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2013年5月 3日 (金)

半分・灘高生だった私 9

 休みの日には六甲道のおばの家に行き、食事をごちそうになった。おばの主人は三宮の北長狭通りでクリーニング店を営んでおり、いとこもおじと一緒に仕事をしていた。震災の時には三宮の仕事場にいて建物が倒壊したが、幸いにおじもおばも無事だった。六甲道にいたいとこ家族も家が潰れたにもかかわらず皆無事だった。

 私が灘に合格した時には、おばが発表についてきたが、たいそう喜んでくれた。他の神戸在住の親戚筋は受かったら逆立ちして神戸の街を歩くと言ったそうだが、それも無理からぬことであったろう。

  次第に神経を患った私は学校へも行くのも億劫になり、たまに欠席するようになった。親元から連絡がいったのであろう、いとこが「なにしてるの!」と訪ねてきた。迷惑をかけたが、正直、人への迷惑など考える余裕もなかった。その時はたしか「平和荘」というアパートに住んでおり、1階はオーナーが経営する大衆食堂だった。そこでもすごくお世話になった。いつか当時のお礼に伺おうと思っていたが、行けなかった。もうご存命ではあるまい。

 賄い付き下宿 ⇒ アパート ⇒ (休学) ⇒ 賄い付き下宿 ⇒ 転校 これが私のたどった道である。転校の時は文字通りバタバタの状態で、下宿のおばさんには本当に迷惑をかけた。後からでもお詫びにうかがうべきだが、思い出したくないことが多く、神戸に足が向かわなかった。もう他界されているだろう。

 あまり思い出したくない過去であっても、一度一から棚卸をする必要があるだろう。

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