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2013年5月の投稿

2013年5月26日 (日)

老後のことばかり考えて生きていては・・・

 自分はまだまだ若いと思っている。様々な分野に興味があるし、筋トレも続けていて還暦までは若い体型を維持しようと思っているし、異性にもまだまだ関心がある。

 それでも少しは老後のことを考えるようになった。65歳まで働けるとしても、その後はいくばくかの蓄えと目減りしているであろう年金収入に頼らざるを得ない。財産は無いに等しいから、家賃収入はないし株の配当もない。とはいえ、長くサラリーマンをしてきたので、相対的にはまだましな方であろう。

 子どもが一人二人と手が離れていくに従い(まだ終わってはいないのだが)、最近湧きだしたのは、「今・現在」を楽しみたいという欲求である。なぜか。一つは、周囲に病気で倒れたり、亡くなったりする人が目立ってきたからである。そのことで、自分自身の寿命も非常に不確かなものに感じ始めたのである。老後のことばかり考えて、いつまでにいくら貯めなければならないというような心配を抱いていたら、毎日が鬱陶しいものになってしまう。私は元来そういう点では楽観的なので、あまり心配はしていなかったけれども、生活を楽しむという感覚は薄い方だった。

 もう一つは、最近交際範囲が広がって、仕事以外に趣味を持って楽しんでいる人たちを多く目にするようになったからである。私も好奇心は旺盛なのでやってみたいことはある。そして実際にやっている人を見ることで大いに触発を受けたのである。

 平均余命というものがあるが、それはあくまで平均であり、確率の大小は別にしても、明日にも命を落とす可能性はある。そうすると、今にうちに少しでも楽しんでおかなければもったいないと思うようになった。もちろん、後先考えずに無謀な享楽に走っては品格を疑われるし、立場上仕事にもエネルギーを注がなければならないが、それでもほぼ土日は休みなのだから、時間はたっぷりある。あまりにお金のかかる趣味では困るが、そうでないものもたくさんある。選択の基準としてあるのは、「人とのつながり」である。一人で孤独に走っているとか、盆栽に凝るとか、本ばかり読んでいるとか、それはそれで悪くはないが、楽しみの幅が狭くなってしまう。

 最近、そんなふうに考えるようになった。

2013年5月25日 (土)

大阪府豊能郡能勢町宿野

 私が21年前に初めて購入した一戸建ての家がここにある。先週の日曜日に、何年振りかで(おそらく5年以上か)行ってきた。

 まず驚いたのが、庭木が著しく成長していたこと。車をとめるスペースをも覆い始めていた。梅の木だが、枝は隣地にまで伸びている。幸いにもお隣さんもずいぶん前に引っ越しでしまったので迷惑はかけていない。

 家の中に入ると当然かび臭い。途中で消臭剤を買ってきたので、それをまき散らす。床にところどころ白くなっている。カビの一種であろう。雨が降っていたので少ししか窓を開けられなかったが、いくらかは空気が入れ替わっただろう。

 訪問の目的の一つは、置き去りにしてあった書籍や資料類の発掘である。

 ①文学関係の文庫本
 大半は、松本清張と佐野洋の作品である。それぞれ30冊余りある。他は、夏目漱石、志賀直哉、中上健次、大江健三郎など。

 ②社会科学系の新書
 内田義彦、大塚久雄、丸山真男、高島善哉など。今でも絶版にはなっていないだろう。

 ③政治学、哲学関係の文庫
 国民文庫、青木文庫、岩波文庫である。岩波はまだあるが、ほかはもう手に入らないだろう。アントニオ・グラムシなんていまどき読む人はいるのだろうか。

 ④政治学の専門書や政治思想関係の本
 実家にもかなりの数保管しているが、この家にもいくらか置いてあった。谷川雁の「原点が存在する」があった。この本を知っているのは私の世代が最後だろう。

 ⑤学生時代の文集など
 灘高校29回生の卒業文集があった。私は卒業していないので当然掲載がない。誰かは忘れたがわざわざ友人が送ってくれたものである。また、大学の卒業論文集があった。内容が稚拙でとても読めたものではない。大半が他論文からの引用である。

 ⑥アルバム
 2冊ある。一つは誕生から高校時代までのもの。いずれも貴重なものである。灘高校の修学旅行の集合写真がある。二つ目は大学時代のもの。大半がサークルの合宿の写真である。コンパの風景やハイキングをしているときに撮ったものである。

 以上のうちから特に手元に置いておきたいものを選別して車に乗せて帰ってきた。ただでさえ狭いマンションンの自室がまたまた窮屈になってしまった。大きな書棚がおける、広い一戸建てに住みたいものである。能勢の家は、その条件を備えているが、生活にあまりに不便である。

 

2013年5月19日 (日)

雨ニモマケズ

 宮沢賢治のあまりに有名な詩である。日本人が最も好む詩のひとつであろう。私もその例外ではない。

 全体に流れる「無欲の善意」に惹かれるわけだが、なかでも特に好きな部分を抜き出しておこう。

 「アラユルコトヲ ジブンヲカンヂャウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」

 「東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ」

 「自分を勘定に入れない」という事は全き利他の精神である。そんな境地にはなれそうにもないが、無私の境地から世界を客観的に見てみたい気はする。社会科学を少しは勉強してきたから、そういう位置に自分を置いてみる習慣はあるが、生活の中では欲に囚われて生きているのである。

 「西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い」。この母は自分の母親ではなく、他人の母も含んでいる。最近の「母」はリュックなどを背負い、ずいぶん元気であるようだが、自分の母にでさえ、こんな素直な優しさを表すことができるだろうか。

 できないと分かっていても、こうなりたいという気持ちが多くの日本人にある。このような人間像は権力との関係ではどう評価されるのか。木偶の坊と呼ばれる人間に何ら危険は感じないだろう。母を虐げる権力には立ち向かう必要があるのかもしれない。

 しかし、国家の平和と自らの生活の平安を願う気持ちは意外にも強固であるかもしれない。それを侵す力に対しては。

2013年5月18日 (土)

頑張ってますね 同級生たち

 同級生の皆さんは、仕事以外にも様々な分野で活躍されています。いわゆる趣味の場合もあるし、それを超えた領域である場合もあります。

 先週の日曜日にはF君がリーダーを務めているアカペラグループのシャウトのライブに行ってきました、なかなかのレベルでした。

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 それから別の同級生で弁護士のK君は10月にピアノコンサートをするそうです。多才ですね。でも相当練習はしているはずです。

人間仕事ばかりをしているわけではありませんから、好奇心があればできることはあるんですよね。私も何かやってみたくなりました。

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2013年5月15日 (水)

本性を現したお二人 恥ずかしい限りです

 なんであんな発言をしたのか。意図はなんだったのか。相手の立場に身を置いてみても、分からない。東京のI知事にしても昔から品のいい方ではないので、先日の件はさもありなんという思いでした。今回のH市長も同様ですね。

 以下は昨年の暮れに書いた記事です。

 威勢のいい言葉に騙されるなよ(東のI知事、西のH市長)

ともに高得票で当選した二人。なんでこんな人がと思うが、結果をみると人気はあるんだ。

 二人ともテレビで顔を売り、知名度抜群。ただし、過去を探ると素行はよくない。人を押しのけて有名になるタイプだね。

 派手なパフォーマンスで気を引く。そういう行動が有効だということを知っており、計算ずくでやっている。ところどころに革新的でありそうな言葉を弄して、無党派層を取り込む。

 結局は、競争論者であり、弱いものは淘汰されるという考えだろうな。弱いものに対する同情心や慈しみのこころは持ち合わせていないようだ。そう見えるでしょう。お年寄りや障害のある人に手を差し伸べるような人に見えますか?

 どうして何百万人という有権者が、彼らに投票するんですかね。他の候補の発言や人間性には目を向けないのですか。たぶん、目に入らないのでしょうね。何が、邪魔をしているのかな。「真面目さ」「誠実さ」「弱い者へのいたわり」 こういうものの価値が暴落したのでしょう。「目立つ」「刺激がある」「テレビに出ている」 そういうことが大事なように思わせる力が働いてるんだろうね。

 結果的にバカしか生き残らない社会になるのではないか。これまでの当たり前のことが通らなくなる。聞いてもらえなくなる。まずいね。化けの皮は剥がれているのに、どうして素顔が見えないんだろうか。本当に情けない。

 近くにあんな人いますか。ふつうの人は、もっと常識的で、やさしいでしょう。でも、選挙ではあんな人に入れてしまう。本当に困ったなあ。

 

2013年5月12日 (日)

再度掲載 「アメリカからもらった憲法?」

 この記事は、今年の2月16日に掲載したものである。

 日本国憲法を、「アメリカからもらった憲法」と表現する勢力がある。彼らが言うには、日本の国民の多数がそう思っているのだそうだ。もしも、それが事実だとすれば、彼らの宣伝活動の成果だと言えるだろう。

 日本国憲法は、国民が勝ち取った憲法である。明治以来、自由や平等、最低限の生活や基本的な人権などを求める運動が続いてきた。しかし、特に戦争が始まる前の時期から、それらは容赦なく弾圧を受けてきた。そして、戦争においては、国民の命よりも「国体」が最優先され、軍人だけではなく一般国民にも多くの犠牲者を出した。よく言われるように、死んだ軍人の過半数が餓死したのであり、それだけ多くの餓死者を出した国家は稀有である。

 その国家は戦争に敗れた。もっと早く終結すべきだったが、とにかく終わった。憲法草案は国民主権にまだあいまいな部分があり不十分ではあったが、理不尽な国家と戦うまでには至らずとも長く忍従してきた国民が熱望するものであった。最終的には国民主権が謳われて成立した。これは長き戦いの勝利である。

 「アメリカからもらった憲法」と捉える勢力は、戦前の支配層の系譜にあたる者である。本当は、「アメリカからもらった憲法」というよりも「アメリカから押し付けられた憲法」と言いたいのである。そう言うとあまりに下品なので、もらったという言い方をしているに過ぎない。

 これから改憲に向けて動きが活発化する。首相自らやると言っているのだから間違いない。しかし、反対の世論が強ければ、彼らは動くことができない。選挙制度には問題があるが、幸いにもまだいかさまはない。選挙に勝てないとなれば強硬な主張は引っ込めるだろう。

 わたしたちは歴史から多くを学んだ。戦争の愚はもちろんのこと、多くの政治家はきれいごとは口にするが、信ずるに足る人物ではないことを知ったのである。

 安倍首相の最も優先する政治課題は改憲である。アベノミクスも参院選に勝利して、改憲を成し遂げるための仕掛けに他ならない。

2013年5月11日 (土)

使い道がなかった電子辞書

 結構高い金を出して電子辞書を購入したが、以外にも使う場面がなく、すぐに息子に贈与してしまった。

  辞書機能がメインであるが、日ごろパソコンに向かって仕事をしている者であれば、ネットの検索で言葉の意味は調べられる。わざわざ機械を取り出してきて調べるまでもない。

 他にいろいろソフトが入っている。ビジネス書が何冊か入っていて読むことができるが、好き好きがあって、私が読みたいと思うものはなかった。また、著作権の切れた小説などが収められていて興味深いものもあるが、小さい画面で読むことには抵抗があった。やはり紙が良い。他に、カレンダーやメモ機能も付いているが、いつも身に着けているわけではないので使うことはない。

 ということで、買う前にはずいぶん魅力的に感じた商品だったが、私にはほぼ無用の長物であった。振りかえれば、こういうことは何度かあった。ザウルスを買った時もそうだったな。あれは少しは利用したが、でも全然元が取れていない。

 でも嫁さんはそうではなかったからよかったな。(物扱いしてごめんなさい)

2013年5月 6日 (月)

エイジシュートが目的ではない 尾崎将司

 ジャンボ尾崎がエイジシュートを達成した。パー71のコースを62で回った。快挙である。

 インタビューを聞いていて、もっともだと思ったのは、私はエイジシュートをやるためにツアーに参加しているのではない。目指すは優勝しかないという発言だ。そうであろう。エイジシュートというものはついでのものである。1ラウンド良かっただけでは評価もされないし、お金も稼げない。4日間で結果を出すことがプロとしてのミッションなのである。

 とはいえ、その日のプレーは往年の強さを思い出させるものであった。その後は腰痛や疲れが出て後退していったが、神がかり的なプレーは強い人にこそ出るプレーであることは間違いない。クラブを杖にして歩いたり、椅子に座って休んだりと、痛々しい姿であるが、プレーが遅れなければ迷惑はかけないわけで、そこは他人に迷惑をかけないで済む個人プレーの良さであろう。

 *石川遼に予想を超えるスーパープレーが出なくなったのはなぜだろうか。  

2013年5月 5日 (日)

黄金の日 穏やかなりし くにの朝

 三年に一度の割合で黄金週間を郷里で過ごす。天気が良ければ絶好の散歩日和となる。今日はまさにその日である。寒からず暑からず、日差しがややきついものの、こんな日は年に幾度もない。

 というわけで私は野に誘い出される。少し足を伸ばすと田園地帯にすっと出る。田植えが終わったばかりのようだ。珍しくもないが、白鷺が餌を狙ってあちらこちらにたちならぶ。ドジョウなどの小魚が少なくなったので大変だろう。

   散歩の収穫の最高のものは鶯の鳴き声である。特に海岸沿いの松林を歩いていると数百メートルおきに聞こえる。それぐらいが縄張りの範囲なのだろう。

   会社を忘れ、仕事を忘れ、政治経済の難問も頭からかき落として立ち入ったこの空間は、浮き世から隔絶されたまさに桃源郷のような世界である。

 
   水田で作業する人々にとってはただの日常にすぎないのだろうが。
                                            (郷里から携帯にて)

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5本の毒矢?

 アベノミクスの「3本の矢」はマスコミが繰り返し報道した成果で、多くの人に知られるようになった。おさらいしておくと、三本の矢とは、①大胆な金融緩和、②機動的な財政出動、③民間投資を喚起する成長戦略である。

 これに対し、ある政治家から安倍内閣が放つ「5本の毒矢」という発言があった。折れた矢という言い方もあったが、毒矢という言い方はさらに辛辣である。その発言の意味するところは、すでに3本の矢は過去に失敗を経験済みの政策であり、加えて消費増税と社会保障制度の後退を加えれば、国民生活をさらに悪化させる毒入りの政策のオンパレードだということである。

 これについては様々意見があるだろう。確かに、失敗すればその毒が回ることが予想される。金利の上昇、財政危機の招来、格差の拡大・・・。どうなるか分からないが、5本の毒矢とはうまく言ったものである。

2013年5月 4日 (土)

半分・灘高生だった私 10

 けっきょく、灘高とは私にとって何だったのだろうか。都会からはずいぶんと離れた地方に育った私が、兄と同じように県庁所在地にある私立中学に進み、親から離れた孤独感と戦いながら3年間生きた。そこそこの成績で、代わり映えのしない毎日の平穏を破ったのは灘高合格という目標だった。思いっきり飛び上がっても届くかどうか分からないような無謀な挑戦だったが、それが逆に火をつけた格好になった。これ以上無理だという次元まで追い込んで合格した。

 さて入ったところは、場所としては居心地の悪いところではなかった。ただし、あまりの無理が神経をすり減らし、また苦手な科目の陥没が苦痛に感じられたことで、憂鬱な時間と空間に入り込んでしまったのだ。それがなければ十二分に楽しい学園生活であったろう。互いによい刺激を与えられる仲間がおり、水準の高い先生がいた。難関を突破したという充足感もあった。

 しかし、全うできなかった。転校して、引き続き高校生活はあったのだが、単なる連続ではなく、そこには空白があった。あるいは、見えない空間があったというべきかもしれない。それは「恐れ」であっただろう。空間を埋めてしまえば、過去を見ざるをえなくなる。過去を透視できないように暗闇を設ける必要があったのである。気持ち次第で過去の解釈を変えてしまえば、それまでだったのかもしれない。が、そういう時間を長く過ごさねばならなかった。

 それを救ってくれたのは、同窓会に誘ってくれた弁護士のD君だったのだと、今から考えればそう理解できる。それ以降は、これまで書いた通りである。

 振り返ると灘高は私にとっては決して軽んずることのできない存在であり、記憶である。在籍は2年と数か月。通学したのは正味1年半。50代半ばの私には人生のうちのほんの一部ではあるが、それを除いて自身を考えることができない必須の要素であることは間違いないのだ。

 光と影が混在し、視界不良であった時代。あのことをきっかけに一気に解放されたが、それは真の解放ではなかった。

2013年5月 3日 (金)

半分・灘高生だった私 9

 休みの日には六甲道のおばの家に行き、食事をごちそうになった。おばの主人は三宮の北長狭通りでクリーニング店を営んでおり、いとこもおじと一緒に仕事をしていた。震災の時には三宮の仕事場にいて建物が倒壊したが、幸いにおじもおばも無事だった。六甲道にいたいとこ家族も家が潰れたにもかかわらず皆無事だった。

 私が灘に合格した時には、おばが発表についてきたが、たいそう喜んでくれた。他の神戸在住の親戚筋は受かったら逆立ちして神戸の街を歩くと言ったそうだが、それも無理からぬことであったろう。

  次第に神経を患った私は学校へも行くのも億劫になり、たまに欠席するようになった。親元から連絡がいったのであろう、いとこが「なにしてるの!」と訪ねてきた。迷惑をかけたが、正直、人への迷惑など考える余裕もなかった。その時はたしか「平和荘」というアパートに住んでおり、1階はオーナーが経営する大衆食堂だった。そこでもすごくお世話になった。いつか当時のお礼に伺おうと思っていたが、行けなかった。もうご存命ではあるまい。

 賄い付き下宿 ⇒ アパート ⇒ (休学) ⇒ 賄い付き下宿 ⇒ 転校 これが私のたどった道である。転校の時は文字通りバタバタの状態で、下宿のおばさんには本当に迷惑をかけた。後からでもお詫びにうかがうべきだが、思い出したくないことが多く、神戸に足が向かわなかった。もう他界されているだろう。

 あまり思い出したくない過去であっても、一度一から棚卸をする必要があるだろう。

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