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2013年1月 5日 (土)

「美少女信仰」の始まりと現在

 美少女に対するあこがれが昂じると、信仰のレベルに達する。若い男子が美少女に憧れを抱くのはごく自然なことだろう。しかし、振り返ってみれば、美少女なるものが世間のあちらこちらにいるはずがない。私が若いころにはテレビやレコード音楽が全盛の時代であって、アイドルが数多く生み出された。だから、身近では見ることのできない美少女がブラウン管や雑誌を通じて、世の中にまき散らされたのである。そして、多くの男子が美少女病に侵されたのである。古くは原節子や吉永小百合だろうが、私の世代は専ら歌手であり、中三トリオやらアグネス・チャンやらが人気だった。その後もしばらくは同じような状況だった。

 ところが最近では、美少女歌手と言うジャンルが無くなってしまった。歌は、ビジュアルよりも歌そのもで評価されるようになった。もちろん、ビジュアルが伴えばより良いのであるが。今や美少女と言えば、女優であり、モデルであろう。AKB48などもあるが、美少女の軍団とは言えない。美少女はそんなにたくさん居てはいけないのである。

 さて、若い時に洗脳されたせいであろうか、私はこの歳になっても美少女信仰がやまない。信仰の対象は、深田恭子であり、上戸彩である。特に深田は10年来のファンであり、私の美少女界の中央に鎮座している。美少女界の始まりは深田であり、いわば大日如来のような存在である。
 続く、上戸彩はそれとは位置づけが随分違う。彼女は俗世の人間だ。人間臭ささがある。ある日、彼女は私の夢の中に忽然と姿を現し、私に微笑みかけた。その可愛らしさは筆舌に尽くしがたい。その残像を追い求めて、ネットで近いイメージの画像を探し出したが、夢のなかの彼女とはやはり少し劣る。実は上戸彩ではなかったのかもしれない。上戸彩の姿を借りた観音菩薩であったのかもしれない。私はしばらく幸福な気分であった。

 これが私の美少女遍歴である。(私の家内も元は美少女であった・・・ということにしておこう)

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