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2012年12月の投稿

2012年12月31日 (月)

水準の高いボクシングを見せた井岡

 (携帯より投稿)

 ノックアウトは時間の問題だった。ジリジリと追い詰めていった。相手はなすすべがなかった。
 あのスピードと破壊力は軽いクラスでは特別である。クラスと左右の違いはあるが引退した 西岡と並び称していいボクサーになっていた。
 それだけに前の試合とのレベル差が目立ってしまった。もっと打ち合うべきだった。11ラウンドは倒しにいかなければならない。いかなかったのか、いけなかったのか。おそらく、いけなかったのだろう。結果は勝ちだったが、ファンならともかく私には見ていて面白くない試合だった。
 ただただ井岡の強さが目立った中継だった。

12月31日 混乱の一年

 政治にしても、経済にしても、方向が定まらず、はっきりしない一年だった。これを過渡期と言ってしまうと、80年代からずっと過渡期が続いていることになる。過渡期と言うのは、次が見えているから過渡なのである。

 ●東日本大震災からの復興は思うように進みませんでした。仙台へ行って実感しました。

 ●デフレはなお続いています。私の会社の製品も値下がりがあって、利益確保は容易でありません。原材料価格が予想より上がっていないので、まだ助かっていますが。

 ●給与所得者の年収が下がり続けています。10年前より1割減です。特に賞与が減りました。

 ●高卒、大卒の就職内定率が低いままです。フリーターの若者が増えていて、これは日本の未来にとって本当に深刻な問題です。

 ●尖閣列島の問題は会社にも影響が出ました。今や互恵的な関係にあるのだから、うまく解決してほしいものです。

 ●押し迫ってから選挙がありました。問題の根本的な解決が先送りされました。国民はまだ高度成長期の夢を捨て切れていません。

 ●ミニバブルが起こるのでしょうか。これで一部の人が儲けるでしょうが、市場が荒れてしまうでしょうね。財政はさらに悪化します。国民の希望をさらに奪います。

 とにもかくにも、日本の未来像をはっきりさせましょう。何かを得るためには、何かを犠牲にしなければならないのも事実です。我慢することも含めて、ある程度の国民的合意が必要です。

 思考しましょう。判断しましょう。決断しましょう。行動しましょう。

2012年12月30日 (日)

大食いはそんなにすごいことか

(携帯より投稿)

 まだ大食い大会をやっている。大食い女王の価値ってどこにあるのだろうか。大相撲の力士にとって食べることは強くなるための手段でもあるのだが、女王にとったら大食いが自己の存在証明であり、食いぶちでもあるのだろう。

 食べるものを大切にすることは今の社会に共有される価値である。残した食べ物はスタッフが食べたと言い訳のように書いていたが、この企画自体が大いなる無駄ではないか。

 よくよく考えれば、こういうことしか考えられないテレビ局に一番の問題がありそうだ。
それから気になるのは、出演者が食べたものをすべて消化したかどうかである。消化し、エネルギーにし、正常に排泄してこそ最低限の言い訳にはなるだろう。

 次に腕相撲があるので見てしまったが、女王の食べっぷりに不快感を覚えてしまった。

威勢のいい言葉に騙されるなよ(東のI知事、西のH市長)

 ともに高得票で当選した二人。なんでこんな人がと思うが、結果をみると人気はあるんだ。

 二人ともテレビで顔を売り、知名度抜群。ただし、過去を探ると素行はよくない。人を押しのけて有名になるタイプだね。

 派手なパフォーマンスで気を引く。そういう行動が有効だということを知っており、計算ずくでやっている。ところどころに革新的でありそうな言葉を弄して、無党派層を取り込む。

 結局は、競争論者であり、弱いものは淘汰されるという考えだろうな。弱いものに対する同情心や慈しみのこころは持ち合わせていないようだ。そう見えるでしょう。お年寄りや障害のある人に手を差し伸べるような人に見えますか?

 どうして何百万人という有権者が、彼らに投票するんですかね。他の候補の発言や人間性には目を向けないのですか。たぶん、目に入らないのでしょうね。何が、邪魔をしているのかな。「真面目さ」「誠実さ」「弱い者へのいたわり」 こういうものの価値が暴落したのでしょう。「目立つ」「刺激がある」「テレビに出ている」 そういうことが大事なように思わせる力が働いてるんだろうね。

 結果的にバカしか生き残らない社会になるのではないか。これまでの当たり前のことが通らなくなる。聞いてもらえなくなる。まずいね。化けの皮は剥がれているのに、どうして素顔が見えないんだろうか。本当に情けない。

 近くにあんな人いますか。ふつうの人は、もっと常識的で、やさしいでしょう。でも、選挙ではあんな人に入れてしまう。本当に困ったなあ。

2012年12月29日 (土)

給与所得者の実態 国税庁の調査より

 1 平成13年度と平成23年度の調査の比較

平成13年度 給与所得者総数 45,097千人、年間平均給与額 4,540千円、平均年齢43.0歳
平成23年度 給与所得者総数 45,657千人、年間平均給与額 4,090千円、平均年齢44.7歳

 人数は微増であるが、平均給与額はちょうど1割減少している。この大きな減少はデフレの結果でもあるが、その原因にもなっていると考えられる。平均年齢は1.7歳上昇し、高齢化の現象と捉えることができる。

 2 業種別平均給与

 平均給与を業種別にみると、最も高いのは電気・ガス・熱供給・水道業の713 万円
次いで金融業,保険業の577 万円となっており、最も低いのは宿泊業,飲食サービス業
230 万円となっている。巨額のインフラ投資が必要で事業を独占できる業種は高い。また直接巨額のお金を動かす仕組みを作っている業種も高い。逆に、、高度な教育や技能を必要とせず、パート・アルバイトの比率が高い接客・サービス業が著しく低くなっている。

 ほかにもデータはあるが、この2点だけにしておく。

 1の現象はなおも続いている。企業の業績を反映して、月々の給料よりも賞与の方が減り方が激しい。原発の問題が関わるのでやや特殊であるが、関西電力は来年の夏の賞与をゼロにすると言っている。住宅ローンの賞与払いの部分をどうやって埋めるのだろうか。元々他の産業、他の企業に比べて待遇はよいのだが、原発に関しては国策で動いている面が強く、社員が悪いことをしたわけではない。

 2の現象は、その差が縮まるかもしれない。上の方が落ちてきて、下はあまり下がらない。下はこれ以上下がりようがない。下げようと思ったら全員アルバイトにしなければならない。

 この2点だけでも、現在の日本経済、日本社会の構造的な問題点が分かる。

2012年12月28日 (金)

本田宗一郎氏の講演より 2

 「人に聞く(尋ねる)ということは、相手を尊重すること」である。

 講演のなかの言葉である。たとえば、経営者も会社の現状がすべて分かっているわけではない。また、すべてを数字でつかむのは至難の業である。本田氏も技術的なことには詳しいが、経営については不得手な部分が多く、相棒の藤沢氏に任せていた。

 知らないこと、分からないことは聞けばよい。人に頼ることは、頼る相手を尊重することである。存在価値を認めることである。何でも分かり、何でも自分で判断し、やってしまう人間には人を敬う心が育たない。弱みを認識し、そこは人に助けてもらうのが謙虚な態度であるし、そうするしかないのである。

 本田氏は「得手に帆上げて」ということをモットーにしていた。これは企業にも言えるし、個人にも言えることだ。すべてに成功することは、能力を超えた願望である。足りない部分は助け合う。個人間でも、組織の間でも、国と国との間でもそうだ。その原則に従えば、仲違いや紛争を回避することができる。

2012年12月24日 (月)

スポーツにおける公平性について 高校駅伝を観ながら

 共通のルールに基づいて競技が行われなければならない。同じ場所で、同じ(あるいは決められた規格内の)道具を使わなければならない。

 公平性とは、このような限られた範囲の決めごとに従うことを意味している。だから、ここから外れる事項においては、公平でないことが様々見いだすことができる。

 屋外の競技であれば、自然条件の影響を受ける。たとえばスキーのジャンプ競技では風の影響が大である。いい風をもらえば距離が伸びる。もっとも、それを活かす技術があった上での話だが。何度も飛ぶ機会があれば、そういう運不運も相殺されて公平になるだろうが、オリンピックであれば4年に1度なので、やはり運も勝敗の要因になってしまう。
 ゴルフはまともに自然の影響を受ける。スタートの早い組みと遅い組では条件がまったく違うことがある。風の吹く吹かない、雨の降る降らないで違う。もっとも、ゴルフはプロスポーツであるし、年に何十試合もあり、また選手寿命が長い。悪い時もあれば、いい時もある。
 陸上競技も天候の影響を受けるが、記録が出る出ないは別にして、同時に競技を行うなら条件は同じだ。トラック競技でどのコースを走るかは多少影響があるのかもしれないが、これは得手不得手の部分もある。

 スタートに立つまでにはたくさんの条件の違いがある。競技者の素質に違いがあるのは自明のことだ。これを嘆いても仕方ない。練習環境の違いがある。豊かで、スポーツに理解のある国では、いい条件で練習を積むことができる。逆に、ひどい条件で練習せざるをえない選手もいる。しかし、競技ではハンデチャップは付けられない。(ハンデというと、競馬を思い出す。馬齢と牡牝によって斤量に差を付ける。あるいは実績で差を付ける場合もある。これはギャンブルだからこその措置であろう。)

 団体スポーツを考えると、どれだけ有力な選手を集めるかで結果が違ってくる。分かりやすい例で言うと、高校や大学の駅伝競技で、ケニアなどの国から力のある留学生を連れてくれば、それだけでチーム力がかさ上げされる。一人で1分も2分も稼ぐことができる。これを不公平だと考える人も多い、だから、高校の場合は、走れる人数を2人から1人に減らし、走る区間にも制限を設けた。(あまりに力の差がありすぎるから、こういう措置が必要になったのだが)
 しかし、同じ理屈で言えば、外国人を使わないチームでも、他県の才能があり、優秀な選手を引っ張ってきている。外国でないだけで、選手の補強という論理は同じである。野球などはもっと露骨かもしれない。青森代表で甲子園に出場したチームのレギュラーの大半が関西出身だったという例もある。実質の大阪第2代表だなどと批判を浴びた。

 このように、細かく考えれば、公平さなどというものは、非常にあやふやなものなのである。しかし、スポーツをやることに、また見ることに大きな意義を見いだしたいのであれば、最低限の公平さは必要だろう。ルールは基本的に変えるべきでないし、その解釈も明確に定義すべきだ。また、変える場合には目的を明確にすべきである。ルールの変更は、間違いなく選手間の力関係を変えてしまうからである。

2012年12月23日 (日)

ミスターオリンピア 歴代チャンピオンについて

 1965、66年 ラリー・スコット
 1967、68、69年 セルジオ・オリバ
 1970、71、72、73、74,75年 アーノルド・シュワルツェネッガー
 1976年 フランコ・コロンブ
 1977、78、79年 フランク・ゼーン
 1980年 アーノルド・シュワルツェネッガー
 1981年 フランコ・コロンブ
 1982年 クリス・デッカーソン
 1983年 サムエル・バヌー
 1984、85.86、87、88、89、90,91年 リー・ヘイニー
 1992、93、94、95、96、97年 ドリアン・イェーツ
 1998、99、2000、01、02、03、04,05年 ロニー・コールマン
 2006、07年 ジェイ・カトラー
 2008年 デクスター・ジャクソン
 2009、10年 ジェイ・カトラー
 2011、12年 フィル・ヒース

 以上が歴代のチャンピオンである。連覇が多いので、48回の大会で13人の優勝経験者と少ない。

 私がボディビルに興味を持ち、自分でも素人ながらトレーニングを始めたのは1975年、高校生の時代である。この年に須藤孝三がミスターユニバースで優勝し、帰国直後にラジオ番組に出演した時のことをはっきり覚えている。この出来事もきっかけになっている。

 当時から月刊ボディビル誌を購入していたが、興味は国内の選手にあり、海外の選手は数えるほどしか記憶にない。たとえば、ボイヤー・コーやルー・フェリーノである。なぜか、シュワルツェネッガーやフランコ・コロンブには覚えがない。記事が少なかったのかもしれないし、たまたま読み飛ばしてしまったのかもしれない。だから、シュワルツェネッガーに注目したのは彼が俳優になってからである。

 大学に入り、さらに就職してからしばらくはボディビルのことは忘れていた。再び興味を覚えてボディビル誌を買い、そしてジムに通いだしたのは30代後半であった。高校生の時から20年経過している。そのころには、海外の大会やプロのビルダーの記事も豊富になっていた。オリンピアではドリアン・イェーツが連覇を続けていた。

 さて、優勝者の面々であるが、初代のラリー・スコットはバランスの良いきれいな体形をしている。まだいろいろな面で現在より厳しい条件のなかで、あの体を作ったのは努力もあるだろうが、基本は素質であろう。セルジオ・オリバは昔の雑誌でも見たことがあり、驚きのバルクである。今でも通用する迫力がある。当時の人の目には驚異であっただろう。
 
 

 スーパースターは、シュワルツェネッガーを措いていない。大きさにおいては今のビルダーが勝っているが、大きすぎず均整がとれている。私は彼の大胸筋と上腕二頭筋が好きである。二頭筋のピークは彼の出身地オーストリアの山の頂のようである。逆に、背中は薄い感じがした。
 異色なのはフランク・ゼーンだ。私の好きなビルダーの一人なのだが、筋肉の量自体はもっとも少ない部類である。しかし、何とも言えない魅力を持った体だ。彫刻のようだと言えなくもない。オリンピアを征した時もいいが、ユニバースをとった時の方が若さがあっていいように思う。連覇したあとも大会に出ているが、切れがなくなってポージングの上手さだけが目立つ。

  クリス・デッカーソンとサムエル・バヌーは過渡期のチャンピオンだ。悪くはないが、特徴がない。そのあとは、リー・ヘイニーの8連覇、ドリアン・イェーツの6連覇、ロニー・コールマンの8連覇と続く。それぞれ素晴らしいビルダーであるが、こうも連覇が続くと面白くない。他のビルダーのモチベーションは上がらなかっただろう。リー・ヘイニーは全体のバランスがよく、ドリアン・イェーツは背中に凄味があった。ロニー・コールマンは全体に迫力があった。ドリアンに負けない背中もあった。ただし、腹筋の割れ方が好きではなかった。

 これ以降は混とんとしてよく分からない。ビルダーに馴染みがないので興味を惹かないのだろう。懐古趣味かもしれないが、昔の選手に個性を感じ、映像を見ていても楽しい。

2012年12月22日 (土)

東京新聞が報じた「自民 民意薄い圧勝」

 東京新聞が衆院選後に報じた記事によると、自民党の得票は、

 有権者を分母とすると、小選挙区で24%、比例代表で15%にしかならない。それだけで、480議席のうち、294議席を取ったのである。

 投票した人を分母にすれば数字は違ってくるだが、棄権した人には積極的に支持する政党がなかったのだと言えるから、自民党への支持はその程度であることに間違いはなかろう。

 今の選挙制度はよくないと思う。結果が大きくぶれすぎる。ぶれると政権および政策の継続性がなくなる。以前の中選挙区制と比例代表制の組み合わせがいいのではないか。敢えて言えば、比例代表だけでもいいのかもしれない。それでは無所属の個人や小政党が国政に参加できないというかもしれない。しかし、国政のレベルでは個人で戦うことには無理があろう。

バブルではないのか?

 インフレターゲットを決めて、そこに届くまで通貨を供給し続けるのか。誰が資金を欲するのか。製造業では、内外の需要が弱くて、大型投資は怖くてできない。リスクはあっても、成功の絵が描けないと突っ込めない。

 実体経済の成長なきインフレ。やばいインフレだ。建設業などこれまで悪かった業界に一定の恩恵はあるかもしれない。一部の労働者の所得は増えるかもしれないが、国民的規模の所得引き上げにはならないだろう。だから需要は広がらない。

 電気料金や石油や食料などが値上がりして生活は逆に苦しくなる。貯蓄もなく、わずかの年金で生活している高齢者には厳しい政策だ。株の値上がりなんて、そんな人には関係ないものね。

 金を使うなら、より民生的な部分に使ってほしい。底辺に近い方に血を巡らしてほしいものだ。そうすれば地域が少しは明るくなるだろう。

 発想は20年前から変わっていない。そうだろう、日本を取り戻すと言っているのだから。昔に帰ると言っているのだから。

2012年12月16日 (日)

本田宗一郎氏の講演

 ちょうど30年前の講演をYouTubeで聴くことができた。話を聞いていると、行革の必要性について土光さんに頼まれてやったようである。非常に面白い話であるが、ビジネスの話ではない。煎じつめて言うと、国は将来のことを考えて合理的な政策を講じていないという意見である。逆に、民間で一所懸命やっていることを邪魔をしていると言っている。

 教育の問題にかなり時間を割いていた。どんな科目でもいい点をとれる子どもを評価しているが、それだけでいい仕事ができるわけではない。コンピューターの発達した時代に「覚える」能力は不要であって、それよりも一つのことでよいから創造的で秀でた能力を育て、評価する教育に変えてほしいと言う。本田氏自身が、自分はそういうタイプであり、それでもちゃんと仕事をしていると思っている。

 これは30年前の話だが、基本的に今でも同じことだ。試験の点数が取れる子が評価される。それはそれで悪いことではないが、それだけでは社会に、特に国際社会に通用するとは限らない。点数は、内向きの、孤立した子どもでも取れるのだ。しかし、仕事は特殊な職人でない限り、そういう人間には成果が出せない。多くの人間関係のなかで行うのであるから。気配りできたり、組織の細かいところに気がついたり、人の共感を得たりする才能が求められるのである。

 最後に英国のジョークを言っていた。市場で、人間の脳を売っていた。店の主人が、これはお値打ちですよと勧めている。それは代議士の脳だった。あまり使っていないから新鮮なのだそうだ。

2012年12月15日 (土)

選挙へ行こう 投票しよう

 以下は、昨年5月14日に書いたブログです。選挙に行きましょう。積極的に支持する政党のない人は、まずここにだけは政権を取ってほしくないという政党を除外したうえで、消去法でもいいから選んで投票しましょう。

 【勝ち取ったもの 女性参政権を例にして】

 今あるものはすべて、初めからあったものではなく、いつの時期からか始まったものである。周りにあるすべてのものを所与のものと考えてはいけない。すべてのものには発生の起源がある。

 先月、府会議員と市会議員の選挙があったが、息子二人はサークルの用事があるなどの理由で棄権してしまった。もったいないことだ。参政権をたんに与えられた権利と認識していないだろうか。苦労してやっと手にした権利なのだと話したことがあったのだが。
 敗戦後すぐにマッカーサーから五大改革指令というものがあって、民主化の事項として女性参政権の付与も盛られていたために、アメリカによって与えられたかのように受け取りがちである。しかし、参政権を求める運動は古くからおこなわれてきた。平塚らいてうや市川房江らの運動は大正期から続いており、少しずつ権利を拡大していった。残念ながら戦争の開始でもってしばらく中断したが、敗戦後すぐに再開されている。こういう運動の蓄積が戦後における権利確立に結実したと見ることは正当な解釈であろう。

 普通選挙の実施は1925年であったが、女性の選挙権および被選挙権の獲得はそれからさらに20年余りかかったことになる。 考えてみれば、女性の参政権獲得が20世紀半ばだというのは今の感覚からいえば信じられない話である。まだまだ女性差別は残っているが、それでも制度上・形式上の権利はかなり実現し、定着しつつある。今さらそれを剥奪すべきだと考える男性はいないだろう。

 われわれは、過去の人々の遺産を土台として生きている。遺産とは基本的に労働活動の成果であるが、加えて政治的活動や文化的活動の成果も多くある。今あるものを当たり前と受け取らず、その起源を知ることが次のわれわれの実践につながるのではないだろうか。

2012年12月14日 (金)

「美しい国」を破壊したのは誰だったのか

 私は「美しい国」を欲しない。豊かで暮らしやすい国がよい。豊かというのは金持ちという意味ではない。国民の表情がおだやかで、目が活きている国である。

 「日本を取り戻そう」と叫んでいる人がいる。取り戻そうとしているのは「美しい国」というものらしい。かりに、そういう時代があったとして、それを壊してきたのはだれだったのだろうか。

 それを言う権利があるのは、過去の国づくりに反対してきた勢力ではないのか。きれいな言葉に騙されてはいけない。気分に呑まれていはいけない。

 大事なのは生活であり、生活を守る基礎である制度である。だれが安心して生活できる制度を作り、守ってくれるかである。

2012年12月13日 (木)

あくまでも憲法を守る 支持政党選択の基準

 既得権を持った者はそれを放そうとしない。それが政治行動の大きな動機である。それが、他の人の人権や生活を破壊してしまう。そういう暴走を許さないために憲法がある。

 これまでの人類の苦い経験、苦しみ、争い。そういったものへの強い反省が憲法に結実している。そういう歴史を守る戦いの一つが選挙である。

 どうか、憲法を変え、政治を保守化、後退させようとする政党に貴重な一票を投じないでほしい。

2012年12月 9日 (日)

山井の交代 続編

 日本シリーズで、8回までパーフェクトに抑えていた山井投手を落合監督は守護神岩瀬に交代させた。このことが世間で随分話題になり、批判的な意見も多かった。私は落合を弁護するブログ記事を二回書いた。

 結局のところ、真相と真意はどうだったのか。ある番組で、退任した落合元監督と森繁和元ヘッドコーチが正味の事実を語っていた。

 実際は二人ともどうするか迷ったのである。私は、岩瀬へのバトンタッチにはさほど迷いはなく(少しは考えただろうが)日本一へ勝利を確実にするため、必勝パターンに持ちこんだと判断した。しかし、真相はそういうきっちりした割り切りの結果ではなかった。

 落合はどうしたものか考え込んでしまい、ベンチ裏に引っ込んだ。森繁和に判断を預けた。山井はマメを潰して出血していた。ボールには血が付いており、森も落合も知っていた。そういう状況で、山井の方から岩瀬さんにつないでほしいと申し出たのである。これには二人ともほっとしたという。その言葉で、岩瀬への交代が決まったのである。森が言っていたが、山井が続投を希望したら投げさせていたのである。

 岩瀬は3人でぴしゃりと抑え、中日は日本一になった。山井が自分から身を引いたことは、まさにファインプレーであった。継投によるパーフェクト試合だったが、実際は山井のパーフェクト試合だったと言っても過言ではあるまい。

2012年12月 8日 (土)

ホームトレーニィーの利点

 筋肉質の体を作りたいなら、設備の整った本格的なジムへ通うのが近道である。ダンベル、バーベル、各種のマシーンがあれば色々な種目が可能で、総合的に鍛えることができる。練習メニューは自分で考えるのがいいと思うが、頼めばトレーナーが作ってくれるだろう。また、周りで同じようにトレーニングをしている人がいれば、自ずと力も入ることだろう。

 これに対し、私は現在家でトレーニングをしている。今から15年ほど前はジムに通っていた。約5年間ほどだ。家のトレーニングで不利な点は、器具の絶対的な不足だ。私の場合、ダンベルとベンチしかない。それでも何とか工夫して効果を出している。難しいのは足のトレーニングだ。バーベルがないのでスクワットができない。マシンで、レッグプレス、レッグカール、レッグエクステンションできればいいなと思う。家が広ければ、そういう設備を置くことも可能だが、マンション住まいでは不可能である。もっとも、そこまでする気があるのならジムへ行く方が合理的だ。

 家でのトレーニングにも利点はある。まず会費が不要である。その分のお金はサプリメントに回すことができる。また、好きな時間に行うことができる。夜遅く帰っても、20分程度で一つの部位を鍛えることは可能だ。ジムであれば、他の会員が大勢来ていると自分の使いたいマシンがすぐには使えない場合もある。

 シットアップ以外はすべてダンベルでの運動だ。胸はベンチを使い、ダンベルのプレスになる。それにダンベルフライを加える。ベンチは片方をブロックに乗せ角度をつけることもする。肩はショルダープレスとアップライトロウ。二頭筋はダンベルカール、ハンマーカール。三頭筋は、キックバックとディップス。背中はダンベルでのワンハンドロウイングである。

 できる種目が少ないので、工夫することになる。同じくダンベルを引き上げる動作でも、引く方向、角度を変えている。そうすることで、鍛える部位の偏りをなくす。またダンベルで重量が不足するので、効かせるように動作に集中するようになる。マシンに依存すると動きが単調になってしまうのに対し、これは不足が生んだ効用だと言える。

 そういうわけで、工夫によって筋肉の成長はまずまずである。胸、背中、足などの大きな筋肉はやはりジムで豊富な器具で鍛えるのが効果的ではあり、その点は残念だが、それ以外はダンベルで訓練できる。何事にも、知恵を活かす道がある。

2012年12月 2日 (日)

できることだけ書く? 自民の公約?

 「できることだけ書く」と言いました。この発言を言いかえると、「できないことは書かない」という言葉になる。公約というものは、元来そういう趣旨のものではない。

 選挙に勝利して政権党になったら、多数の力によって約束した政策を実行しますという趣旨だ。多数を取ったら確かに強いが、何の困難もなく政策が推進できるわけではない。第一党であっても議席を過半数占めているとは限らないし、ましてや得票率はそれ以下になるだろう。圧倒的多数ではないから反対の世論も強く残る。また自民党の支持層も一様ではないから、個々の政策のついて賛否が分かれるだろう。

 したがって、確実にできるかどうかはふたを開けてみないと分からないのだ。言うなら「やるべきことを書く」ではないか。日本の歴史的位置や国際関係における位置に対する認識を基礎にして、整合性のある政治綱領を持ち、そこから具体的な政策を展開すべきである。初めから個別の問題に流されたり、世論に迎合したりすれば無用の混乱を招き、改革を遅らせるだけである。

 大事なのは国民の置かれた客観的な条件である。一人ひとりの声は大事だが、それに直接的に反応するのではなく、そういう声が出てくる背景が大事なのだ。政治の本義は、個々の要求に答えることではない。個々人に幸福感をもたらすことでもない。現状に合った予算を組むことであり、制度を作りかえることであり、民間の(企業だけを指すのではない)活力を引き出すことである。

  もう政権の座に就いたつもりなのだろうか。その時が来るのを待ちきれない気分なのだろう。日本で一番重い責任を負うことになるのだが・・・。

2012年12月 1日 (土)

メンタルヘルス不調者

 会社でメンタルヘルス不調者が続いて発生した。私の部の社員も複数含まれている。重大な問題であるし、上司にも一定の責任がある。当人には、治療を優先させ、治療の妨げになる対応は控えることにしている。

 過去にも続出したことがあった。一人出ると続く傾向がある。これはどういうことなのか。工場であったし、営業でもあった。幸いにも休養と治療によって快方に向かい、退職した一名を除いては全員職場に復帰した。

 なぜ続くのか、その原因はよく分かっていない。ヒアリングすると一人ひとり事情が違っているように思う。上司との関係、同僚との関係、あるいは家庭の問題など様々な要素が見出される。そうすると統一的な対策が難しくなる。それぞれに原因が違うとすれば、一人ひとりの観察と対話から兆候をとらえ、悪化する以前に手を打つしか道はない。

 合わせて自己防衛も必要であろう。過去に病歴があれば自らの兆候をつかみ、社内外の人や機関に相談を行うことができる。はじめての人も、過去にないストレスを感じた時には同じ行動が望まれる。肝心なのは、相談する相手がいることであるし、相談する機関が平素から用意されていることだ。これは、会社で体制をつくることができる。

 「新型うつ」ということが言われるが、そういう類型化をおこなうことで事が解決できるわけではない。一例一例、丁寧に対応するしかない問題である。社内外の環境変化が激しい時期においては、その変化への適応がうまく出来ない人たちが現れる。これは十分に予想できる。予測して、病気に至る前に必要なケアを施すべきである。具体的に対策を進めたい。

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