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2013年3月 2日 (土)

真に未来を欲する者たち

 若くして定職を失うと、元のレールに戻ることが難しくなる。正社員への採用には高いハードルがそびえている。採用する側に立っているからよく分かるが、履歴書に切れ目があることは大きなハンデキャップである。履歴書の中身が「スカスカ」の状態では、面接に至る前に書類選考でふるい落とされる。

 生活するにかつかつの収入では、蓄えはできない。過去の蓄えがあったとしても、それを切り崩しながら生きていくことになる。いずれその蓄えはなくなる。そして、「その日暮らし」が始まる。

 住む家がない。ホームレスである。冬は寒さに震え、夏は藪蚊の襲来に耐えなければならない。その日の稼ぎにありつけたら、ネットカフェに逃げ込むことができるだろう。シャワーで身ぎれいにして、いくらか明日への生気を養うものの稼ぎはほとんど使い尽くしている。あした仕事がなければ路上生活に逆戻りだ。

 どうしたら抜け出せるか。やはり少しずつでもお金が貯まらなければならない。もしも無料の宿泊施設が供与されたら、立ち直りのきっかけになるだろう。私は以前から、住む家、教育の機会、医療の三つは国から提供されるべきだと思っている。それ以外は本人の努力によればいい。条件がそろえば、意欲次第で自活が可能になるだろう。

 しかし、これは容易に実現しそうにない。現在の日本では、一度負の循環に陥った者は浮かび上がらないのである。若者に限ったことではない。自殺者(「自死」という言い方もある)の数が高止まりしているのは、社会的、経済的背景による。決して、気持ちの弱さなどから説明できるものではない。

 このような立場の人たちにこそ、「未来」が必要なのである。今この境遇を抜け出すことができないとすれば、未来に託すしかない。豊かな人たち(実は一握りではあるが)にとって未来が持つ価値は小さい。守るべきは「今」である。失うものがあるのである。

 北原ミレイが歌ったうたを思い出す。そのタイトルは「捨てるものがあるうちはいい」であった。

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