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2013年6月の投稿

2013年6月30日 (日)

早くも蝉が鳴いた

 マンションの正面にある小さな森で、蝉が鳴いた。今年は、早い。このマンションに越してきてからでは、記録の残っている限り最速である。

 
 2007年は7月8日
 2009年は7月5日
 2011年は7月16日
 2012年は7月15日である。

 雨のない日が長く続いた影響だろうか。2010年は猛暑だったが、ブログに蝉の記録はない。ふらつきながら上海の町を歩いた記憶があるが、大阪の夏も負けず劣らず暑かったはずだ。

 今年も暑くなるに違いない。大阪の夜はなんと寝苦しいことか。

残念な「死」、もったいない命

 先日高校の同級生であるK君に会い、数学の授業が難しく(数Ⅰと数ⅡBを並行して進めるのだから難しくないわけがない)、お互いにひどい点をとっていたなという話になった。

 しかし、ひどいままだった私とは違い、K君は一念発起して夏休みにチャート式の参考書をボロボロになるまで集中して学び理解できるまでに至った。

 そのボロボロの参考書で思い出したが、大学の同期の別のK君の高校時代のクラスメートに秀才が一人いた。彼の家はひどい貧乏で、参考書もろくに買えないほどだった。あるとき、K君が教室の掃除をしていて、たまたまその秀才君の机を覗いて見たら文字通りボロボロになった参考書が見えた。こいつはこんなになるまで勉強しているのかと感心したという。

 彼の成績では東大の理科Ⅲ類も不可能ではなかったが、浪人できないので京大の医学部を受験し、合格した。しかし、数年後に精神を患って自ら命を絶ったという。こんなに努力をして結果を出したのに、その報いを十分に味わうことなく死んでいった秀才君の命はもったいないと思う。医者になれば幸福になれる保証はないのだが、人一倍努力したことは間違いのない事実だし、報いがあってしかるべきなのだ。残念な「死」である。

 私の友人のI君も自ら命を絶った。彼も秀才だった。息子も優秀で、将来が楽しみだったに違いない。それが、なんで?幸福などというものは、どこにあるものなのかよく分からない。

2013年6月29日 (土)

遠くの都議会選挙ではあるが・・・

 大阪に住んでいると、いかに首都とはいえ、地方議会の議員選挙への関心は薄い。

 都知事選となれば全国的にも関心が高く、いわゆる泡沫候補へのマニアックな興味も含めてマスコミの報道が楽しみだが、都議選のことはあまり耳に入ってこなかった。

 結果は自民が大勝し、民主が大幅に退潮したというのが一般的には最大の特徴だろう。ただ、これは戦う前から予想されたことだった。

 維新の会は関東では集票力がなかったうえに、橋下発言は強力な逆風を誘引した。

 公明党はかなり現状認識が出来ていたのであろう。力以上の無理な選挙はしなかったので堅実に議席を獲得した。

 共産党は、低投票率のなかでまずまずの票を集め、他党の失策にも助けられて議席を上手に拾った。民主党への幻想が消えうせた分、共産党への支持へと流れたと思われる。

 全体としては保守色が増したが、明確な反対勢力の議席が増えた分、議会に緊張感が生まれたことは民主政治にはよいことだと思われる。

 国政にこれがストレートには反映しないが、対立軸のはっきりしないフニャフニャした政治状況は打破したい。

 挙国一致などという言葉に魅力を感じてはならないのである。

2013年6月23日 (日)

成長を認める

 私の勤める会社ではここ数年風土改革に取り組んでいる。受け身の姿勢から、自ら考え自ら動く人に変わることを目標にし、変わった人は表彰して皆で賞賛することにしている。

 社員によって力量に差があり、組織への適応力に差があり、仕事への意識や行動力にも差がある。これはどの会社にも共通することである。業務の評価であれば、資格や職位に応じてその成果の大きさが計られる。成果を評価されたものは、次の資格や職位に上がっていく。特に大きな成果を上げれば飛び級という対応もある。

 これに対し風土改革における表彰は、業績の大きさを測るものではない。それぞれがどれだけ変わったかで評価される。極端な例を出せば、今まであいさつをしなかった社員が自分から進んであいさつをするようになれば、大きな変化として評価し、賞賛するのである。これが風土改革における表彰の趣旨なのである。

 ところが、これが隅々までいまだに理解されていない。どうしてあんなことで表彰されるのか。もっと厳しい職場で、レベルの高い行動をしている社員がたくさんいるのに、当たり前の行動ができるようになったからと言って全社の集会で大層に褒めあげるとバカバカしくなるという。

 これは先ほど言ったように趣旨が理解されていないからだが、個人の業績に意識が集中し(そう努力することはいいことだが)、社員間の差をあまりに気にするからだろう。会社がよくなるためには、一人ひとりが変化を遂げ、成長しなければならない。そして組織の総合力が高まれば全体の業績も高まる。そういう組織的な観点が持てない人は、遅れた人には冷たい。自分が頑張っていればこそ、呑気に見える人に歯がゆさを覚える気持ちは分からなくはないが、そういう人は優秀ではあってもトップにはなれないだろう。

 あまり極端であれば、組織から離脱し、競争原理の厳しい外資系企業に移っていくのかもしれない。しかし、そこで成功する保証はない。

2013年6月22日 (土)

6月16日 SHOUTライブ at 新長田「ミッキー26」

 16日の日曜日に神戸は新長田のレストラン「ミッキー26」まで出かけた。友人のF君がリーダーを務めるアカペラグループ「SHOUT」のライブを聴きに行ってきた。

 SHOUTのライブは2度目。前回は大阪のビルボードでの公演で、聴衆も多かったが、今回はこじんまりしたレストランなのですぐそばで歌声を聴ける。

 食事をしながら2回の公演を楽しむ。「水色の雨」「お祭りマンボ」「恋のフーガ」など懐かしい曲が並び、アンコールには、オリジナルの「歌のメッセージ」が用意されていた。

 今回は同級生組では、M君とK君が来ていた。M君は最近よく会うが、K君は英国暮らしで久しぶりの帰国であったし、学生時代にも話したことはなかったかもしれない。息子さんは非常に優秀な人で、高校からハーバード大学を受験し合格している。

 9時過ぎに店を出たが、そのあと近所に鉄人28号の像があるということで、M君とK君と3人で見物に行く。何かのテレビ番組で見たことはあったが、見るのは初めてである。

 そんなことで、昼間は別のところへ出かけて、帰ってからまた神戸まで来たのでかなり疲れた。しかし、家でじっとしていては得られない経験であり、感動である。じっとしているのはよろしくない。

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2013年6月16日 (日)

落合博満氏の講演を聴いて

 落合氏の講演を聴いた。取引先の催しがあって、そのなかの一企画であった。時間はちょうど1時間だった。

 氏の「采配」という本を読んでいたし、テレビ番組でもある程度情報は出しているので、全く新しい話というのはなかった。かいつまんで記憶に残った話の要点をまとめておくと、

 ・中日の監督に招聘された時は、2年契約が条件だったが、優勝するには3年かかると主張して3年契約にさせた。頼む側に立てば2年にしたい気持ちは分かる。1年目がダメで、2年目も芳しくなかったら、そこで次のことを考えられる。

 ・すべて自分にまかせてくれといった。コーチ陣はすべて自分が決めた。年棒も自分が決めたが、球団はそこまで委任したつもりではなかったそうだ。以前に根本さんから森繁和はコーチに使えると聞いていたので、真っ先に電話をした。こういう情報がマスコミに漏れることがあるが、電話で済ませてしまえば漏れることはない。優秀なスタッフを集めたら、監督の仕事の80%は終わったも同然である。

 ・投手のことはすべて森に任せた。分からないことをやろうとしてもできない。得手としないことは手を出さず、任せるべきだ。

 ・好き嫌いで人を使ってはいけない。嫌いな奴ほど仕事をする。相手も好かれていないのは分かるから、結果を残さないと降ろされると思い、必死で頑張る。

 ・野球選手は個人事業主だから、食っていくために必死になるのは当たり前だ。しかし、練習で手を抜こうする。ゲージで打撃練習をしていても、マメがつぶれたと言ってはベンチに入って行ってテープを取ってくる。のどが渇いたと言って水を飲みに行く。これでずいぶん時間を無駄にしている。だから、テープはポケットに入れておくように、水はゲージの横に置いておくように指導した。こういうことは普通の仕事にも通じることだろう。

 ・ハードな練習をすると言われたが、昔はこれが普通だった。6日やって1日休むのは、ペナントレースのペースである。その通りに体を作っておくだけである。この時期に体力を養成しておかないと後半になってバテテ来るのは当たり前だ。

 だいたいこんなところである。

2013年6月15日 (土)

「あの修学旅行の夜をもう一度」 有馬温泉にて同窓会

 先週末に、有馬温泉で高校の同窓会を行った。と言っても、有志による小規模なもので参加者は14名であった。大半は阪神地区在住者であるが、遠くは東京と広島からの参加者がいた。

 企画してくれたのは、最近大学病院を辞してクリニックを開業したばかりのN君であり、大変ご苦労をかけた。医師であり、研究者であり、経営者でありで、大車輪の活躍だが、温厚な性格で信頼が厚い。私の家内は、一時期彼の患者であった。

 私と高1の時に同じクラスだったK君はN君の車で有馬Gホテルに先着し、早速温泉に入ったあとビールでのどを潤す。あまり飲めない私はこれだけでもいい気分になっていた。その後、二人三人と集まってくる。そして午後6時から宴会である。とはいっても、ここでは食事中心で騒ぎはしない。お楽しみは部屋に戻った後である。

 この企画は題して「あの修学旅行の夜をもう一度」であった。F君がギターを持参し、歌詞カードも準備してくれた。感謝。それからは懐かしい歌の連続。「いちご白書をもう一度」「チャンピオン」などなど。それから、途中でF君がソロで歌ってくれた「酒と泪と男と女」は最高だった。

 途中で小休止し、最上階の展望大浴場にある銀泉を全員で占拠して歌う。そして再び部屋での合唱の連続。しかし、私は予想通り睡魔に襲われ始める。最初に大部屋の奥に敷かれた布団に向かったのは激務で睡眠不足のN君であったが、次は私であった。ちなみに後で聞いたところでは三番目は一緒に来たK君であったらしい。

 楽しい会であったが、あの楽しさは文章では表現しがたい。翌日は有馬温泉の中心街を散策して、再びN君の車に乗って大阪まで戻ってきた。私はその車中でも眠ってしまい、さらには家でも昼寝をしてしまった。私を降ろしてから、また職場に向かったN君とは大違い。少しは彼を見習うことにしよう。

 14人それぞれ頑張っているんだ。体に気を付けて、「あの修学旅行の夜をもう一度」をもう一度やりたいものだ。

友人が撮った写真を拝借

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2013年6月 9日 (日)

人生におけるゴミやホコリ

  丹羽宇一郎氏は、伊藤忠商事の再建に貢献した。その後中国大使を務めたが、相当叩かれた。

 丹羽氏が大使になる前に氏の著書を数冊読んだ。そのなかにこういう一節があり、印象に残っている。

 「人生というものは、自分で振り返るとゴミもホコリも見えないきれいな写真のようなものだけが残りがちです。しかし、本当は写真に写っていない薄汚い部分がたくさんあったはずなんです。生きていくことはそういうことだ。このゴミやホコリの話をしないと本当ではありません。」

 思い返せば、ここでいうゴミやホコリに相当する経験は自分にも数多くある。その一部はブログにも書き留めてきた。今になっても思い出せば冷や汗の出るようなことがあった。とはいえ、まだ見ないようにしているゴミやホコリはある。

 実は、この見ないようにしている部分に、本当の自己変革、自己成長の種があるのかもしれない。私は、あるコンサルタントから、自分を変えたければまず自分の棚卸をしてくださいと言われた。棚卸とは、自分の強み弱みを明らかにするとともに、これまでの生き方を振り返るということでもあるだろう。

 実のところ丹羽氏が言うように、きれいなところに目が行くのが人の常である。嫌なところ、恥ずかしい過去は見たくないのである。では、これからも目を背けて、残された時間を生きるのか。それは、本当に楽しい生き方なのか。楽しいとは、決して快楽のみを意味するのではない。ありきたりに「生きがい」といえば、いいだろう。それがあって、楽しく、深みがあり、味わいのある人生がある。

 多くの人は、何らかのトラウマもあって、やりたいことをやってこなかったのである。やりたいことに足を踏み出すためには、ゴミやホコリを踏み越えなければならないのだろう。きれいに清掃され、舗装された道は、われわれの前に伸びてはいないのである。

2013年6月 8日 (土)

有馬温泉に行ってきまーす

 これから神戸の奥座敷と言われる有馬温泉に行ってまいります。有馬といえば仕事上のつながりが強く、お風呂の洗剤のPRに大浴場の掃除までやりました。また当社の製品がNHKの「ルソンの壺」という番組に取り上げられて、取材に同行しました。その時は役者代わりに使われて、数秒ですがビデオにも映りました。

 今回宿泊するのは、そのビデオ撮りをした有馬グランドホテルであります。仕事では何度も行きましたが、宿泊するのは初めてです。お世話になった梶木さんが懐かしいですが、すでに引退されていて、その息子さんが株式会社中の坊の社長さんになっておられます。挨拶のために名刺は必携ですね。

 なぜ有馬に行くかと申しますと、これは小規模の同窓会であります。高校の時の友達が十数名集まり、修学旅行の夜を思い出そうという趣向です。とはいえ、修学旅行といえば、バスガイドさんの記憶ばかりで宿の思い出は皆無です。もっとも、そんなことはどうでもよくて、気分だけでも学生時代に戻って賑やかにやろうということなのです。それ以上の目的はありません。

 今回集まるメンバーは、いつもの傾向ではありますが、特にお医者さんが多そうです。発起人がそうだったので、そういう流れができたのでしょう。この条件だと、飲みすぎても、騒ぎすぎても体調不良の心配はしなくて良いように思います。優秀な医師たちが手当てをしてくれるだろうと、信じております。しかし、先に酔いつぶれてしまったらしyでしょうか。なんて、冗談です。

 まあ55歳にもなると、羽目も外せませんし、穏やかな会になるでしょう。意外な展開があれば、また報告したいと思います。

2013年6月 2日 (日)

頭を丸めたことへの反響

 去る5月25日に、以前から計画していた丸刈りを実行した。1年ほど前に、会社の幹部連中と飲んだ時に、坊主頭にしようと思うがどうかと聞いたところ、いいのじゃないかという意見であった。しかし、同じやるなら、何かそのことへの意味づけを行うべきだとの忠告をもらった。その機会が訪れるまで待てと言うのである。たしかに、けっこうインパクトの強いことをやるのだから、象徴的な出来事にするのがよかろう。

 会社の年度末がやってきた。社長が交代する。新しい中期経営計画の始まりでもある。「いつやるか?今でしょう!」ということに相成ったのである。

 自分で評価するに、悪くはない。海老蔵ほどではないが・・・。家内の評価も悪くはなかった。しかし、よく見ると、葬式で見かける坊さんに見える。私は坊さん顔なのかもしれない。それも厳しい修練を積んだ僧侶ではなく、きわめて世俗的な僧侶である。

 会社の人たちは、当然のごとく驚いた。確かに、私はそういうことをしそうな人間ではないのだろう。真実は、願掛けのようなものなのだが、何かあったのですかと心配してくれる。中には、半分冗談であろうが、浮気がばれたんですかという後輩までいた。いやー、実はそうなんだよと、こちらも冗談で返しておいたが、本気に受け取られたらどうしよう。

 こういうものは、1週間も見続けているとそれが普通になってしまうのだ。だから、同じ事務所で働いている連中は問題ない。一方、たまにしかお目にかかれない営業所や工場の人たちにはこれからも驚きや好奇の目で見られるだろう。また、取引先の人たちの反響も見ものである。まさか経営が悪化した兆候と見られることはあるまい。

 髪の毛がないと楽である。洗髪が一瞬にして終わる。すぐに乾く。ただし、直射日光にあたると暑い。帽子は必需品である。前から帽子をかぶる習慣があるので違和感はないが、いくつか種類を揃えておきたい。海やプールに行くことはまれであるが、無帽であれば火傷をしてしまう。筋肉質で坊主頭のおじさんが日焼けして歩いていたら、どんな風に見えるだろうか。

 

2013年6月 1日 (土)

他人の夫婦のことはどうでもいいことだが

 休日の私の行動はかなりパターン化している。行先はほとんどが梅田であり、心斎橋や難波は滅多なことでは行かない。

 小売店を中心に歩き回る。どういう商品が市場に出回っているのか、売れているのかを見ることも目的の一つであるが、見るだけでも楽しいという事があるし、特に気に入ったものがあれば買う楽しみもある。

 主には、阪急百貨店、阪急メンズ館、阪神百貨店、大丸の上の東急ハンズ、ヨドバシカメラ、ヨドバシカメラの上のユニクロ、ロフト、丸善&ジュンク堂書店、タワーレコードなどである。着るものはやはり名の通ったブランド物がよいが、高価なのでワンシーズンに何着も買うことはない。仕事柄スーツ等にも一定のお金はかけなければならない。下着や部屋着などはユニクロでも構わない。

 東急ハンズやロフトで雑貨品などを見て回るのは楽しい。スーパーなどには置いていないアイデア商品やキャラクターグッズがある。面白そうなので買ってみたはいいが、結局使わない物もある。ロフトはアベックの客が多い。そういう品揃えをしているからだろう。茶屋町という場所が若者の集まるところなのだろう。だから、居酒屋に入るとかなり騒々しい。丸善&ジュンク堂も茶屋町だが、店が広いのと本屋だから特に若者が目立つことはない。本の種類が多いことは非常に価値がある。地下の漫画本売り場も充実している。

 ところで、今日書こうと思ったのは、ユニクロで見かけた夫婦のことだ。カートに幼い子供を座らせ、選んだ結構たくさんの衣類を入れている。奥さんが主人に向かって文句を言っている。「早く計算してちょうだいよ。何ため息ついているの。私、ため息つかれるようなこと言った?いいから早く計算してちょうだいよ。」そう言って、その場から離れてしまった。主人はそれに反論もせず、携帯電話を使って衣類の値段を足し算しているのだ。

 こういう夫婦もいるのだ。さほど珍しくないのかもしれない。しかし、聞いていると何だか腹立たしい・・・いや、情けないといった方がいいか。何が彼女のご機嫌を悪くさせているのだろうか。想像できないことはないが、ここでそれを書き並べるのはやめておこう。勝手なお世話にしかならない。

 そういえば、その近くのスーツの店(高級な店ではない)で印象に残った子連れの夫婦があった。奥さんがカードやレシートで膨らんだ財布を持ってレジの前に立っている。スーツの代金の支払いである。表情が険しい。決して不美人ではない。後ろで待っている主人は生気のない顔をして立っている。余裕を感じさせないところは、先ほどの夫婦と同じだ。財布からお金が出ていくというのは、面白くないことなんだろうなあ。

 わが夫婦もそんなことになっていないか注意しなければならない。年齢のせいかもしれないが、もっと穏やかであると思ってはいるが。

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