« 順位を上げる喜び ~競争とは何か~ | トップページ | 再掲載 須藤孝三さんの「最高に美しい肉体」 »

2012年6月17日 (日)

潔く退く(引き際の美学)

  引き際が肝心である。

 最近のプロスポーツ選手は寿命が伸びた。野球、大相撲において顕著な傾向がみられる。食生活や生活環境の進歩、医療の進歩、科学的なトレーニングの導入などが背景にあろう。ただし、それだけではなく、「引き際」に対する考え方が変わったのではないだろうか。

 王や長島の引退、大鵬の引退時期を考えると、もう少しできたのではないかと思える。王は最後のシーズンでも30本の本塁打を放っているし、大鵬は途中引退の前の場所は12勝3敗であった。彼らには権威があった。力の衰えたプレーを観衆に見せるわけにはいかなかった。

 ところが、現在は、40歳を超えても現役にこだわり、成績を落としてもプレーを続けようとする。山本昌投手や金本選手などがいる。山本投手の46歳での勝利は素晴らしいが、これは超一流でないからできることなのかもしれない。
 超一流であれば、全盛期の成績が際立っているので、それとの対比で衰えが余計に目立つ。それが痛々しく受け取られる。しかし、球団はそのような選手に引退を勧告することはできない。本人から引退の意思表示をしてもらうことが望ましいのだ。選手はその時期を敏感に感じ取ったに違いない。本塁打を打てない王はすでに王ではない。並みの選手である。

 引き際のタイミングが、超一流選手には必要だった。きれいにユニホームを脱ぐところに美学があったのだと思う。最近は、衰えても、あきらめずに粘ることが賞賛されている。これは高齢化社会の反映ではなかろうか。労働者の定年が延長されているのと似ている。そうするとどうなるか。若手の活躍の場がなくなる。スポーツの世界も同じではないか。

« 順位を上げる喜び ~競争とは何か~ | トップページ | 再掲載 須藤孝三さんの「最高に美しい肉体」 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 順位を上げる喜び ~競争とは何か~ | トップページ | 再掲載 須藤孝三さんの「最高に美しい肉体」 »