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2013年4月13日 (土)

半分・灘高生だった私 3

 私は灘高校を受験して合格したのだが、中学の成績がずば抜けてよかったわけではない。三重県でトップの私立中学だったからそこそこのレベルはあったのだが、そのなかで2年生までは中の上ぐらい。3年に入ってから上のグループに入り、入試直前でも上の中ぐらいだった。しかし、恐るべき集中力を発揮して飛躍的に力が伸びていったことは事実である。以前にも書いたことがあるが、唯一自慢できることは、塾へも行かず、家庭教師も付けずに灘高の試験をパスしたことである。ただし、ずいぶん無理をしてしまったので、それが後の病気を生んでしまった。

  灘高で苦労したのは病気の件もあるが、数学の授業についていけなかったことが大きい。元来苦手な科目だったが、入試は幸運もあってまずまずの成績で通過した。しかし、やはり苦手科目だったので、授業のスピードについていけなかった。とにかく2年分を1年でやってしまうのだから早い。教科書など理解しているのが前提である。私は理解するのに時間がかかる方なので(いったん理解すれば応用は利くのだが)、分かる前に次に進んでしまっているのである。同様に物理も苦手だった。

 このような状況で試験を受けると10点とか20点という点数が付く。さすがに落ち込む。これまでそういう経験がなかったからである。文系の科目の場合はまあまあ人並みには理解できていたと思うのだが、ひどい科目があると勉強全体に影響を及ぼして、面白くなくなっていく。結局私は国立大学を受験しなかった。転校して遊んでしまったことも大きいが、数学と理科を勉強しようという意欲が湧かなかったからである。それでも、地方の高校は授業の進度が遅いので、基礎は十分に理解できていた。まあ、のんびりしていたから病気もすぐに快復したのだが。

 大学は私立文系一本。勉強しなかったので、志望大学には不合格。行きたいのは早稲田大学の政治経済学部だった。とはいえ、感触としては合格に近い線にはあったように思う。これは灘の時の貯金があったからだ。それからさらに半年は遊んでしまったが、9月から予備校に通い真面目にやった。すると成績も順調にあがり、次は政治経済学部政治学科に合格したのである。

 そういうわけで、灘の連中が東大、京大、その他の大学の医学部に進むのが当たり前であったのとは対照的に、私立大学に進んだ。大学在学中に、同じ学科に灘の人が入ってきたが、すぐに出てこなくなり、次の年には東大に進んでいた。早稲田に進むのは、ジャーナリストの勝谷誠彦や私のように、特定の科目が極端に弱いという場合であろう。

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