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2012年12月24日 (月)

スポーツにおける公平性について 高校駅伝を観ながら

 共通のルールに基づいて競技が行われなければならない。同じ場所で、同じ(あるいは決められた規格内の)道具を使わなければならない。

 公平性とは、このような限られた範囲の決めごとに従うことを意味している。だから、ここから外れる事項においては、公平でないことが様々見いだすことができる。

 屋外の競技であれば、自然条件の影響を受ける。たとえばスキーのジャンプ競技では風の影響が大である。いい風をもらえば距離が伸びる。もっとも、それを活かす技術があった上での話だが。何度も飛ぶ機会があれば、そういう運不運も相殺されて公平になるだろうが、オリンピックであれば4年に1度なので、やはり運も勝敗の要因になってしまう。
 ゴルフはまともに自然の影響を受ける。スタートの早い組みと遅い組では条件がまったく違うことがある。風の吹く吹かない、雨の降る降らないで違う。もっとも、ゴルフはプロスポーツであるし、年に何十試合もあり、また選手寿命が長い。悪い時もあれば、いい時もある。
 陸上競技も天候の影響を受けるが、記録が出る出ないは別にして、同時に競技を行うなら条件は同じだ。トラック競技でどのコースを走るかは多少影響があるのかもしれないが、これは得手不得手の部分もある。

 スタートに立つまでにはたくさんの条件の違いがある。競技者の素質に違いがあるのは自明のことだ。これを嘆いても仕方ない。練習環境の違いがある。豊かで、スポーツに理解のある国では、いい条件で練習を積むことができる。逆に、ひどい条件で練習せざるをえない選手もいる。しかし、競技ではハンデチャップは付けられない。(ハンデというと、競馬を思い出す。馬齢と牡牝によって斤量に差を付ける。あるいは実績で差を付ける場合もある。これはギャンブルだからこその措置であろう。)

 団体スポーツを考えると、どれだけ有力な選手を集めるかで結果が違ってくる。分かりやすい例で言うと、高校や大学の駅伝競技で、ケニアなどの国から力のある留学生を連れてくれば、それだけでチーム力がかさ上げされる。一人で1分も2分も稼ぐことができる。これを不公平だと考える人も多い、だから、高校の場合は、走れる人数を2人から1人に減らし、走る区間にも制限を設けた。(あまりに力の差がありすぎるから、こういう措置が必要になったのだが)
 しかし、同じ理屈で言えば、外国人を使わないチームでも、他県の才能があり、優秀な選手を引っ張ってきている。外国でないだけで、選手の補強という論理は同じである。野球などはもっと露骨かもしれない。青森代表で甲子園に出場したチームのレギュラーの大半が関西出身だったという例もある。実質の大阪第2代表だなどと批判を浴びた。

 このように、細かく考えれば、公平さなどというものは、非常にあやふやなものなのである。しかし、スポーツをやることに、また見ることに大きな意義を見いだしたいのであれば、最低限の公平さは必要だろう。ルールは基本的に変えるべきでないし、その解釈も明確に定義すべきだ。また、変える場合には目的を明確にすべきである。ルールの変更は、間違いなく選手間の力関係を変えてしまうからである。

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