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2013年4月 6日 (土)

半分・灘高生だった私

 私は、アントニオ天谷という筆名でブログを書いてきた。アントニオ天谷が私だと知っている人は、会社の後輩の一部と高校と大学の同級生の一部である。

 私には、これまであまり語りたくない過去があった。どうしても書きたいときは、自分自身の過去ではない偽装を施した。しかし、年齢が五十代半ばを過ぎる、すなわち残りの人生がこれまで生きてきた時間よりもうんと短くなると、隠している必要性も徐々に薄まる。残された期間に過去の事実をさらけ出したい気持ちもある。もはや守るものがなくなりつつあるからである。できることなら、こんな人間がいたこと、こんな人生を歩んだ男がいたことを知ってもらいたいという思いがある。

 私は兵庫県にある私立灘高校に入学し、途中で転校している。転校したのは、入学から2年と2~3ヶ月経過した時期、順調であれば高3になっている時期である。私は当時神経を患っており、治療のために休学していた。復帰するまでに半年以上要したので、留年してしまった。いったん戻ることができたが、高2で再スタートとなった。そしてしばらくして転校。正味通学したのは1年半、すなわち高校時代の半分は灘高生だったのである。

 とはいえ、別の高校(三重県立K高校)を卒業しているので、灘高OBとは言い難い。にもかかわらず灘高出身者という認識を持ちうるのは、いまだに同窓会に誘われるからである。

 (明日に続く)

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