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2013年4月 7日 (日)

半分・灘高生だった私 2

 あれはずいぶん昔の話で、結婚はしていたと思うが、子はまだ小さかったはずだ。その時期に灘高校第29回卒業生の同窓会に呼ばれた。呼んでくれたのは、同じく高校から入学した岐阜県出身で弁護士のD君であった。なぜ呼んでくれたのか理由は確認していないが、最近知ったところだが、卒業アルバムに私の写真が載っているだそうだ。この写真は、私が休学しているときに元気であることの証拠として送ったものに違いない。これを見て、呼んでみようという考えが浮かんだのではないかと推理する。

 その時は大阪に住んでいたが、東京まで出かけて行った。確か、法曹会館で行われ、結構な人数が参加していた。しかし記憶では、そこに知った顔は少なかったように思う。今になって分かることだが、同窓会への参加率は中学から入った者の方が高いようである。結びつきの深さを考えれば、これは当然のことなのである。

 その後、神戸で開かれた同窓会に二度呼んでもらい参加した。一度は、二次会にも参加している。二次会は、同じクラブに入っていた者同士が集まる傾向があるようだ。
 回を重ねると顔見知りも増えてくる。これをきっかけに年賀状のやり取りが始まることもある。そうすると、次に会ったときに「どうも」と、挨拶を交わすことになる。

 それから数年経過し、関西在住者の同窓会に参加することになる。こうやって何度か顔を出していると、あたかもOBであるかのような振る舞いが生じ、周りも特別意識しないことにより、違和感なく、その関係に入り込んでしまうことになる。これによって不利益を被る者はないだろうし、逆に特別な利益を生むことにもならない。集まる人数が一人増えたという事は、それだけ入ってくる情報の増加につながるわけで、それが集団の利益といえば言えなくもない。

 現在、こういう状況にあるのである。

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