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2012年3月の投稿

2012年3月31日 (土)

辻井伸行 ショパン・バラード♯1

 有名なピアニストも数々いるが、同じ曲を聴き比べてみると面白い。素人の音楽鑑賞だから、客観的な判断基準を持たないので、好き嫌いの範囲を出ない。したがって、いい加減なものであるが、思うところがあるので書いている。

 同じショパンのバラード♯1を、ホロウィッツ、ルービンシュタイン、リヒター、ポリーニ、アルゲリッチ、辻井伸行の演奏で聴き比べる。目的は辻井伸行を相対評価することだ。

 もちろん、名だたる名演奏家たちと同列に並ばないことは承知の上である。辻井伸行の評価は高いようだが、まだ若いし、ハンデもある。ピアニストにおけるこのハンデは、津軽三味線におけるよりも大きな影響を持つことは素人にでも分かる。その分は実際のところ割り引いて考えるべきだろう。もちろん、これからますます技と感性を磨いて、そんなハンデなど吹き飛ばしてくれることを期待したい。

 これからは、ほんとに素人の勝手な感想であるので、これを読まれた専門家には笑われるだろう。

 ホロウィッツ・・・ダイナミックである。少しやかましすぎるのではないかと思うほど力強い。技と演出で他の演奏家が真似できない世界を創りあげている。

 ルービンシュタイン・・・それほどはっきりした特徴を感じない。しかし上手だと思う。ピアノの演奏はルービンシュタインを基本に聴いていけばいいのではと思う。

 リヒター・・・躍動感がある。聴いていて楽しい。実際に聴けたらどんなにかよかっただろうと思う。

 ポリーニ・・・一音一音がしっかりしている。しかも流れがあり、音に深みがある。この曲を、若い時と白髪になってからの時期とで聴いてみたが、録音の良さも影響しているだろうが、後者の方がよい。

 アルゲリッチ・・・女性にしてはという表現は使いたくはないのだが、女性のなかでは弾き方が力強いと思う。非常に切れ味がある。しかし、時として弾き方が性急になっている印象を受ける。

 辻井伸行・・・これまでに上げた名人たちに比べ、タッチが弱い。繊細さは感じるが、迫りくるものがないので、こちらから聴きに行かなくてはならない。だから、彼の音楽はまだ彼一人で成り立っているのではなく、彼と彼を支持する者との共同の世界ではないかと思う。

【補足】
 
繰り返しになるが、今後の活躍を期待したい。並みの演奏家でないことは間違いないのだから。著名な演奏家は、その演奏にのみ興味があるが、辻井伸行の場合は演奏も含めて彼自身に興味がある。

2012年3月25日 (日)

高校野球 選抜大会 近江高校対高崎高校

 第4日目を観戦。第4試合の近江高校対高崎高校。高崎は私の会社の常務の出身校である。アルプスの応援席にいたはずだ。

 やはり近江の方が力が上。高崎としては4回に連打を浴びて大量点を許したのが痛かった。島田投手はややスピード不足か。120km台半ばが多く、稀に130km超があった程度。左投げの投手なら通用する場合もあるが、右の場合は安定して130kmを超えるスピードがほしい。そうすればもっと変化球を使える。もっとよくなる投手だと思った。

 

 手袋、カイロなど準備万端で行ったからよかったものの、今日は寒かった。高校野球は暑い中でプレーし、観戦するのがよい。

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組織論 振り返り(風土改革に関連して)

 私は経営学の研究者ではないから、組織の問題を実際の経営に必要な範囲で考えてきたし、その姿勢はこれからも変わらないだろう。

  組織とは何か。単なる「もの」ではない。企業を想定して考えてみると、土地や社屋や設備などは「もの」ではあるが、それだけで動くわけではない。また、そこに「人」を加えただけでも動かない。これらはいわゆるハードの部分であって、ソフトが伴って初めて有機体としての企業が現出する。

 ハードが土台としてあって、その上にソフトが載っているのではない。ソフトはシステムという言葉に置き換えてもよいが、システムこそ組織の性格を決定づける本質的な要素である。
 人が集まって起業しようと相談している。濃いか薄いかは別にして、彼らにはすでに一定程度の人間関係が築かれている。その関係が、これから始まる企業におけるシステムの「種」となるに違いない。そこには、彼らが持っている価値観や集団的な行動における性向や互いの力関係などが含まれる。その上に、社会の常識や法的に守らなければならない規則などが加わって、システムとして仕上がっていくのである。

 繰り返しになるけれども、企業にとって、土地を何坪所有しているか、工場はいくつあって設備の能力はどれほどあるか、従業員数は何人か、というようなハードの部分の評価も大事ではある。しかし、企業の生命力を測定するには専らシステムの分析に拠らなければならない。そして、そこにおける重要なポイントは「人がどのように動いているか」である。

 組織において、人を動かす力は、基本的には組織の体制とそれに相応する責任と権限の体系に由来する。端的に言えば、一定の強制力によって人が動く構造になっているのである。ここは基礎的な要件として押さえておきたい。

 われわれが所属する組織は、多かれ少なかれ官僚制的である。目的・目標を達成するためにもっとも合理的な組織の作りになっている。しかし、基本はそうであったとしても、弊害がないではない。組織とは元来保守的なものであり、自らの延命を図る本能を持っている。企業でも、放っておけば仕事が増殖し、ある人に言わせると毎年5%ずつ組織が肥大化するのだそうだ。また、仕事が細分化され、専門化するので、視野が狭くなって大局的な判断を阻害するようになる。

 では、人を動かす力は他にないのだろうか。最初に、種となる人間関係のことを取り上げた。そこで、「持っている価値観や集団的な行動における性向」という表現を用いた。それは後に組織の風土を形成する。風土とは難しい言葉であるが、「組織の成員が共有する価値観や思想・信条、言葉の使い方、思考プロセス、これらに基づく行動等」と定義できるだろう。この風土が人の行動を規定する見えない力となっているのである。したがって、風土を変えることが組織の発展(あるいは衰退)にとって、一つの決め手になると言えるだろう。

 その観点に立って、多くの企業で組織風土の改革に取り組んでいる。だが、それは容易な課題ではない。風土が変われば組織が変わるという言い方はものの一面しか見ていない。風土は組織に規定されているという言い方もできるからだ。システムのなかのよりハード的な部分、すなわち組織体制や明文化された制度(人事評価や賞罰の制度など)を変えることによって人の意識や行動が否応なく変わってしまうという側面がある。だから、ハード的な部分の変革とよりソフト的な部分の変革の合わせ技による改革が現実的なのだと言う結論を得ることができる。

 われわれを取り巻く環境は、年々その変化を速めている。組織が生き残るためには、変化に合わせて、あるいは変化を先取りして自らを変えていく必要がある。従業員に、意識を変えろ、行動を変えろ、と言っている目的はそこにある。まずは、その目的の共有化が欠かせない。それがなくて、一方的に言われるだけでは鬱陶しいかぎりである。

 ここでいう意識の改革は、「思索」によってもたらされるものではない。宗教的な「悟り」ならともかく(実はそれも同じだと思うのだが)、われわれの生活意識というものは実践と切り離して考えられない。従業員の意識の変化は、業務のプロセス上で起こるのである。その変化とは、これまで固定化していた、そして身に染みついていたパターンからの逸脱なのである。もっとも、逸脱とは言っても、未来に向けて有益な変化でなければならないが。

 こんなことは今までやっていなかったのに、こんなことをする人ではなかったのにと周囲に認知されることが大事である。私は、「行動の変化→周囲の認知と評価→本人の自覚→変化した行動の定着とさらなる変化」というサイクルが実態として起こるはずだと思う。そして、端緒となる行動の変化は、本人の発意によるものではなく、他者による後押しによるのではなかろうか。

 後半は風土改革について考えをまとめた。風土は組織を動かしているシステムの構成部分であり、組織改革においても優先順位の高い課題であることを言いたかった。だが、私の中ではまだ組織論は未熟である。それはまだ私自身が未熟であることと同義である。加えて言うならば、私の会社が未熟であることの証明でもある。

2012年3月24日 (土)

20世紀以降の世界(アメリカを中心に見て)

 社会主義国がまだ健全であり、経済的な面でも労働者の要求を満たしていた時代には、資本主義の世界でアメリカは対抗的にそれ以上の価値を実現する使命を担っていた。自由と民主主義を保障し、物質的な豊かさを西側の世界に見せつける必要があった

 第二次世界大戦において、日独伊等の枢軸国に対し、圧倒的な生産力をもって連合国の中心的役割を果たしたことはアメリカの地位を大いに押し上げた。ソ連も同じように力を伸ばしたが、西側では圧倒的な優位に立った。

 だから、アメリカには盟主としての政治的道徳的権威が生じる基盤があったのである。戦後しばらくの間はアメリカにとってよき時代であった。しかし、ベトナム戦争が始まり、そこでの失敗はそれまでに築いた権威を失墜させていった。

 ところが、ソ連が崩壊したことにより、資本主義の勝利が宣言され(その評価が正しいかどうかは別として)、ことさらその価値を宣伝し、実際に表わして見せる必要もなくなったのである。それから、アメリカとアメリカの巨大資本は道徳的な装いを投げ捨て、利益の露骨な追求に専念し始めた。これこそグローバリズムの背景である。

 東の盟主であったソ連がいなくなったことで、強力な敵国はいなくなった。それはアメリカの自由を増すことになったのだが、そこに負の要素がなかったわけではない。敵国が少なくなれば、厚い軍備を持つ必要がなくなる。それは軍需産業の仕事を減らすことになる。アメリカの政権はある意味軍需産業に支えられている。困ったことだが、テロリズムが口実を与えた。テロには社会主義のような理論や大義名分もないので、対抗のための武装化にあれこれ理屈を付ける必要もない。

 このようにアメリカも変わってきたのだが、変わったのはアメリカだけではなく、他の国や地域も変わっていくのである。だからアメリカの思い通りには進まない。一番大きなインパクトは中国の経済的発展である。実はこれもソ連の崩壊が引き金になったと考えられる。中国の指導者たちは、ある意味利口だったのである。この選択を抜きにして生き残りはなかった。それをやれない北朝鮮の崩壊は時間の問題だ。ただし、中国が、日米へのけん制として今のまま残しておきたい思惑があるから、まだしばらくは生き延びるだろうという予想がある。

 今後、アジアを中心として経済的発展が進めばアメリカの相対的な地位はさらに低下するだろう。しかし、手をこまぬいてはいない。
 ①移民を流入させて成長の基盤を維持する。
 ②「敵国」を作りながら軍事的地位を維持する。
 ③基軸通貨としてのドルを防衛する。
 ④投資銀行などの大企業が世界で動きやすいように「自由」市場を広げていく。
 ⑤アメリカ的なやり方やシステムは、公平で「いい」システムであると各国の政治家や学者に宣伝する。

 以上のような策を弄して盟主としての立場を維持しようとするだろう。

 たとえばTPPもその文脈で考えれば分かりやすい。アメリカは日本や他の国の利益を考えて動いているわけではない。これはだれでも思うことだろう。
 アメリカがすでに持ちこみ、さらに拡大しようとするシステムが日本の国民の利益にはつながらず、他のアジアの国々の国民の利益にならないのであれば、それを拒否しなければならない。「自由」な経済活動というものはない。活動にはルールが必要である。小さな町の市場ならともかく世界の国家や企業や個人が取引するのにルールなしで動くはずがない。スポーツを考えても分かる様に、ルールの設定を変えてしまえば勝敗の結果が変わってしまう。要は、だれに都合のよいルールなのかという問題だ。これがリアルな歴史の見方ではないか。

 素人の歴史観だが、歴史を見れば今が分かるという理屈は正しいようだ。

2012年3月20日 (火)

今久保教授 京都大学での最終講義(2012.03.17)

 3月17日の土曜日に、知人から来ないかと誘われて京都大学の講義を聴きに行ってきた。経済学の今久保教授の京大における最終講義であった。

 京都駅まで新快速で行き、そこから市バスに乗って京大正門前で降りる。バス停から正門までは思ったより距離がある。時計台記念館の後ろにある教室に開始時間ぎりぎりに到着した。受付を済ませて入ると、ちょうど講義が始まったところであった。

 テーマは「ベルサイユ体制下の独仏経済関係とドイツ通商政策―現代EU経済・日本経済把握への意義」であった。私は経済学をほとんど学んでいないが、経済政策論であれば少しは分かる。

 ここにレジュメや資料を書き写しても仕方ないので、私が重要だと思ったポイントだけまとめておこう。 

 ・二度にわたる大戦での敗戦で、賠償金をとられ、占領地において収奪を受け、不利な条約を呑まされたが、試練に耐えて復活してきた。
 ・ドイツにはF.リストによって理想として表わされた膨張主義があり、それが復活の力となっているが、それはEUにおいて中心的な地位を占めるに至った今日においてもなお温存されている。
 ・ナチスドイツの政策は特異な面はあるが、その前後との共通性が強い。
 ・フランスとの和解で転換を遂げたかのように見えるが、実はそうではなかろう。EUのドイツ化を進めるとともに、EU以外の東方地域に向けた膨張志向が消えることはないのではないか。
 ・ドイツの通商政策は戦略的である。たとえば、輸出相手国を見ると、金額ベースで分散化が図られており、環境変化や有事に備えたリスク分散が志向されている。それに比べると日本は、米国あるいは中国への集中が顕著である。

 以上だが、最後に今久保先生が述べられた「現代日本経済把握への意義」について触れておきたい。自身の主張として、「水平的・非覇権的で、分業を固定しない共存共栄型国際経済関係を模索すべきである。」と言われた。その時、石橋湛山の小日本主義を上げ、主張の共通性に触れておられた。理念・理想としては私も共有する部分が大きい。
 しかし、その追求は現実の生々しい社会のなかで行われるのであり、特に政治的な障害を乗り超えなければ実現できないものである。貿易の相手国にしても、敗戦後の日米関係に制約を受けている条件を抜きにして評価できない。その点については触れられなかった。

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2012年3月18日 (日)

旧友の講演を聴く(みんぱく講演会)

 金曜の夜、毎日新聞社のオーバルホールで開かれた国立民族博物館の講演会を聴きに行った。大学時代の友人であるSさんが講演するので参加することにしたのだ。

 受付近くに彼がいたので声をかけた。卒業してから電話やメールでのやりとりはあったが顔を合わせるのは初めて。約30年ぶりである。おじさんにはなったが顔つきは変わらない。「サラリーマンになっちゃって。」と言われ、ずっとこれだよと答えたが、彼には学生時代の私のイメージしかないわけだ。

 演題は「ヨーロッパにおけるキリスト教―地域・民族・生活の視点から」というものだった。時間が40分だったので駆け足になって分かりにくい面があったが、断片的で数少ない知識しか持たない私には大変勉強になった。

 キリスト教の特徴

1 唯一絶対で全能の神という考え
2 神がイエスの身体を通して人となったという受肉という考え
3 イエスは十字架上の死後に復活したという考え
4 人類の終末時にはイエスが再臨し、死者は復活して最後の審判を迎えるという考え

 カトリック、正教会、プロテスタントの違い

 地域的には、ラテン系の南ヨーロッパはカトリックが多い。ゲルマン系が多い北・中部ヨーロッパはプロテスタントが多い。スラブ系を中心とする東ヨーロッパは正教会が多い。
 カトリックはローマ教皇を神の代理として崇拝する集団である。プロテスタントは、カトリックに反旗を翻して分離し、教会ではなく聖書のみを絶対的な権威の源泉として尊重する。正教徒は、ゆるやかな連合体を形成する東方正教会のなかの独立の諸正教会の属し、イコンという聖画像を崇拝し彫像を偶像崇拝といて否定する。

 

 この後、もう一人の講演者である、同じ早稲田大学の出身のHさんの「日本人の宗教観―多元的な共存を可能にする思想とは」を聴いた。また、続くパネルディスカッションも面白かった。

 日本人は自国の精神的な文化にもっと自信を持たなければならないというメッセージが、この講演会の主題であった。

2012年3月17日 (土)

「七人の侍」と「荒野の七人」

 特別な映画ファンでなくても、「荒野の七人」(1960年)が「七人の侍」(1954年)のリメイクであることは知られている。50年以上前のことであり、あまりに有名な話なので改めて語られることもない。

 先日、家電の量販店に行ったらDVDのセールをしていた。日本の映画ソフトはまだ値を崩していないが、洋画は随分安くなった。この日は3枚まとめて買うとお得な(余分なものまで買ってしまうという意味では本当にお得かどうかは分からないが)セールだったので、3作品購入することにした。結構な数があるので迷うが、昔観た映画をまた観てみたいという思いが強く、「荒野の七人」・「ナバロンの要塞」・「タクシードライバー」の3つにしたのだった。

 「荒野の七人」はユル・ブリンナーが企画したものだが、DVDで改めて観ると元の作品の筋書きを忠実に真似ている。しかし、当然ながら違いも多くある。その多くは文化の違いに由来するものであろう。また、207分と128分という時間の違いから生まれる要素もある。
 七人が集まる経過に違いがある。元の作品の方がその過程は複雑であり、偶然が働いており、武士にもいろいろな価値観のあることが描かれる。リメイク版は知己の者が集まり、あっさりしている。

 黒沢作品では、農民の出身は三船敏郎演ずるところの菊千代であった。これに対し、リメイクでは農民の出は「チコ」であり、この役は木村功演ずるところの勝四郎の当たる。三船の演技があまりに破天荒なので、ガンマンとしては設定できなかったのかもしれない。

 リメイク版では、村の財産を略奪する盗賊の首領に多くの登場場面とセリフが用意されている。しかし元の作品ではその姿がはっきりしない。最後に殺される場面ぐらいである。野武士の姿は戦闘場面に限られる。

 リメイク版でも、農民に武器の使い方を教えているが、教える対象は数名であり、銃の撃ち方に限られる。黒沢作品では、組織的な戦闘を前提として村の男たちを時間をかけて訓練している。
 

 ガンマンにしても農民にしても、総じてその描き方に深さが見られない。農民について言えば、その生活、特に農地と農作業が映っていない。したがって、農民の存在がどういうものであるかを感じさせる場面に乏しい。
 ガンマンの存在も分かりにくい。それは私が西部の開拓史を知らないからだろうか。「武士」の歴史は長い。戦の歴史もながい。特定の主君に仕えず、渡り歩く武士もいたのだろうが、いずれにしても組織的な闘いに身を置いたのであって、その点はガンマンとは違うのではなかろうか。ガンマンは少数であり、アウトローでしかなかった。だから農民を組織化する術はなかった。戦略を持って戦う必要性は、その存在からは導きだせないのである。

 「七人の侍」は世界的に大ヒットしたが、その解釈には様々なものがあったようだ。ここに帝国主義勢力を打倒して民族の自立と解放を勝ち取る姿を見た勢力があった。キューバは高い金を払ってフィルムを購入したという話も聞いた。
 あるいは、ここに描かれた武士と農民との関係を、革新運動における知識人と労働者の関係に置き換える見方もあったようだ。なるほどと思うところがある。勝利したのは農民だと言う最後のセリフに、知識人は自ら戒めの言葉と受け取ったに違いない。

2012年3月11日 (日)

あれから1年、3・11に思う

 昨年の3月11日、私は茨城県の龍ヶ崎市にいた。大阪から出張で会社の工場に行き、会議を行っていた。プレハブ建ての2階の会議室は始めはゆっくり、そして次第に激しく、長い振幅で揺れだした。すぐに立ち上がったが、動きがとれず、机に手を置いて倒れそうになるのを我慢していた。途中で外に目をやったが、電線が激しく上下している様子が目に焼き付いている。

 揺れが収まると、工場の人たちが入り口近くの広場に集まってきた。恐怖で腰を抜かした女性従業員がいたが、幸いにも怪我人はいなかった。無事を確認した後、余震に気を付けながらも設備の被害状況を確認するため再び持ち場に帰って行った。会議に参加していた出張者は、プレハブの1階にある休憩室でNHKのテレビに見入った。津波の恐れがあり、最大で6mを超える可能性があるという。この揺れだと、その数字も大げさには感じなかったが、これまでの経験で言えば、結果は予想より小さくなるのではないかとも思われた。

 しかし、しばらくして東北地方の海岸線が上空のヘリから映し出された。沖合から高く盛り上がった大波が押し寄せてくる。海岸線が危ない。誰でもそう思う。ヘリのカメラは陸地を映す。自動車で移動しようとしているが、津波に気付いているのかどうか。早く、海とは逆の方向に向かった方がよい。
 波が押し寄せてきた。陸地を駆け上ってくる。勢いは衰えない。家も田畑も樹木もなぎ倒していく。車は浮かんだまま運ばれる。どれだけの時間、どれだけの距離、それが続いただろうか。テレビを茫然と見つめるしかなかった。

 こういう場面をリアルタイムで見る経験は初めてである。ただ、これから先は分からない。カメラを通して見る現実も、現実には違いない。しかし、想像力を刺激されたにせよ、自分の身は安全なところにある。先ほど経験した揺れは体感として残り、極めてリアルであるが、テレビには距離感を拒めない抽象性がある。

 その日は龍ヶ崎市内のホテルに頼み込んで部屋を空けてもらい、余震に眠れぬ夜を過ごした後、翌朝満員の常磐線に乗って東京駅にたどり着き、しばらく並んで新幹線に乗りこんで大阪に帰ってきた。

 その後は社員の無事を確認し、生活支援の物資を送ったり、被災地に救援物資を送り込んだりした。生産を通常に戻すために、取引会社に無理を言って茨城まで行ってもらったりもした。おかげで1週間ほどで回復した。原料も1ヶ月ほどで揃うようになった。全般的に順調だった。組織が力を合わせ努力したこともあるが、運に恵まれたこともあったのだろう。

 あれから1年が経過した。あっという間だったとは思わない。いろいろなことがあったから。

 会社では、1年を経過したことを機に、福島県の孤児・遺児育英基金に寄付をした。

 復興は道半ばというより、緒に就いたばかりと言えるだろう。誰もが、遅すぎると言う。確かに遅いのだ。まずできることを早く。急ぐものは審査を緩くして手を付けるべきである。

 大阪にいると離れている分、東北の現状を忘れがちだ。生活の不便さ、放射能への恐怖などへの共感は薄い。だから、意識して報道番組に目を向けるとか、写真集を見直すとか、そんな行動が必要だ。会社でも、東北まで足を運んだ社員もいたが、それは例外的だ。そこまでできたらよいが、そこまでしなくても先ほど書いたぐらいのことはできる。

 とりとめのない文章になったが、あまりに大きく衝撃的な出来事だったので、容易に風化はしないだろうが、それでも時間の経過が風化を進めることは間違いない。風化にブレーキをかけよう。

K先輩のこと

Kさんはサークルの先輩だ。年齢は同じなのだが、学年は2年上だ。これは私が大学に入るまでに2年遅れたからだ。Kさんは確か岐阜の出身で、私が転勤で名古屋にいた時に、家まで遊びに来てくれた。

 卒業後ある大手の船会社に就職したが数年で退社し、再び学問の道に入った。会った時には、確かインドの歴史を勉強していると言っていたように思う。それから音信不通であったが、ネットで検索していたら、国士舘大学で研究を続けていることが分かった。今考えると、サラリーマンが似合う人ではなかった。自分を活かす道に進むことができてほんとに良かった。


 国士舘の学内情報にKさんの記事があったので、ここに紹介することにしたい。ちなみに、学生時代に山登りの趣味はなかった。

以下はインターネットで公開されている大学のニュース記事である

 国士舘大学の先生の個性的な一面を紹介する連載企画を公開!インテリジェンスでアクティブ、そしてオシャレな先生たちの素顔とは?

本学政経学部でヨーロッパ政治史を教えるK先生は、一風変わった山登りのスペシャリストだ。一般登山道を歩かない「ヤブこぎ」と言われるスタイルで、人と出会わず存分に自然と向き合うもの。尾根を伝って道なき道を歩き、笹などをかき分けて山頂を目指すハイレベルな登山なのだ。
 「山は木が生い茂ると地表には障害物が少ないので比較的歩きやすいんです」と何気なく話すK先生。健康のためにと8年前にはじめた登山にのめり込み、本格的になっていった。
 「登頂までの過程が楽しい。自然を感じながら、展望の変化を楽しんだり、木や花を見たり」そんな楽しい登山だが、道なき道を行くのだから装備は重要だ。
「特にコンパスと地図は不可欠です。GPSも時々使います。現在地がつかめなければ遭難しますからね」
 実際、危険な体験もしたという。
「熊に3回遭遇しました。うち1回は同行者が噛まれたことも」
本来ならクマ鈴を鳴らしながら登るのだが、この時は油断してしまったとのこと。また、御岳(長野・岐阜県境)で山スキーをした時は、山頂付近のアイスバーンで滑落しかけた経験もあったとか。
「山はとにかく怖いもの。気軽な山登りはしません。例えば、雨具を忘れただけで、体が濡れて体温が奪われて凍死することだってあるんです」
こうして万全の準備で臨み、山頂から見る景色には格別なものがある。先生は言う「山には日常とは全く違う世界が広がっているんです」

 

K教授
 1958
430日生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。ロンドン大学よりPh.D. 取得(歴史学)。名古屋大学大学院博士後期課程修了。イギリスの植民地支配、植民地政策を専門に研究する。授業では、ヨーロッパ政治史などを担当。北アイルランド、ユーゴスラビアの民族問題などを中心に教鞭をとる。

 

 

 

2012年3月10日 (土)

冬来たりなば春遠からじ

 冬になれば春がやってくるのは時間の問題である。それは四季が巡っているからである。人生に季節ほど規則正しい浮き沈みがあるはずはない。だから冬の時代にあってもやがて苦難は過ぎ去り、春のように穏やかな時期がやってくるに違いないと考えるのはあまりに楽観的すぎる。

 苦しい時代はだれでも経験する。そこから抜け出すのは、第一義的には自身の努力によらなければならない。そして次に周囲の援助であろう。また、巡り合わせによって救われる場合もある。とはいえ、心構えはそうであらねばならないとしても、努力が報われず追い込まれる場合もあろう。そうなれば、春を待つ気持ちも仕方がない。

 私は高校時代に躓いた経験がある。このときは自力で抜け出せなかった。時間をかけてゆっくり回復に努めたという意味では時間が解決したのだが、それを許したのは親なのだから、人の助けがなければ人間は生きていけないのだと考えるのが正解である。

 本当につらい時は、きっと救いが訪れると信じたい。他力に頼らざるを得ないのである。

 「冬来たりなば春遠からじ」 実は非常に好きな言葉なのだ。

2012年3月 4日 (日)

面白かったびわ湖毎日マラソン

 男子マラソンのロンドン五輪最終選考レースとなったびわ湖毎日マラソンをNHKテレビで観戦した。注目は旭化成の堀端選手で、日本選手で最高位に入る確率は高く、その記録が問題であった。

 前半はペースメーカーに引っ張られ順調に進んだ。先導が外れた25kmからは愛知製鋼のサムエル・ドゥングが引っ張る。堀端も付いていくが、ドゥングの走りに勢いがあり、1位はないであろうことは予想できた。しかし、東京の川内選手と同じように給水に失敗したとはいえ、後ろから追い上げられることはないだろうと思った。

 ところが堀端の走りがおかしくなりだす。そして後続の日本選手が迫ってくる。まず、安川電機の中本選手が抜き去った。勢いが違う。ああ、これで中本で決まりと私も思ったが、安心したのか彼のペースも落ち着いてしまう。すると、続いて堀端選手を追い抜いてきた佐川急便の山本亮選手が必死に追いすがる。もがくような走りだが、力強い。解説の金哲彦さんも、これは大どんでん返しがあるかもしれないと興奮しながら話している。そしてトラック勝負になると言う。

 結果は、金さんの言うとおり、トラックに入ってから山本選手が中本選手を抜き去り、2時間8分44秒で日本人トップの4位に入って、五輪出場へ名乗りを上げた。

 優勝は愛知製鋼のサムエル・ドゥングで、タイムは2時間7分4秒という堂々としたものであった。堀端選手はさらに後続の選手に抜かれ11位でゴール。精根尽き果て、ゴールした後にその場に倒れ込んだ。痛々しい姿であった。

 マラソンで順位がめまぐるしく入れ替わることは少なく、今大会は大変スリリングで面白かった。関係者にとっては落ち着かないレースであったと思うが。

 *最後に代表選考について

 判断する場合、①外国籍選手を除いた日本人選手のなかでの順位 ②記録 が主たる要素になる。そこに、レースが行われた日のコンディション(風の影響、気温の高低、雨のあるなしなど)を加味して選考するようだ。
 私は、できるなら一つのレースに有力選手が勢ぞろいして、同一の条件で競わせるのが公平だと思う。それがベストである。しかし、スポンサーやテレビ局の都合でそうもいかない。であるなら、単純に順位とタイムだけで判断した方がよい。その日の条件は加味しないのだ。まずは日本人で1番になることだ。1番にアドバンテージを与えよう。1番のなかで記録の良いものから順に選ぶ。これが公平である。
 どのレースを走ったらもっともオリンピックに近いか判断することは戦略上の問題である。気象条件まで予測は難しいが、そういうことも含めて走る側の責任にすべきではないだろうか。あまりいろいろ考えると、様々な尺度が入り込んで、不信を呼ぶだけなのだ。

フェイスブック入門

 先週末からフェイスブックを始めました。かつて解説書を買ってきて登録をし始めあことがありましたが、プライバシーが漏れることを案じて中止しました。それから1年余り経過し、親友のKさんが始めたとの便りが届いたことをきっかけにして再びその気になったのでした。

 解説本はありましたが、それを読みながら進めるのも気が短いせいか面倒で、画面を見ながら試行錯誤。やっているうちに要領が見えてきます。

 まずは自分のプロフィールの作成。氏名と出身校、出身地などを登録。それから写真を貼り付けます。人によっては似顔絵だったり、全然関係ないものの写真だったりします。写真なしもあります。続いて趣味などの情報を登録。結構詳細に書いている人とあっさりしている人とに分かれます。私は結構細かく書きました。自己顕示欲が強いのでしょう。

 次に友達を検索しました。Kさんが見つかったので「友達リクエスト」を送ります。そうするとすぐに返信があり、友達リストに入りました。Kさんのプロフィール画面には彼の友人が表示されますが、そこには共通の友人が何人も載っていました。学生時代に同じサークルで活動した人たちですが、ほとんどが先輩で、同学年と後輩はいません。これはKさんの交友関係の特徴でもあるし、フェイスブックをやりそうな人たちがそこに固まっていたということもあるのでしょう。

 その先輩たちに「友達リクエスト」を送り、全員から返信が来て登録しました。次は会社つながりで検索したところ以外にも5人が登録されていました。小さい会社なので随分高率です。そのなかから会話のある3人を選び、同じ手順で友達登録をしました。さらにはそのつながりから得意先のKさんとも友達になりました。

 そこまでで大体落ち着いたかなという感じ。メッセージの交換が始まりました。それからは、ぼちぼちつながりの検索を始めました。高校の同級生、大学の同級生など。しかし、大きく網をかけるとあまりにたくさんの人が引っかかってくるので、探すのが大変です。それでも工夫しながらやっていくと甥っ子の登録があり、また息子もやっていることが分かりました。甥っ子にも「友達リクエスト」を送ろうかと思いましたが、突然おじさんから届いたら驚くかと思って思案しているところです。

 同級生の場合、勤務先が分かれば比較的すばやく発見できますが、分かった場合でもフェイスブックへの登録がなければ当然ながらヒットするはずもなく、まだ友達の人数は十人余りの状態です。

 以上、開始から1週間を経た現在の報告でした。

 

2012年3月 3日 (土)

会社説明会デビュー

 先週の金曜日に、勤務先で会社説明会を開催した。この回は、技術系の学生を対象にしたものであった。そこで30分ほど会社の概要についてしゃべった。

 新卒採用にあたっての我々のミッションは、少数でいいから「よくできる」人を採ることである。だから、そういう人を始めから取りこぼさないことが大事である。

 私は当然ながら会社のよい点を強調した。経営理念は看板として掲げているのではなく、経営判断をするときの基本にしており、具体的には製品のコンセプトに活かされていることを訴えた。
 次に、社員を大事にしている点を話した。年収では業界水準をはるかに超えていること。休日が多いこと。持ち株会を通じて資産形成を行っていることなど。
 最後に優れた社員がいることを話した。大学院の博士課程を修了し、外国の大学で研究員を務めた後入社して活躍しているAさん。同じく大学院を出て入社し、学会では重責を担い、雑誌へ寄稿することも多いBさん。他社から移籍して、内部統制のオーソリティーとして書籍を出し、企業や大学での講演も多いCさん。

 学生の反応はまずまずだったか。質問が活発にあり、その内容も的外れなものではなかった。学生から受ける感じは、理系の学生ということもあるのか総じて大人しい。正味の能力評価はこれからである。
 アンケートでは大半の学生が、応募書類を出してくれるという。数名の採用だから狭き門である。だからといってできる人が残るとは限らない。他社で内定が出たらそちらへ向かうかもしれない。その他社と当社で、どちらが魅力的で心が惹かれるかという問題である。

 伝えていることに嘘はない。ただし、脚色はある。採用活動にも戦略があり、その水準の高さによって本年度の採用活動の結果が決まるのである。

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