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2012年6月 3日 (日)

車寅次郎

 男はつらいよシリーズで渥美清が演じた車寅次郎の生き方に魅力を感じる人が多いと聞く。それは、体制に組み込まれて生活に息苦しさを感じている人間が、しばしそこを離れて暢気に暮らしてみたいという願望の表れであろう。実際に彼と同じ生き方をしたいのではない。映画とはそもそもがそういう意味で生活を離れる時間を提供することが役割なのだから、それをうまく達している点でよい作品なのだと言うことができる。

 寅次郎の生き方には計算がない。いいように言えば真っ正直であり、悪く言えば馬鹿である。実生活は往々にして打算を強いる。しかし、多くの人は正直に、無欲で生きたいのである。

 男はつらいよは、庶民の生活を描いており、同じ立場の人もファンに多かったが、いわゆるインテリにも人気があったように思う。インテリには一定の革新的な層がおり(今ではそうとも言いかねるが)、彼らは体制に組み込まれてしまったことへの慙愧の念を心の片隅に残している。そこに至るまでの学生時代の気ままな生活への郷愁が、この映画の世界へ向かわせるのではないだろうか。

 山田洋次は、車寅次郎という架空の人物を通じて、日本人に在りうべき一つの人物像を確立した。それは歴史に残る高名な人物に勝るとも劣らないものである。

 以下は、以前に「男はつらいよ シリーズ第1作」というタイトルで書いたブログである

 私が知っている範囲でも、「男はつらいよ」を語らせるとうるさい人が何人かいる。全作観ていて、何作目がいいとか、作を重ねるにつれて内容がどう変わっていったとか論評する。私はそれほどのマニアではないが、この映画が好きで、自分のなかでは他の映画とはカテゴリーを異にするものとして認識している。
 全48作のうち劇場で観たのはおそらく10本程度だ。他はテレビやDVDで観ているが、40作を越えたあたりからは見逃している作品もあると思う。葛飾区内の映画館で観たことがあり、観客とスクリーンとの距離(心理的)が非常に短く、寅さんの親戚が観に来ているという感じだった。

 さて、DVDで久々に第一作を観た。初めての作品ということで、山田洋次の気合を感じる。挑戦的で、ある意味各所に棘があって、観ていてひやひやしてしまう。一般庶民の感覚からすれば、寅さんにそこまで言わせるかと思ってしまう。おいちゃん、おばちゃんに対する言動やさくらの見合いの席での振る舞いは乱暴で、失礼極まりないものである。それを言わせているのはやくざな世界と堅気の世界の対照が必要であり、その二つの世界のぶつかり合いに喜劇が生まれると同時に悲劇も生まれるのではないかと思う。その後の連作を予定していたのかどうかは知らないが、あとの展開もその関係を基礎にしている。付け加えると、堅気の世界が必ずしも正しいわけではない。正しくはないのだけれども、それは政治や教育の影響を受け規格化されてしまい、本来人間的であるはずの感情や振る舞いを矯正しにかかるのである。
 しかし、そういう作品の特徴は、作を重ねるごとに薄れていくように思える。堅気の世界、世間とのぶつかり合いのなかで寅次郎の棘が取れていくのか。あるいはまた、作る側も、観る側も、そして車寅次郎も次第に歳をとり、分別ができて丸くなっていくのだろうか。

 ところで、マドンナの光本幸子がいい。天真爛漫でかわいいお嬢さんを演じている。これがマドンナの原型である。育ちがいいから寅次郎を端から敬遠することはない。寅次郎に好意はもっても恋愛感情にはならない。別の世界に住んでいるからこそマドンナである。太地喜和子演ずるぼたんや、浅丘ルリ子演ずるリリーは寅次郎と同じ世界の人間であり、マドンナとは言えない。観る側から言えば、ぜひ寅次郎とリリーとは一緒にしてやりたいのだがそれは叶わなかった。リリーはいつでも受け入れる気持ちがあったのだが、寅次郎の方に分別ができてしまい、逆に距離ができてしまったように思える。

 志村喬がいい。この人に上手いなどと言ったら失礼だ。登場時間は短いが、ひろしの親としてのスピーチは最後の山を作っている。この場面なしに第一作は語れない。志村喬と三国連太郎は本当にいい。

 他の役者も適材適所でいい。というか、長く観てきているのでイメージが出来上がり、はまり込んで見えてしまうのだろう。倍賞千恵子、前田吟、森川信、三崎千恵子、太宰久雄、笠智衆。森川信は八作目までだが、あの飄々とした感じが好きである。太宰久雄は中小企業の経営者の苦労を代弁してくれている。映画を観ている経営者は、彼に自分の姿を投影して観ているに違いない。

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