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2012年1月15日 (日)

命を投げ出す行為について

 自分の命を賭けてでも守らなければならないものがありますか。守るものは人であったり、大義であったりするでしょう。実際のところ、人や大義のために命を捨てられる人は滅多にいるものではありませんし、捨てるべきでもないでしょう。「命は一つ、人生は一回だから、命を捨てないようにね。」という歌もありました。

 やくざの世界には一つの定説があります。自分のために命を捨ててくれる子分を一人持っていたら、日本一の親分になれる。もしくは、15年刑務所に入ってくれる子分を三人持っていたら日本一の親分になれるというものです。これは、親分のために命や人生を捨てられるやくざは皆無だということの裏返しでもあります。義理の世界とはいえ、親分子分のつながりは存外薄いのでしょう。また、やくざの世界に大義なるものも存在しません。彼らは社会のために活動しているわけではないからです。

 とはいえ、一般の人々も同じでしょう。溺れる子を助ける親はまれにいます。これは親の本能であり、理念で動くのではありません。他人の子が溺れるときに飛び込む人もいます。勇気ある行為ですが、泳ぎに自信のあることが裏付けとしてあると思います。

 宗教や思想など、信ずるもののために命を投げうつ人もいます。迫害する者への抵抗としてその行為は現れます。これにはいろいろなケースが考えられるでしょう。イスラム原理主義に基づく自爆テロもこの種の行為です。しかし、これは他人の命を奪うものです。救われるものは何一つない、いわば純破壊的行為です。

 人の命を救う限りにおいて、命を投げ出す行為が美しい行為として評価できるのではないでしょうか。

 自殺もまた罪です。

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