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2013年5月 4日 (土)

半分・灘高生だった私 10

 けっきょく、灘高とは私にとって何だったのだろうか。都会からはずいぶんと離れた地方に育った私が、兄と同じように県庁所在地にある私立中学に進み、親から離れた孤独感と戦いながら3年間生きた。そこそこの成績で、代わり映えのしない毎日の平穏を破ったのは灘高合格という目標だった。思いっきり飛び上がっても届くかどうか分からないような無謀な挑戦だったが、それが逆に火をつけた格好になった。これ以上無理だという次元まで追い込んで合格した。

 さて入ったところは、場所としては居心地の悪いところではなかった。ただし、あまりの無理が神経をすり減らし、また苦手な科目の陥没が苦痛に感じられたことで、憂鬱な時間と空間に入り込んでしまったのだ。それがなければ十二分に楽しい学園生活であったろう。互いによい刺激を与えられる仲間がおり、水準の高い先生がいた。難関を突破したという充足感もあった。

 しかし、全うできなかった。転校して、引き続き高校生活はあったのだが、単なる連続ではなく、そこには空白があった。あるいは、見えない空間があったというべきかもしれない。それは「恐れ」であっただろう。空間を埋めてしまえば、過去を見ざるをえなくなる。過去を透視できないように暗闇を設ける必要があったのである。気持ち次第で過去の解釈を変えてしまえば、それまでだったのかもしれない。が、そういう時間を長く過ごさねばならなかった。

 それを救ってくれたのは、同窓会に誘ってくれた弁護士のD君だったのだと、今から考えればそう理解できる。それ以降は、これまで書いた通りである。

 振り返ると灘高は私にとっては決して軽んずることのできない存在であり、記憶である。在籍は2年と数か月。通学したのは正味1年半。50代半ばの私には人生のうちのほんの一部ではあるが、それを除いて自身を考えることができない必須の要素であることは間違いないのだ。

 光と影が混在し、視界不良であった時代。あのことをきっかけに一気に解放されたが、それは真の解放ではなかった。

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