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2013年4月21日 (日)

半分・灘高生だった私 5

 高1の時の担任はO先生。すでに亡くなっている。高2の時の担任はK先生である。当時20代の若い先生だったから、まだお元気で活躍されている。私はこの先生に大変お世話になった。

 K先生は東大出身であるが、貧しい家の生まれだと言っていた。東大に入った途端に親戚の態度が変わったそうだ。大学時代は自治会の活動をしていたそうで、話の内容からくみ取れる歴史観は左翼的なものであった。そういう点でも私に少なからぬ影響を与えている。

 K先生にはいろいろ悩みを聞いてもらった。あるとき、三宮で統一教会の勧誘に誘われて教会?についていったことがあった。そこでは信仰の話ではなく政治の話を聞かされた。誘ったのは成人の女性だったが、とてもきれいな人で、それに惹かれていったようなものだった。K先生にその話をすると、行かない方がいいよと言われた。今考えると懸命なアドバイスである。

 K先生は当時、周りに雑草が茂った古びた一軒家に住んでいた。学校からそう遠くない場所にあったと思う。そこで話を聞いてもらうのだが、先生は紅茶が好きで、私にも入れてくれた。私は話を聞いてもらうとずいぶん気持ちが楽になったが、根本的な解決にはならなかった。

 私は神経を患っていたので、そのまま灘高の生活を続けられなかった。いたたまれなくなって天王寺発の夜行急行で田舎に帰ったこともあった。釣り客が多く乗る列車で満席になることが多かった。早朝に家に着くと、当然ながら両親は驚いた。後で家内を通じて聞いた話では、夫婦二人で泣いたこともあったらしい。後から考えれば申し訳ない行動だが、その時はそう考える余裕などは全くなかった。

 仕方なく、休学することにしたのである。

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