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2012年11月 3日 (土)

新党にできることはあるか

政権が行き詰まり、第二党にも決め手がない時に、新しい政党が登場し支持を集めようとする。しかし、新党とはいえ、その顔は新しくない。過去の例を見れば分かるように、それは一時的なブームに乗って一定の議席を得て、国会運営においてキャスティングボートを握る存在になる場合がある。国政を左右する力を持つという意味では、彼らは政治に影響力を持ったわけで、自らの存在価値をそこに見出すだろう。

 しかし、振り返って考えると、それが国民の利益にどうつながったのかという点については甚だ疑わしい。彼らの主張は特別目新しいものではなく、その時々の争点に対し比較的分かりやすい形で政策提起は行うが、確固たる政治理念に裏打ちされているとは思えない。どこまで本人たちが自覚しているかは別にして、結果的には保守勢力の大崩れを側面で支えたり、革新に流れる議席を中間で吸収したりする役割を果たしている。

 ここ最近も新党らしきものがいくつも出来上がっている。政治の不安定さを表しているといえば確かにそうだろう。それは彼ら自身が不安定な存在であることをも意味している。どういう階層を代表しているかとか、どういう世界観を持っているかについて、かれら自身が自覚していないように思うし、どうでもいいことなのかもしれない。要は、議員であり続けたい、議員になりたい、脚光を浴びたいというようなきわめて個人的な衝動に突き動かされているのだと思う。

 

 それは、どんな政党、政治家でも同じだと言うかもしれない。しかし、細かく見ていけばそうではなかろう。十把一絡げに見てはいけない。個人的に受け取る報酬(お金だけではなく、地位や名誉などの精神的報酬も含め)を動機として動く者は真の政治家ではない。政治とは苦を伴う行為である。政治的理想を持つならば、それと現実とのギャップに悩むだろう。あるいは現実を認識しない国民にいささかの焦りと失意を覚えるに違いない。


 新党の人たちの姿をよく見ておきたい。そこに、国民のための政治家として生きる真摯さと謙虚さがどれだけ見て取ることができるだろうか。

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