« 事業の拡大とは実はこういうことなのだ | トップページ | 日本の社会を大きく変えたのは何であったのか »

2013年3月24日 (日)

落涙禁じ得ず 忠臣蔵

 私は元来涙もろいタイプである。父親もそうだったから遺伝なのかもしれない。

 涙が止まらない芝居がある。芝居と言っても映画やテレビドラマだが、繰り返し制作されている「忠臣蔵」である。泣きどころ、泣かせどころというのがある。松の廊下は泣く場面ではない。涙を溜める場面である。切腹に至るすじが進むにつれて溢れだす。浅野内匠頭の無念があたかも自分の無念として沸き立ってくる。抑圧を感じながら生きているから共感するのであろう。

 次は、大石内蔵助が赤穂城で、仇を討つと宣言する場面。それまで殉死で話を進めていたが、皆が覚悟を決めて集まったところで真意を打ち明けるのである。「内蔵助の望みはただ一つ、怨敵吉良上野介の首でござる。」(主に、フジテレビ制作のドラマをイメージしながら書いているが、そこでは内蔵助は仲代達矢が演じ、内匠頭は中井貴一だった。ちなみに吉良上野介は大滝秀治。)

 その次は、内蔵助が日野家の垣見五郎兵衛を名乗って江戸に下っている途中、本人と遭遇する場面がある。ここも見どころで、先のドラマでは本物を中村梅之助が演じている。対面している間に赤穂の浪士と分かり、自分は偽ものだと引き下がる。内蔵助は、「武士は相身互い。よくよくのご事情があってのこととお察し申す。苦しき境遇にあればこそ、人の情けは身にしみてありがたきもの。」と答え、五郎兵衛は日野家の道中手形を差し出す。両人とも誠に上手い演技である。

 他にも泣ける場面はたくさんある。泣いてストレスを発散したいときは忠臣蔵に限る。

« 事業の拡大とは実はこういうことなのだ | トップページ | 日本の社会を大きく変えたのは何であったのか »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 事業の拡大とは実はこういうことなのだ | トップページ | 日本の社会を大きく変えたのは何であったのか »