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2012年5月 6日 (日)

進む “地方の衰退・衰弱”

 4月30日付けの日経新聞に書いていたが、早慶上智理大への合格者に占める首都圏の高校生の割合が増えているという数字があるそうだ。その記事によれば、5年前の59%に対し、67%になったという。これは確かに小さい数字ではないだろう。もっとも、これが進学者数ではなく、合格者数であるところが少し引っかかるのだが。(進学者数でも増えているのだろうが、増え方はこれより少ない可能性がある。)

 地方から東京の大学へ進む場合の経済的負担は大きい。親がその多くを負担し、不足する部分を本人がアルバイトで補てんするのが一般的なパターンであろう。一部に、奨学金も利用しながら本人だけでやりくりする場合もあるが、これは非常に負荷のかかる生活である。

 したがって、地方から東京に出ていく気持ちが消沈するのも無理からぬことだ。東京へ行けばこれまでに経験したことのない世界があることは容易に想像できるであろうが、それが叶わぬとなれば、地方には地方のいいところがあると言い聞かせて、地元に残る選択をすることになる。

 やむを得ない選択ならば、今ある条件のなかで精いっぱいやるしかないだろう。しかし失うものは相当大きいのではないか。私の経験からすれば、東京で得たものは大きい。
 全国から学生が集まっていた。育った地域によって考え方や感じ方、気質に違いがあるのかどうか明確には分からなかったが、何もないことはないだろうし、付き合いがきっかけで友人の育った町を尋ねたこともあった。
 東京には先端の文化があった。劇団があり、質はともかく演劇サークルは腐るほどあった。地方では上映の難しいマイナーな映画が観られた。あまり行かなかったが、クラシックの演奏会は頻繁に開かれていた。
 東京には、政治があった。様々な潮流があり、それぞれ徒党を組んでいた。内容はともかくも多様な主張を聞くことができた。マスコミによる大量で一方的な見方に対抗する主張に触れたことは有益であった。

 以上がすべてではないが、東京に住まうことの利点である。地方でこれらのことが皆無であるわけではないが、近年ますます貧しくなっていることは否定できないだろう。それは資本が地方に集まらないことや国による文化政策の貧困が招いているのであろう。
 たしかに、地方にしかできないことがある。先進的なものがすべてではない。地方にも人が暮らしているのだから当然文化というものがある。地方の文化を守り育て、それを中央に発信していくことで過度の集中を排しなければならない。だから余計に、中央から地方を見る経験もあっていいのではないだろうか。

 私は、故郷に帰った時に、何もないことに気が付く。母がいる。子どものときとあまり変わらない海や山がある。しかし、文化がない。活気がない。昔はもっと地方、地域の活力があった。このままでは、中央に完全に切り捨てられる日が来るのではないだろうか。

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