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2011年12月29日 (木)

落とし所のなさ

 政治という舞台は、諸派が自分のよしとする政策を実現せんがために対抗勢力と争う場であるから、安定を求めるのは一つの矛盾ではあるが、それにしてもあっちへ行ったりこっちへ来たりで、はっきりしない。

 ねじれ国会が不安定さをもたらしてると言われるが、ねじれは原因ではなく、むしろ結果であろう。以前は、投票して議員を選んでおけば、あとはゴタゴタはあるものの、良し悪しは別にしても一定の結論が出て政策は実行された。ところが、今は政策に継続性がなく、予算にもポリシーが現れていない。要するに、決めきれないのである。

 どうしてか。政治家が無能との指摘がある。たしかに、見ていると有能な人は多くはないように思える。しかし、政治の機能不全はそこからすべて説明が付くのだろうか。
 背景には、社会の変化がある。高度成長期には、しばらくの間は成長が続くという希望と確信があった。また、使える財源があった。だから、与党には野党に譲歩する余裕があったのだ。最初から、これだけは分け前として差し出す算段があった。ところが、今は譲るためには借金を増やすしかない。しかし、そういう調整の仕方は長く続くはずがない。

 政権を交代させても、首相の首をすげ替えても、国会における力関係や個人のリーダーシップだけでは動かないのである。日本だけではなく、アメリカでも同じだ。
 こうなったら、院外の動きが重要になる。国会を無視することはできないが、補完する運動がなければ国会自体が動かない。ここでは、それがどんな運動か触れず、またの機会にしたい。

 落とし所のない交渉というものは厳しい。もはや、「間をとる」という選択はない。ないにもかかわわらず、妥協の産物として骨のないアウトプットが生まれる。これ以上、決断の時期を先延ばしすることはできない。

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