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2012年8月の投稿

2012年8月26日 (日)

安い食品には注意した方がよい

  焼肉食べ放題、しゃぶしゃぶ食べ放題、回転寿司なんでも1皿100円、某スーパーのPBビールが88円などなど、安さを売り物にした商売が広がっている。

 私は年齢のせいか、食べ放題には魅力を感じないが、家族での外食は安上がりなので回転ずしは時々利用している。しかし、これらの店で使われる食材については、恐ろしくなるような情報を耳にすることがある。安く提供できるのには、それなりに訳があるのである。

 アメリカでの牛肉の生産(肉牛の飼育と言うべきか)について聞いたことがある、何百頭、何千頭という牛がゲージに繋がれ、とうもろこしを餌に飼育される。急速に成長するが、もともと牧草を食んで生きる動物だから胃をやられるらしい。それを防ぐために抗生物質が投与される。また、ハマチの養殖に抗生物質が使われていることはけっこう知られている。回転ずしのネタには名前も知らぬ深海魚が使われているとも聞く。こういうことをやっているからこの安さで提供できるのである。

 こういうものを食べていて人体に影響はないものなのか。あると考えてよいのだろう。しかし、いろいろな悪しき情報を持っていても、それに対応する手段がないから諦めてこれまで通りに食べている人も多いのではないか。

 こういう生産の方式をやめてしまったら、これだけの栄養価(安全かどうかは別にして)を先進国の国民に供給することはできない。もしこれを断ち切ろうとすると、例えば日本人なら、米をたくさん作ってご飯を食べなくてはならない。タンパク質は大豆などの植物性のものをとることになる。肉や魚はぜいたく品として、特別な日に限って食するのだ。なかなか、そこには戻れまい。今や発展する中国の国民が飽食を欲している。この動きを止めることはできない。

 行き着くところまで行くしかないのか。腹いっぱい食べることをやめ、安全な食品を選んで食べることにより、見せかけでない「健康」を得ることができるかもしれない。また、そのような生活スタイルは、持続可能な社会の実現につながるに違いない。

2012年8月25日 (土)

土佐桂浜 一度は観たい「闘犬」

 高知に商用で出かけたとき、土地のことを知っておこうと桂浜に出かけた。そこには、「闘犬センター」がある。一度見ておこうと思い、入場して観光客向けに組まれた闘犬の試合を見ることにした。中央に土俵があり、四方の席から見下ろせるようになっていた。入って気になったのは、血なまぐさい空気であった。強烈な臭いというわけではないが、何か神経に触る臭いである。

 取り組みは、小型の犬と中型の犬との戦い。当然、共に土佐犬である。体格の差はかなりあり、見た目は中型に歩がありそうだ。戦いが始まる。小型の動きが早い。間もなく、小型が中型の喉元に喰らいつく。必死に振り払おうと頭を左右に動かすが、小型はしぶとく食らいついて離さない。この状態が数分続く。中型は次第に動きを失っていく。息絶え絶えになったところで勝負ありとの判定。飼い主が、小型犬を引き離そうとするが、なかなか離そうとはしない。勝負は人間が決めたもの、犬には分からない。

 大きいから勝てるとは限らない。犬の武器は口である。弱点は首。力に差がなければ先に食いついた方が有利である。とはいえ、闘争本能がなければ、先に攻めることはできない。見るからに、小型犬の闘魂には素晴らしいものがあった。犬と人間の世界とを比べるわけにはいかないだろうが、大きさだけで序列が決まらない点は同じであろう。組織とて、自分より大きな組織に勝てないという道理はない。相手の弱点を得意技で攻めれば、勝ち目はある。ただし、圧倒的な力には滅多なことで逆らわぬことだ。満を持した奇襲以外に手はない。そのタイミングを計るのは難しい。

 ちなみに、このあと横綱の土俵入りがあった。圧倒的な大きさと落ち着きと威圧感がある。先ほど強さを見せた小型犬もこれに挑むことは難しいだろう。文字通り、しっぽを巻いて逃げるに違いない。

 闘牛、闘鶏など同種の催しがあるが、闘犬がもっとも過激なものである。高知で行われてきたのは土地の人の気性と関係があるのかもしれない。私の知る人は、まっすぐな気性で、優しさに満ち溢れているが、いい加減な行動には手厳しい。

(2008年9月の記事に少し手を加えた。)

2012年8月19日 (日)

甲子園観戦 宇部鴻城対東海大甲府

 第11日目の第4試合。前の試合は近畿勢の天理だったので混雑を予想し、観戦は4試合目にした。力的には東海大甲府が上かなと思ったので、判官贔屓というのか、宇部鴻城側のアルプス席に入り込んだ。前の試合とは違ってアルプス席にも空席が目立った。遠方から大勢がやってくるのは時間的にも経済的にも困難がある。

 試合は鴻城がエースではない先発投手を打ち崩して2点を先制する。試合としては面白くなった。しかし甲府は早々に鴻城の笹永を攻め、同店に追い付いた。笹永は小気味のいい投球で抑え込んできただけに集中打を許したのは残念だった。

 東海大甲府は、投手をエースの神原にスイッチ。神原は140kmを超えるストレートがあり、鴻城打線は打ち崩せなかった。この試合のポイントはすぐに同点に追いついたところにある。あれが2点ではなく1点にとどまっていたら、鴻城にも勝利の目があっただろう。

 接戦で、締まりのある、よいゲームだった。鴻城では、投手の笹永君が特によかったと思う。

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徐福の墓(新宮市徐福公園にて)

ウィキペディアより

(『史記』による記述として)

  司馬遷の『史記』の巻百十八「淮南衝山列伝」によると、始皇帝に、「東方の三神山に長生不老不老不死)の霊薬がある」と具申し、始皇帝の命を受け、3,000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、五穀の種を持って、東方に船出し、「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て、王となり戻らなかったとの記述がある。

 灯台もと暗しというか、徐福の墓があるということは知っていたがわざわざ見に行こうなどとは思わなかった。このたびは、予定の電車まで随分時間が空いていたので、時間つぶしのために立ち寄ったのである。

 きれいに清掃されたこじんまりした公園にその墓はあった。立派な墓石とは言えないが、それが逆に歴史を感じさせてよい。1736年に建てられたものらしい。徐福の伝説は日本各地にあるらしいが、ここはなかり有名なところなのだろう。徐福の子孫だという人たちがかなりの数中国からお参りに来るというのだから。

 近年開発されたニュータウンは別にして、古くから人の住みついた土地にはそれぞれ歴史がある。文書に残された歴史もあれば、建造物として残っているものもあるし、伝承としてあるものもある。それらは、普段の生活でほとんど意識されることはない。郷土史研究家を除けば。

 この新宮市などは文化の町と謳われているだけに見どころはたくさんある。東くめ、佐藤春夫、中上健次を生んだ土地だから。しかし、地元の人たちはそれをどれだけ誇りにしているだろうか。中上は生まれた土地に随分思い入れを持っていたのだが。

 この私は、熊野川を渡った三重県側の人間なので、新宮人ではない。私の生地は江戸時代には紀州藩の領地であった。しかし、明治になって三重県に組み入れられてしまった。以降、政治や文化において、三重県あるいは名古屋の影響を受けることになる。テレビやラジオは名古屋の局から流されるものであり、意識は東に向かっていた。とはいえ、伊勢の文化には馴染めない面があった。この違和感は、古くからの文化の違いに由来する。言葉も全然違うのである。一方で、和歌山県の新宮についてもいささか違う空気を感じる。これは行政の寸断によるものだろう。

 私の生地は交通の便が悪く、それが生活だけではなく、意識の孤立を招いたのであろう。

墓の入り口。中国風の線香を20円で売っています。

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徐福の墓。きれいにしています。

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2012年8月18日 (土)

海岸を 散歩&ジョギング 七里御浜海岸

 故郷に帰ってきたが、運動不足解消のため少し海岸を走ってきた。海岸と言っても、正味海岸までは下りず、防波堤の上を歩き、走った。とはいえ、サンダル履きで、牛歩のごとく走っただけである。

 目に入る景色は抜群。海はきれいだ。ごくまばらに釣り人が見える。逆サイドは防風のための松林である。松以外にも多種多様な植物が見られる。けっこう目立つのはテッポウユリである。大雑把すぎてきれいな花ではないが。

 動物は見かけないが、虫の類は多い。堤防の上に、メスのカブトムシが横たわっていた。死後何日経過しているのか分からない。自然死か、誰かが採取したものを捨てたのか。ああいう場所で虫は死を迎えるのだろうか。

これは拾って来たものを後で写した。死んだカブトムシである。

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2012年8月17日 (金)

花窟神社(はなのいわやじんじゃ)より

 テレビで特集が組まれたのをきっかけに、花窟神社はなのいわやじんじゃ)への関心が高まり、立ち寄る観光客が増えた。それを当て込んで、付近に食事処や土産物屋が出来ている。神社と言っても、ご神体である巨岩が目立つだけで、立派な社殿があるわけではない。ごく素朴な神社であるが、歴史は古い。

 熊野という土地は目立った産業がなく、長期的に過疎化が進み、今や人口は2万人を割り込んでいる。もちろん、手をこまぬいているわけではなく、観光や地場産品の開発と売り込みに官民上げて注力している。かつては鬼ヶ島が名勝地として知られ観光客を集めたが、今は活気がない。今でも知名度はあるだろうが、注目度では花窟の方が上だろう。

 以前には観光ホテルを誘致したこともあった。くまのオレンジという名のホテルであった。周りにミカン畑のある高台に建て、熊野灘が一望できるという触れ込みだったが、流行らなかった。海が見えると言っても間近ではなく、広々とした海なので変化がない。また、周りがミカン畑では風情がない。ボウリング場などの遊戯施設も併設したりしたが、それ単体で一時期集客したが、宿泊客の増加とは関係がなかったように思う。閉鎖は時間の問題であった。

 それに代わって、なんとなく失敗の繰り返しのような気がするが、「熊野倶楽部」という宿泊施設が作られた。市もかなりお金を入れているらしい。聞くところによるとやや上級の客層を狙っているらしく、それが失敗の元だという評価が聞かれる。どうせやるなら、もっと奥の清流が流れる山間にロッジ風の民宿でも集めて、「癒しの里」でも作ったらどうだろうか。

 一方で、熊野地鶏というブランドを育てているようだ。私も一口だけ食べたことがあるが、味はよく分からなかった。それでも、都会へ持っていくと、地鳥というのはけっこう受けるらしい。工場で大量生産された鶏肉よりおいしいに違いないし、飼料に混入した薬品に侵されていないイメージがあるのだろう。

 そんなこんなで苦労してやっている。ただし、上手くいくかは分からない。熊野尾鷲自動車道が開通して交通の便は解消されるが、それは和歌山県内へ行く時間が短縮するだけであって、熊野には恩恵がないという意見もある。はたしてどうなるだろうか。

2012年8月16日 (木)

島の名前(大泊海岸沖の二つの島)

 熊野市の大泊海岸に海水浴に行くと、沖合に二つの島がある。いつも眺めているが、改めて考えると島の名前を知らない。当然、名前があるに違いない。そこで、ネットで調べてみると、左手前が箱島、右手にあるのが魔見ヶ島というらしい。

 島の名前が気になったのは、領土問題で、竹島や魚釣島などの名前を頻繁に聞くようになったからだろうか。

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 熊野の海は今なおきれいである。私はいつも大泊海岸だ。ただし、お隣の新鹿海岸の方がきれいだと聞く。どちらにしても、都市近郊の海水浴場に比べれば人が少なく、ゆっくり過ごすことができる。地の利がなく、開発から取り残されているが故の遺産である。

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2012年8月15日 (水)

イメージが形を作る

 ほんの趣味程度であるが、ウエイトトレーニングをやっている。中学時代にエキスパンダーから初めて、高校の時にバーベル・ダンベルセットを購入した。大学時代はほとんどやらず、社会人になってからは37歳から42歳までジムに通って鍛えた。その後は家でダンベルを使って週に二三度行ってきた。ただし、腰を痛めた時期は中止し、和らいでからも重たい重量でのトレーニングは避けている。

 この歳になってもやれば効果はある。一説には55歳までだと言われたが、経験的にはそうでもなさそうだ。長く続けてきたし、関連の雑誌もかなり読んで来たのでトレーニングの理論はおおよそ分かってる。加えて、モチベーションを高めるにはトップビルダーのコンテストやトレーニング中の動画を見るのがよい。私はアメリカのショーン・レイのミスター・オリンピアでのポージングをよく見る。そうすると意欲が沸々と湧き上がってくる。

 そして、もう一つ大事なのは、トレーニングの後でも動画を見ることだ。見て脳にイメージを与える。自分もこのような筋肉質の体になっていく。実際、なっていくような気分になれるのである。そして効果が多少なりともあるように思うのである。

 脳に与えられたイメージは、何らかの情報を細胞に伝えるのではないか。そしてその情報が細胞の成長を促す。これは肉体的、物理的な現象であるが、同じように社会的なことにも言えそうだ。というよりは、社会的な分野の方がより確実にイメージの力に言及できそうである。

 仕事の成功イメージが、実際に結果に結び付く。これはビジネスパーソンであれば経験済のことであろう。

2012年8月14日 (火)

帰省と大雨

 また雨にやられてしまった。先月、友人の葬儀で帰る際にはJR阪和線の土砂流出で4時間ほど遅れてしまった。

 今回は伊勢回りで帰ることにしたのだが、今度は三重県内の大雨で近鉄が遅れているのだという。鳥羽行きの急行が青山町で止めれてしまった。程なく運転が再開されたのたが、つなぎの臨時列車まで間があり、しかもやってきたのが二両編成で、ホームで待たされている大勢の人たちを拾いきれるはずがない。私はドア付近にぎりぎり乗り込んだ。

 それから無理な姿勢を我慢して伊勢中川までたどり着く。しかし、雨は広範囲に降ったようで名古屋方面からの電車が来ない。半時間は待っただろうか、急行がやってきて松阪にたどり着いた。

 今度はJRだ。信号故障と雨の影響で運転再開のめどが立たないというのだ。文句を言っても始まらないので腹ごしらえをする。いつもの中華料理店だ。ここで一時間近く潰すことができたが、それ以外にする事もなく、いつ運転が再開するかも予想出来ないのでただ待ち続ける。

 定刻より二時間半あまり遅れて発車した。そして徐行運転の連続。いつもより一時間余分に時間を費やして目的の駅に到着したのだった。夜中の一時半を回っていた。

 この路線は遅れが多い、雨の多いことが一番の原因であり、鉄道の弱点でもある。それから前に書いた鹿との衝突事故である。

 こうしたリスクを計算して帰省しなけれはならなくなった。   (郷里にて)

夏は暑いのだ

 暑い。夏だから当たり前だ。温暖化しているとはいえ、昔だって暑かったし、エアコンなどなかった。

 今は年中快適な生活に慣れてしまったからだろう、少し苦痛な状況に置かれると我慢が出来なくなる。また、働く者の権利だとか安全衛生だとか言い出すとややこしくなる。それは大事なことなのだが、持続可能な社会に対応するライフスタイルを考える場合には、そこにばかりこだわると新しい発想を拒んでしまう。

 現在のレベルから考えると不便だったり苦痛だったりする生活が、全体の調和のためにはよい生活である場合もありうる。「快適さ」の追求は、他者への依存生み出し、自律的な発想や生き方を阻む可能性もある。なかなか難しい話だが、考えてみるには今がいい機会ではなかろうか。

 私は都会から遠く離れた海沿いの町に住んでいた。夏はやはり暑かったが、朝夕は気温が下がりしのぎやすかった。電化製品など何もない時代だったが、夕涼みしながら井戸で冷やしたスイカを食べたりして、そんな生活を楽しんでいた。単なるノスタルジーかもしれないが、昔の方がずっと楽しく、密度の高い時間を過ごしていたように思う。

2012年8月13日 (月)

優秀なビジネスパーソンは好奇心が旺盛だ

 私の会社の社員ではないが、ある優秀な営業マンを知っている。大口の契約をいくつもとってくる。そういう人は仕事ばかりやっている仕事バカでは決してない。

 彼はオートバイでツーリングしたり、登山をしたり、おいしいものを食べ歩いたりしている。そういう話を聞くと、逆にいつ仕事をしているのか疑問に思うほどだ。

 人には意外に多くの時間があるのである。それを大いに無駄にしてしまっている。休日が2日あるとすれば、少しは勉強にも使う必要はあるとしても、残りの時間を計画的に使えば、小旅行ぐらいはできるだろう。また友人たちと交遊することも無理なことではない。

 やはり意思の問題であろう。やりたいことができる力が、そのままビジネスにも通用するのである。暑いからと言って、エアコンの効いた部屋でじっとし、昼間からビールなど飲んでいては発展性がない。海や山に行って日焼けして真っ黒になるぐらいの行動力が仕事の成績と関係するのであろう。

 かくいう私は行動範囲が狭い。ただ最近は家でじっとしていることがもったいなく思い、しばしば出かけるようになっている。動いていないと体力が落ちるという思いもある。好奇心も決して弱くはない。まだまだ自分を変えられる。

2012年8月12日 (日)

睡眠治療の困難さ 無呼吸かナルコレプシーか

 私は寝つきは良いが眠りが浅く、夜中に何度か目を覚ます。低血圧でもあるのだが、朝起きることはできる。しかし、昼間にかなりきつい眠気に襲われる。特に会議中にその症状が表れると仕事にも影響が出る。

 なんとか改善したいと思い、昨年から睡眠外来で有名な某病院に通い始めた。始めに一泊して原因を探る検査を行った。結果、はっきりとした原因は特定できなかった。無呼吸症候群にもナルコレプシーにも軽い傾向はみられたが、ひどくはないという。昼間の眠気の検査も行い、相当ひどい眠気を感じていることが確かめられた。

 結局、治療法としては眠気を抑える薬を2種類処方された。一方はかなり高価な薬で、保険が効いても1錠120円もする。これを朝2錠呑むと確かに効き目はある。しかし、続けて服用すると体にかゆみが出るのと、夜の眠りがさらに困難にある。なので、最近はその服用も止めてしまった。根本的な治療法はないのである。無呼吸の場合であれば、身体の問題であり、物理的な対処がある。しかし他の場合は、神経系の問題であるから、神経症の治療に似て難しい。

 おそらく、これはよく言われるように文明病なのだろう。原始時代なら昼夜がはっきりしていた。陽のあたる場所に長くいたし、食料を得るため体も動かしていた。だから夜は眠るように心身のリズムが出来ていたのである。私もそういう生活の仕方に変えれば治る可能性はあるが、現在は難しい。できれば、老後はそれに近い生活がしたいものだ。

2012年8月11日 (土)

モチベーションの高め方

 誰かが、モチベーションは自分でたかめるものだと書いていた。基本的にはそうだろうが、成果というものは本人だけのものではなく、組織が望むものであるから、コーチや上司がモチベーションをたかめる働き掛けを行うのである。

 スポーツや学業と仕事ではモチベーションの位置づけが違う。それぞれ、個人的な欲求と所属する組織からの期待とが混在しており、どちらに重きが置かれるかはケースバイケースであろう。自分の目指す目標にこだわり、脇目も振らず頑張る人もいる。そこには周囲の期待や協力に報いたいという気持ちは少ない。義務感が生じないから、プレッシャーはかからず、ある意味楽かもしれない。逆に、期待に応えなければという思いに縛られる人もいる。この重圧は苦しいものだ。どちらがいいとは言い切れないが、多分に価値観の問題であろうし、また個人の力量に強く依存するものと、多くの仲間やスタッフなしでは成り立たないものとの違いでもあろう。

 要するに、ここで言いたいことは、モチベーションの先に、責任感のあるなしがあって、仕事ではそれが問題になるということだ。組織における個々の役割があって、それが主であって、モチベーションは付加的なものなのである。

 ところで、(ここからが書きたかったことなのだが)ロンドンオリンピックの競泳で、日本選手が多くのメダルを獲得した。一番感動的だったのはメドレーリレーでの男女の泳ぎである。自由形を除き、個人でも世界レベルの選手をそろえているのだから、上位に来るのは疑い得ないことだった。しかし、メダルが獲れるかどうか、色が何色になるかは決勝での泳ぎ次第だ。決め手は、気持ちの持ち方にあったと思う。もっとも大きかった要素は、個人的な動機でもないし、メダル獲得への責任感でもなかった。自分がベストの泳ぎをして、他の選手を少しでも楽に泳がせようとする思いだった。簡単に言ってしまえば、チームワークの勝利だった。

 チームワークはどの国にもあるには違いないが、個人主義の弱い日本などの国においては特に重要な要素である。組織の運営を考えた場合、改めてチームの在り方について考えなければならないと思う。そして、まずは、目的・目標の共有ができているかどうかがチームワークを考える際の、原点になると思うのである。

2012年8月10日 (金)

ロンドンオリンピックに思う 

 オリンピック競技の生中継は大半が深夜に行われている。観たい競技はあるが、寝不足になってまで観ようとは思わない。先日、お得意先の年長であるDさんと話をしていたら、夢中になって朝5時までテレビを観てしまったとのこと。元気である。

 朝、結果を確かめる。期待通りのこともあれば、残念な結果の時もある。総合的に見ると、期待を上回る活躍をしているので、残念に思うことは少ない。

 金メダルは個人競技で得たものだが、予想より数が少ない。一方の団体競技では活躍が目立つ大会だ。これはサッカーから始まる連鎖反応だろうか。女子サッカーは残念ながら銀だったが、実力を発揮し、ワールドカップでの優勝が単なる勢いではなかったことを証明した。フェンシングの銀メダルは、世界ランキングを大きく上回る成績で本番での集中力を見せつけた。女子アーチェリーの銅メダルはチームワークを感じさせたいいメダルだった。競泳のメドレーリレーでは男女そろってメダルを獲得し、個々の力をうまくまとめたと言えるだろう。女子の卓球とバドミントンの銀メダルは力以上の結果を出したと言える。他、女子のバレーボールもベスト4に勝ち残り、戦前の予想を超える結果を残した。

 総じてチームでの競技は臆せず果敢に勝負したことで波に乗った。個人プレーよりもチームで戦うことに日本人としての特長が発揮されるように思った。

2012年8月 5日 (日)

ホセ・ムヒカ大統領のスピーチ(打村明さんの翻訳)

会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。

ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。

しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?

質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。

息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?

マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。

現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。

ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。

このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。

石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

昔の賢明な方々、エピクレオ、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。

国の代表者としてリオ会議の決議や会合をそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、1300万頭の世界でもっとも美味しい牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。

私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。

そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。

幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。

ありがとうございました。

2012年8月 4日 (土)

あばたもえくぼ

 痘痕(あばた)も靨(えくぼ) (大辞泉より)

 恋する者の目には、相手のあばたでもえくぼのように見える。ひいき目で見れば、どんな欠点でも長所に見えるということのたとえ。
 
 好意的に人を見ていると、その姿、言葉、行動などが肯定的に受け入れられるようになる。逆に、悪意をもって見ていると為すことすべてが否定的に解釈される。
 

 これは生き方の問題であるが、人から経験や考え方や様々な情報を受容することを抜きにして、人は大きく成長することができない。そうすると、先ほどの例で言えば、人を好意的に見られるということが成長の条件となろう。嫌いな人がたくさんいる人は、次第次第につまらない人間になっていくのである。
 
 自分で書いていて、まさに真実だと思う。皆さんも、周囲の生活圏にいる人たちを思い浮かべると、好きな人、嫌いな人、あるいは嫌いとまでは言えないが関心を持てない人がいるだろう。意外に、好きな人は少ないのではないだろうか。いや、大勢いるよというのなら、あなた自身素晴らしい人だし、幸福な人であるに違いない。
 惰性に任せていては、嫌いな人は嫌いなままであろう。突然好きになることは稀だ。まずは、肯定的に受け取れる要素を探すこと、特に自分にはない良い要素を見つけ、評価し、とりいれてみようと思い立つことが大事ではないか。

 こういうことは理屈としては簡単だが、実行するのは難しい。今の生活でいいのだと割り切ったり、居直ったりしていまっては進歩の可能性はない。素直な人はよく伸びると言われるのは、受容する力が大きいからである。
 
 少し考えてみてはいかがだろうか。

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