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2013年5月19日 (日)

雨ニモマケズ

 宮沢賢治のあまりに有名な詩である。日本人が最も好む詩のひとつであろう。私もその例外ではない。

 全体に流れる「無欲の善意」に惹かれるわけだが、なかでも特に好きな部分を抜き出しておこう。

 「アラユルコトヲ ジブンヲカンヂャウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」

 「東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ」

 「自分を勘定に入れない」という事は全き利他の精神である。そんな境地にはなれそうにもないが、無私の境地から世界を客観的に見てみたい気はする。社会科学を少しは勉強してきたから、そういう位置に自分を置いてみる習慣はあるが、生活の中では欲に囚われて生きているのである。

 「西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い」。この母は自分の母親ではなく、他人の母も含んでいる。最近の「母」はリュックなどを背負い、ずいぶん元気であるようだが、自分の母にでさえ、こんな素直な優しさを表すことができるだろうか。

 できないと分かっていても、こうなりたいという気持ちが多くの日本人にある。このような人間像は権力との関係ではどう評価されるのか。木偶の坊と呼ばれる人間に何ら危険は感じないだろう。母を虐げる権力には立ち向かう必要があるのかもしれない。

 しかし、国家の平和と自らの生活の平安を願う気持ちは意外にも強固であるかもしれない。それを侵す力に対しては。

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