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2011年12月 6日 (火)

落合博満の『采配』より その6「チームリーダーはいらない」

 プロのチームにリーダーは要らないという。そういう存在があると、そこに頼ってしまって、自立心や競争心がそがれると言うのである。プロであれば、一人ひとりが考え、動ける人間でなければならない。

 リーダー一般の否定ではない。当然監督がいなければチームは動かない。もっと下位のレベルの問題である。企業であっても、社員の自立性は求められるが、一人ひとりが特殊技能を持った個人事業主であるプロスポーツの選手にはなおさら備わっているべき要素である。

 企業でも、「プロ意識」という言葉が使われる。自分の仕事にプライドを持って、高く買ってもらえるビジネスマンへの成長を目指せという言い方がされる。個人レベルで考えたらそういう発想は悪くないと思う。ただし、労働者全体で考えると、そういう次元で企業側と渡り合える優秀な人材はごく一部だろうし、日本では労働者の流動性が乏しい。(正しくは下層の流動性だけは顕著になりつつあるといえばよいか。)

 自立した(自律した)社員を育てたい。でもなかなか育たない。この問題には社会的な原因がありそうだ。ここでそれを詳細に分析することはできないが、規格化・標準化の流れと個の力の発揮がうまく両立しないところに難しさがある。日本の場合は、その標準化の推進に現場の労働者を取り込んで成功したが、それも次第に困難になり、欧米のように決める人と動く人とが別々になる傾向が見られる。ちなみに、決められた通りに動くだけの人は労働の付加価値が下がり、賃金が低下する。

 ユニクロの柳井さんが、マニュアルだけで動かそうとすると馬鹿の大量生産になると言っていたが、その通りだろう。もっとも、ユニクロの商売は大量生産・大量販売であり、規格化・標準化の最たるものであることも事実だ。だからこそ危機感を感じたのだと言うこともできる。

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