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2013年6月30日 (日)

残念な「死」、もったいない命

 先日高校の同級生であるK君に会い、数学の授業が難しく(数Ⅰと数ⅡBを並行して進めるのだから難しくないわけがない)、お互いにひどい点をとっていたなという話になった。

 しかし、ひどいままだった私とは違い、K君は一念発起して夏休みにチャート式の参考書をボロボロになるまで集中して学び理解できるまでに至った。

 そのボロボロの参考書で思い出したが、大学の同期の別のK君の高校時代のクラスメートに秀才が一人いた。彼の家はひどい貧乏で、参考書もろくに買えないほどだった。あるとき、K君が教室の掃除をしていて、たまたまその秀才君の机を覗いて見たら文字通りボロボロになった参考書が見えた。こいつはこんなになるまで勉強しているのかと感心したという。

 彼の成績では東大の理科Ⅲ類も不可能ではなかったが、浪人できないので京大の医学部を受験し、合格した。しかし、数年後に精神を患って自ら命を絶ったという。こんなに努力をして結果を出したのに、その報いを十分に味わうことなく死んでいった秀才君の命はもったいないと思う。医者になれば幸福になれる保証はないのだが、人一倍努力したことは間違いのない事実だし、報いがあってしかるべきなのだ。残念な「死」である。

 私の友人のI君も自ら命を絶った。彼も秀才だった。息子も優秀で、将来が楽しみだったに違いない。それが、なんで?幸福などというものは、どこにあるものなのかよく分からない。

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コメント

 昨晩、関西に住む大学時代の友人数名をと会いましたが、日本人は人間あるいは人の命の「尊厳」に対する考えが非常に浅いという話しになりました。例として、普段は老人には実に冷たいが、死にそうになると一所懸命延命しようとする。それは、周りの気にしているだけなのか、自己弁護的行為なのか。

 別に選挙の話も出まして、都議会議員選挙の投票率は4割強だったけれども、投票に行ったのは6割ぐらいが年寄りだったのではないかという意見が出ました。これは調べれば分かることですが、そういう傾向は顕著だろうと思います。若い人が選挙に行かないと政治は変わらないだろうという結論で一致しました。

「幸福などというものは、
どこにあるものなのかよく分からない」

まったくですね。

幸福? 見つけるものですね。

見つけられるか、不安もよぎります。

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