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2013年6月 9日 (日)

人生におけるゴミやホコリ

  丹羽宇一郎氏は、伊藤忠商事の再建に貢献した。その後中国大使を務めたが、相当叩かれた。

 丹羽氏が大使になる前に氏の著書を数冊読んだ。そのなかにこういう一節があり、印象に残っている。

 「人生というものは、自分で振り返るとゴミもホコリも見えないきれいな写真のようなものだけが残りがちです。しかし、本当は写真に写っていない薄汚い部分がたくさんあったはずなんです。生きていくことはそういうことだ。このゴミやホコリの話をしないと本当ではありません。」

 思い返せば、ここでいうゴミやホコリに相当する経験は自分にも数多くある。その一部はブログにも書き留めてきた。今になっても思い出せば冷や汗の出るようなことがあった。とはいえ、まだ見ないようにしているゴミやホコリはある。

 実は、この見ないようにしている部分に、本当の自己変革、自己成長の種があるのかもしれない。私は、あるコンサルタントから、自分を変えたければまず自分の棚卸をしてくださいと言われた。棚卸とは、自分の強み弱みを明らかにするとともに、これまでの生き方を振り返るということでもあるだろう。

 実のところ丹羽氏が言うように、きれいなところに目が行くのが人の常である。嫌なところ、恥ずかしい過去は見たくないのである。では、これからも目を背けて、残された時間を生きるのか。それは、本当に楽しい生き方なのか。楽しいとは、決して快楽のみを意味するのではない。ありきたりに「生きがい」といえば、いいだろう。それがあって、楽しく、深みがあり、味わいのある人生がある。

 多くの人は、何らかのトラウマもあって、やりたいことをやってこなかったのである。やりたいことに足を踏み出すためには、ゴミやホコリを踏み越えなければならないのだろう。きれいに清掃され、舗装された道は、われわれの前に伸びてはいないのである。

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