« 半分・灘高生だった私 7 | トップページ | 食博2013 ゆるキャラ »

2013年4月29日 (月)

半分・灘高生だった私 8

 灘の学園生活で記憶に残ることを書き並べると、体育祭、文化祭、修学旅行、野球部など。

 体育祭ではスエーデンリレーに出場し、半周走った。当時一学年下には幸田という生徒がおり、全国的にも有名なランナーだった。彼の走るところも見たが、並みの走りではなかった。入場行進で後ろ向きに行進したクラスがあった。規律に厳しい宗教系の学校だったら考えられないことである。

 文化祭では劇に出演した。素人のにわか芸で、とても鑑賞できたものではなかっただろう。灘の文化祭といえば、今は女子が押しかけて大賑わいだが、当時はそんなことはなかった。一部に女子と遊んでいる生徒もいたが、特に高校から入った連中にはそういうタイプはほとんどいなかった。

 修学旅行は九州。フェリーで行ったので、船酔いで苦しかった。それが一番の思い出だ。それからバスガイドさん。宮崎交通のガイドさんだ。えびの高原を歩いたが、足元が悪かったのでガイドさんに手を差し出したのだが無視された。聞くところによれば、その後文通していた生徒もいたらしい。その他の出来事では、どこかのドライブインに入ったときのことだが、他校の生徒が灘高校の生徒が珍しいらしく、バスの周りに群がってきたことがあった。見世物じゃないぞと思った。

 2年生になってから野球部に入った。しばらくして休学したので、短期間だった。当時キャプテンでその後医師になったM君は少しだけ覚えてくれていた。間もなく夏の高校野球の予選が始まる時期だったので、人数の関係で初めからベンチ入りメンバーだった私は新聞に名前が載ったのである。

 こんな断片が思い出されてくる。封印された記憶だったが、最近それが解放されつつある。

« 半分・灘高生だった私 7 | トップページ | 食博2013 ゆるキャラ »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 半分・灘高生だった私 7 | トップページ | 食博2013 ゆるキャラ »