなく、戦争放棄の意志を国家の中心に置かなければならない。

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