« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »

2011年12月の投稿

2011年12月31日 (土)

ゆく年くる年

 何といっても、「東日本大震災の年」だった。何が起きたかは改めて書くまでもない。原発事故も含め、これほどの災禍に見舞われることは予想していなかった。世界でも有数の地震国なのだからリスクは大きいが、国が安全だと言い続けてきたことも備えを疎かにした原因である。特に原発はそうである。

 人命は元には帰らない。崩れたものは、お金をかければ再び築くことができるが、時間が失われる。放射能については、どうやって終息できるのか見当がつかない。

 震災を通じて、外国から支援を受けた。称賛されたこともあった。原発事故では非難を浴びたし、今後も処理の仕方をめぐって批判を受けることがありそうである。

 もともと、政治・経済・社会各分野で問題が膨らんでいた。そこにこの惨禍が上乗せされた。この経験をどう受け止めるべきか。われわれの築き上げたものは脆く、崩れ易いことを知った。また、細かいことにこだわっていては前に進めないことも知りつつある。

 既得権にこだわってはいけない。いったん、すべてのものをご破算にして、やり直す発想が必要だ。それほどのことが起こったのだが、はたしてそういう認識が政府や東電に生まれたのだろうか。その後の言動を見ていると、そうとは思えない。皆さんは、どう思われますか。

 自然災害は、その発生をコントロールできない。来年も何かが起こるだろう。過去の被害を教訓に、早期に非難するなどの行動で対処しよう。行政も、その旗を振ってほしい。

 人災は有効な対策を打てば防げるし、被害を小さく抑え込むこともできる。そういうものにどれだけの金と人材を投入できるかである。利益を優先しすぎると、対策は甘くなるのが当然の流れである。

 今年よりもずっといい年になりますように。素直に祈りたい。

2011年12月30日 (金)

私のプライベート重大ニュース

1 東日本大震災を経験

 茨城県の工場で会議をしている時に大地震が発生。東北ほどではないが、相当な揺れだった。数分間、机の縁にしがみついているのが精いっぱいで、動けなかった。工場は、従業員に怪我はなく、設備にも大きな被害がなく済んだ。その日は、なんとか近くにホテルを確保し、余震で眠れぬ夜を過ごした。翌日は、辛うじて動き出したすし詰めの常磐線に乗り大手町に辿りつき、東京駅でしばらく新幹線を待ち、午後3時すぎに大阪まで帰ってこれた。

2 株主総会で、取締役に選任される

 重責を担うこととなった。いったん退職し、取締役に就く。社内報で生まれた赤ちゃんの顔をいくつも見ると、この子たちのミルク代も稼ぎださなければならないと思う。

3 銀婚式を記念して、家内と和倉温泉に旅行

 家内と二人の旅行は20年ぶりであった。しばらく前に和倉温泉加賀屋の鳥本専務と名刺交換をさせていただいたので、加賀屋さんに連絡して部屋をとっていただいた。行ってみると昭和天皇が泊まったという部屋に通され、驚いた。至れり尽くせりで、期待を上回る旅行となった。

2011年12月29日 (木)

落とし所のなさ

 政治という舞台は、諸派が自分のよしとする政策を実現せんがために対抗勢力と争う場であるから、安定を求めるのは一つの矛盾ではあるが、それにしてもあっちへ行ったりこっちへ来たりで、はっきりしない。

 ねじれ国会が不安定さをもたらしてると言われるが、ねじれは原因ではなく、むしろ結果であろう。以前は、投票して議員を選んでおけば、あとはゴタゴタはあるものの、良し悪しは別にしても一定の結論が出て政策は実行された。ところが、今は政策に継続性がなく、予算にもポリシーが現れていない。要するに、決めきれないのである。

 どうしてか。政治家が無能との指摘がある。たしかに、見ていると有能な人は多くはないように思える。しかし、政治の機能不全はそこからすべて説明が付くのだろうか。
 背景には、社会の変化がある。高度成長期には、しばらくの間は成長が続くという希望と確信があった。また、使える財源があった。だから、与党には野党に譲歩する余裕があったのだ。最初から、これだけは分け前として差し出す算段があった。ところが、今は譲るためには借金を増やすしかない。しかし、そういう調整の仕方は長く続くはずがない。

 政権を交代させても、首相の首をすげ替えても、国会における力関係や個人のリーダーシップだけでは動かないのである。日本だけではなく、アメリカでも同じだ。
 こうなったら、院外の動きが重要になる。国会を無視することはできないが、補完する運動がなければ国会自体が動かない。ここでは、それがどんな運動か触れず、またの機会にしたい。

 落とし所のない交渉というものは厳しい。もはや、「間をとる」という選択はない。ないにもかかわわらず、妥協の産物として骨のないアウトプットが生まれる。これ以上、決断の時期を先延ばしすることはできない。

2011年12月28日 (水)

S商店のSさんのこと

 S商店は、私が入社する前から、私の会社の代理店だった。Sさんは先祖代々受け継いだものであろう土地をたくさん持っており、小さいけれどもビルも建ててテナント収入もあった。

 Sさんは剣道の実力者で、性格は真っすぐな人だった。やくざにも物おじせず、退治した武勇伝を嬉しそうに話していた。代理店ではあったが、売り上げは伸びず、別の代理店を置いたのだが、それが気に入らず、文句ばかり言っていた。「騙された」が口癖で、それを毎回聞くのも辛かった。こちらとしては騙しているつもりもなく、優遇していたのだが、結局は商才がなかったのだと思う。

 別の地域のK商店も同じような商売をしていたが、こちらは売り上げを増やしていった。人が嫌がる屠殺場の清掃などもやって稼いでいた。貪欲であり、お金を貯め、家も建てた。Sさんの方は財産家だったから、大きな家もあり、それほど欲がなく、いざとなったら土地を切り売りすればいいと思っていたのではないか。現に、財産は少しずつ手放さざるをえなくなった。

 代理店にもいろいろある。私の会社の製品だけを扱うのではないが、私の会社とともに順調に成長し、今では上手く二代目に引き継いでいる会社がある。一方で、昔とほとんど変わらぬ規模の商店のままである場合もある。こういう店は逆によく続いているなと思ってしまう。

 S商店のSさんはすでに亡くなっている。当社との取引は何年も前に無くなった。今思えば、商売など似合わない人であった。

2011年12月27日 (火)

バスケ部の女子が駅伝で日本一

 全国中学校駅伝は18日、山口市の山口県セミナーパーククロスカントリーコースで行われ、女子(5区間12キロ)は新居浜東(愛媛)が40分22秒で初優勝を果たした。
 このチームの5名は全員がバスケットボール部の部員で、9月の半ばから練習していたそうだ。また4名は昨年も大会に出場していた。

 バスケの部員が優勝したということで話題になった。しかし中学生ならありうると思った。これが高校だったら起こり得ないことだ。中学はまだレベルは高くない。高校のように私学が優秀な選手を集めてきて鍛えることはしていないからだ。だから陸上部の選手もバスケ部の選手も能力において大きな差はない。バスケ部も試合でかなりの距離を、しかもかなり激しく走るから、走力とスタミナが備わっているのだ。しかも、試合前の数か月を練習に充てれば、陸上部の選手に追い付く可能性は十分にあるのだ。また中学生の女子は急激に成長し、記録がアップする時期だから、このような一見フロックのようなことが起こるのである。

 このブログを書いていて、バルセロナで金メダルをとった岩崎恭子を思い出した。彼女はあの時期に急激に記録を伸ばした。だれも金メダルをとると思っていなかったのだ。いくつかの条件が幸運にも重なってあのような結果となった。

 バスケ部の選手たちは、この先どのような進路をとるのだろうか。バスケが好きなら、それを続ける方がよい。

2011年12月26日 (月)

タクシードライバー

 会社の帰りに時々タクシーを拾う。そこで運転手さんと会話を交わすことがある。そうすると、その人の人生の一端を知ることができる。

 運転手の入れ替わりは激しい。とりあえず職に就きやすいからだろう。しかし、思っていたほど楽な仕事ではないからすぐに離れる。タクシーは全国に二十数万台の数があり、運転手は四十万人程度いる。

 二十数年勤めた建設会社がいよいよだめになりましてね、と語る私と同年輩の運転手さん。転職して一カ月ほどらしい。なる前には、道端で休んでいるタクシーを見て楽な商売と思っていたが、なってみると厳しいという。前の仕事で市内を走り回っていたので道は分かると考えていたが、それはすべて会社を起点とした動きだったので全然役に立たないと言う。

 その次に乗ったタクシーでは、三十年勤めた会社を病気のため退職した運転手さんに会う。いつまでも遊んでいるわけにはいかないので最近運転手になったという。この人もまだ道を覚えきれていない。乗客が道案内をしなければならなくなった。

 タクシードライバーの勤務はハードである。大体が隔日勤務で、20時間程度乗っていなければならない。給与は歩合制で、売り上げに対して定率で受け取る。バブルのころは相当な売り上げがあり、実入りも多かったらしいが、近年大幅に落ち込んでいる。先日、近くで悪いけどと声をかけると、いえいえありがたいです、なかなか乗ってくれないので、とのことだった。

 以前組合の委員をやっていたころタクシー会社の組合役員と付き合いがあったが、その人は厳しい条件のもとで会社とやりあっていたので、どこかの組の組長かと思うほど顔に凄味があった。闘いが作った顔である。

2011年12月25日 (日)

安易な道に危険あり

 一所懸命働いて生活の糧を得る。いくらか蓄えを持つ。ごく普通の働き方であり、生き方である。

 働かずに、蓄えたものを増やそうとすると、本来やるべきことが疎かになる。これは個人も企業も同じである。やはり本業が大事なのである。実体経済とは地道な労働の積み上げである。金融工学とやらで実体ある富は増えるはずがない。

 富のトータルはそう簡単に増減しない。たしかに自然災害で一気に社会的な資本が壊滅することはある。東日本大震災で経験したところだ。逆に増える方は、そんなことはない。
 一時的に増えたかのように見えても、次の瞬間一気に収縮する。その間に、富は移転する。強奪と言わずして何と呼べばよいか。

 楽をして儲けようと思うなと言われてきた。まっとうな教えである。安藤昌益は自ら耕したものだけが自分に属すると言った。自ら労働することなく、短期的な利益を求めて資金が世界を駆け巡る。こういう行動は社会の進歩に役立たない。正しい労働とは、他者に利益をもたらすものであり、社会の福利に資するものである。

 安易に利益を得ようとする道には、自分ばかりではなく、社会にとっての危険に埋め尽くされている。

2011年12月24日 (土)

食物アレルギー 「茶のしずく石鹸」に思う

 私にはまったくアレルギーがないので楽だ。よく聞くアレルギーに花粉症があり、高齢の人でも最近症状が出たという話を聞く。杉の花粉などは昔から飛散していたはずで、特に私のような田舎育ちは慣れているはずである。しかしそういう人でも発症するのは生活環境や食生活などの条件が変化しているからに違いない。

 ところで、新聞やテレビで加水分解小麦を成分に含んだ石鹸でアレルギー被害が出ているとのこと。調べてみると、この原料は化粧品原料として正式に認可されたもので、泡立ちをよくする効果があるらしい。問題になってから注意表示は義務付けられたが、現在でも幅広く使われている。「茶のしずく石鹸」は5千万個近く売れたそうで、この数が発症者の数を多くしているのだと思う。実際に重いアレルギー症状が出た人は六十数名という。化粧品などでもある程度の確率でアレルギーが出るらしいが、石鹸の場合は毎日使うものであるし、鼻や眼などから体内に吸収されやすい条件があった。

 アレルギーは体質として始めからあるのではない。使っているうちにそういう反応を生じるのである。石鹸を作った方は全く予想していなかったに違いない。発症事例が目立ってきてから添加を中止したのは賢明な処置だった。認可された成分でも、こういうことが起こるというリスクを想定せざるをえなくなった。アレルギー学会でも知見を持たなかった事例だったそうだ。

 消費者もリスク意識を持たねばならない。そばアレルギーというのがあって、ひどい場合には死にいたる。会社にも二人いるが、日ごろから注意している。彼らもどこかの時点で異変を生じ、診断を受け自覚を持ったのである。

 「そばアレルギー」があるからといって、蕎麦屋を営業停止にはできない。

2011年12月23日 (金)

日本売りに待った?

 一時、「日本売り」という言葉をよく目にしたが、最近影を潜めている。個人の資産家が、自分の資産の目減りを心配して預金を外貨に換える動きがあった。

 日本がよくないのは今も変わっていない。長期のデフレ、GDPの2倍を超える国債残高。しかし、欧州の危機が先にやってきた。アメリカもリーマンショックから立ち直れない。そこで、日本はまだましだとなった。欧米が低金利政策をとり、通貨を大量に供給したために、円が高くなった。

 この先どうなるか分からない。自分の老後を心配するのは誰しも同じだろうが、自分の国と運命をともにする覚悟も必要だ。暖かい南の国へ行って、蓄えた金でメイドでも雇ってのんびり暮らそうという構想を持つ人がいるが、それで日本人としての人生を全うしたことになるだろうか。

 つつましくとも誇りを持って生きたい。

2011年12月22日 (木)

年明けからブログは毎日曜日にアップ

 来年から、ブログは週に1度、日曜日にアップします。

 私は、今まで勤務した会社で、取締役に就かせていただきました。大した力もない私には重責です。しかしながら、社員とその家族の生活を守るために力を尽くさねばなりません。

 最近は筆力が落ち、ブログ作成により時間がかかるようになりました。他のことをする時間に食い込んでしまいます。残念ながら頻度を落とします。その代わり、少しでも質を上げるように努力します。

 毎日読んでいただいている方が数名いらっしゃいます。もし、よろしければ日曜日ごとに開いてやってください。よろしくお願いします。

2011年12月21日 (水)

世界の動き

 すごく荒っぽい言い方になってしまうが、力の強いものが世の中のルールを決めている。世界の政治や経済のルールは、早くに近代化した欧米の国々同士が調整して決めてきた。その間、厄介だったのは社会主義国であり、原油の生産国であり、遅れて急成長をとげた国々である。これらに配慮しながら、あるいは利用しながら、残りの世界での優位性を保つためにルール作りをしてきたのである。

 日本は戦後、欧米への従順な同調者であった。戦前の日本は、中身の良しあしは別にしても、今よりはるかに自立していた。欧米とも厳しい交渉を行った。今やそれは見る影もない。堂々と国益を主張しながらも、フェアな調整プロセスを要求することがあるべき姿だろう。そう変わるためには、何らかの政治的な飛躍がなければならない。また日本人の考え方に何か芯になるものが生まれなければならない。

 すなわち、政治と文化における大変革である。

2011年12月20日 (火)

A寿司のアナウンス

 この日曜日に、久しぶりに回転寿司を食べに行った。業界のなかでは比較的業績のよい回転寿司屋だ。

 食べていると、いかにもアルバイトらしい若い男性の声で、「お忙しいなか御来店いただきましてありがとうございます。只今より揚げたてのから揚げを流します。」と言う。この「お忙しいなか」という言い方に違和感を覚えた。客としたら、忙しかったら来るわけはない。暇だから来るのである。どうせなら、「数あるお店のなかで当店をお選びいただきまして誠にありがとうございます。」と言ってくれたら嬉しい。全店でこういう言い方が標準になっているのか、この店の店長の指示か分からないが、言葉の使い方にもう少し気を使ってほしい。どれだけの人が違和感を持つか分からないが。

 ちなみに、あのから揚げはずいぶん利益率が高かろう。

2011年12月19日 (月)

「真面目」の定義

  「うちの社員は真面目なのはよいが・・・。」と経営者の嘆きが聞こえる。あとに続く言葉は、言われたことしかやらない、である。指示を受けたら指示通りに動く。意図的に違う方向に動いたり、さぼったりはしない。しかし、アウトプットは指示した側が期待した程度から何割か減じた大きさとなる。こういうところにも気を配ってほしかったと言うと、そう言ってくれたらやりましたのに、と言い訳をする。

 真面目という言葉は、言われたこと、決められたことに疑問を持たず、黙々と仕事をする性向を意味するようだ。こういう要素が必要とされる状況や時代もあるのだが、これまでの線の延長線上を辿っていけばいい世の中ではなくなったから、その必要性、価値はどんどん低下している。

 予想を裏切るような、期待をうんと上回るような成果を生み出すには、自分で着想を得たり、進め方の絵を書けなければならない。すべてが上手く行くことなどないのだが、そういう要要素を持った人種がいなければならないのだ。目標の達成に向かって知恵を絞りに絞っている姿。これを真面目と呼ぼう。言われたこと、それだけを、その範囲でやっている人間は不真面目なのである。

2011年12月18日 (日)

薄めて飲む酒

 これから日本酒の熱燗がおいしい季節だ。最近は冬場は専ら焼酎だが、若いころは日本酒が多かった。居酒屋で頼むのは大徳利の熱燗だった。

 醸造酒というものは蒸留酒と違って薄めて飲むものではない。おいしくない。逆においしくないと、ここの酒は薄めているのではないかという疑いが生まれる。学生の頃よく行っていた安い居酒屋ではそういう噂が話題に上ったが、真偽のほどは分からない。

 水増しとい言葉がある。もともとの意味はさきほどの酒の例から来ているのだろうが、広く、見かけの数や量をふやすという意味で使われる。
 これからの社会は水増し社会になるような気がする。富が思うように増えない。残り少なくなると、水で薄めるようにして使っていかざるをえない。江戸時代には金に他の金属を混ぜて金貨の水増しをやったのだが、今の世界でも実質的に同じようなことがやられている。

 終いには、酒に水を垂らすのではなく、水に酒を垂らすような状態になる。もはや、全く酒とは言えない代物になるのだ。

2011年12月17日 (土)

TPPの前提

 TPPへの参加の是非を考えるとき、確認したい前提がいくつかある。

1 日本の関税率は諸外国と比べて、すでに低い。農産物についてもアメリカよりは高いが、EUよりもずっと低い。

2 日本はすでにかなりの程度市場を開放しているし、農産物については米を除く主要な穀物である小麦、大豆、トウモロコシなどはほぼ100%輸入に切り替えてきた。

3 アメリカは、リーマンショックを経て、経常収支の改善を強力に推進しようとしている。その改善策の一つとして輸出を増やそうとしている。

4 TPPのメンバーはアメリカを除くと小国であり、日本を加えて考えると日米で全体のGDPの9割を占める。実質は日米のFTAだが、他の小国も輸出増加を狙っており、アメリカとともに日本市場を魅力に感じている。

5 中国と韓国はTPPに参加しない。

6 TPPだけが選択肢ではない。国と国との利害関係でいろいろな協定の形がありうる。

7 貿易を左右する要因としては、関税よりも為替の方が大きくなってきている。

 思いつくのはこれぐらいだ。基本的なところで、どういう意義があるのか考えたい。

 米ぐらい守りたい。工業製品の輸出と引き換えに潰せる農業はもうほとんど残っていないのだ。他の国も主要な農産物は関税をかけて守っている現実がある。

2011年12月16日 (金)

私欲を捨てれば世界が見える

 私欲を捨てて世の中を見ると、それまでとは違った風景が現れるのではないか。必ずそうなるとは限らないが、寄って立つ前提が変われば、見方は変わる可能性がある。

 数々の成功を収めて老い、死期の到来を感じ始めた時に、自分個人の欲望を満たすことに意味を見いだすことがあるだろうか。腹が減ったとか、体が痛い・苦しいとかいうことは別にして、地位や名誉や財産についての執着は薄れていくだろう。その時に世の中を見た場合、公平な意見が出てくることがある。

 ある最大手の損保会社の会長が、こう言ったそうである。人間にとってあるべき経済を考えていくと、資本主義というシステムそのものにぶつかる。自分が思い浮かべる社会は、もう資本主義とは呼ばない社会ではないか。
 経営の最前線に立っていたころは、どうやって利益を出そうか必死に考えていたに違いない。そして、それは今のシステムを大前提としていたに違いない。しかし、その前提がおかしいことに思い至る。これまでの立場を離れることにより、前提を捨て、広く世界が見られるようになったのである。

 これから現役をリタイアする人が増えていく。それは生産人口が減少することであり、社会保障費の増加も意味するから歓迎されていないが、先のように世の行く末を無欲で考えてくれる人々が増えていくのなら、それは喜ぶべきことだ。実際のところ高齢者の世論がどう変わっていくのか予想が付かないけれども、高齢者を年寄り扱いしないで意見を聞こうじゃないか。戦後を生き抜いてきて、そのいい点も悪い点も見てきたはずである。その世代でなければ引き出せない教訓があるように思うのである。

2011年12月15日 (木)

生の情報(五感で知る範囲)

 私たちが得る情報の大半が間接的な情報である。テレビ、新聞、インターネット、出版物、そして人の噂などなど。どこまで事実に近い情報であるか保証されず、また受ける側も無頓着であれば、誤った認識が頭の中を埋め尽くしてしまうだろう。

 情報と言うものは数限りなくある。その一部分を切り取って人に伝える。切り取るにあたっては、切り取る人の、あるいは組織の価値観や意図が働く。そういうものだと知っている人は、かなり意識して聞くようにするだろう。そうでない人は、その内容をどれだけ理解するかは別にして、そのまま無批判に受容する。そして、そういうことを繰り返しているうちに、回数の多いものやインパクトの強い情報を「正」の情報として意識に固着化させる。

 批判的に聞くことが大事だ。間違っているのではないかと思いながら聞くのがほどほどに良い。言われていることの裏にはこういう事実があるのではないかと推測したり、同じ事実にしても別の評価があるのではないかと考えると自分なりの見解を生みだすことができる。

 もう一つ大事なのは、情報の数としては少ないが、質的に重要な生の情報である。自分の目で見、耳で聞くことである。そこに世の中の変化が表れている。よく観察すると違いの分かることがある。あるいは観察しなくても、街の風景が一変していたり、人の流れが変わっていたり、今まで見なかったものが目に入ってきたりする。そこで、見て感じたことは、こういうことではないかと言葉にすれば、これも自分なりの見解になる。また、受容した情報から導き出した自分の見解の検証にもなるのである。

 自分でよく見聞きし、分かるようになりたい。

2011年12月14日 (水)

良識を欠く経団連会長

 かなり前の話だが、大地震で原発事故が発生した5日後、経団連の米倉会長が「千年に1度の津波に耐えているのは素晴らしいこと。 原子力行政はもっと胸を張るべきだ」と語ったそうだ。その後も、たびたび「失言」を繰り返している。

 情報を受けとる感性、判断の目線、科学的な知見。いずれにおいても、大企業の経営者を長く務めてきた人物でもこの程度なのだと思われてしまう内容である。歴代の経団連会長にはこれほどまでにひどい人はいなかったように思うし、少なくとも世間の反応を予見し、言葉を選ぶ周到さを持ち合わせていたのではないか。

 とはいえ、米倉会長の発言は本音であろうから、それがストレートに出たことは私たちにとって悪いことではない。そういう考えの人が日本の大企業の経営者にいるのだという事実が明らかになる。こういう人が経営者に居続けるということは企業統治の問題である。大王製紙とオリンパスが問題になったが、あまりに常識を欠いた発言を繰り返すような人を引きずり降ろせない経営陣に責任はないだろうか。米倉天皇には何も言えないということか。

 繰り返すが、発言がひどい内容であっても、世間に報じられることはいいことだ。隠しこんでしまっては問題が見えない。そういう意味では言論も報道も自由でなければならない。

2011年12月13日 (火)

シルヴィ・ギエム 「ボレロ」

 ボレロという曲が好きで、YouTubeでしばしば聴いているが、ボレロをバックにバレエが繰り広げられる映像を見た。バレエなどほとんど目にしたことのない私だが、この踊りには非常に感心したし、興味を覚えた。
 メインで踊っているのはシルヴィ・ギエムという女性で、随分有名な人らしい。また、この振り付けはモーリス・ベジャールという人で、これも大変著名な人であり、今からちょうど50年前にこの作品を作っている。

 ギエムというバレエダンサーがどれだけすごいのかは分からない。体がきれいで、素晴らしく柔軟で、特に足先がきれいだと感じるが、他のダンサーを知らないので、相対的な評価ができない。とはいえ、並みのダンサーではこれほど踊れないだろうことは推し量れる。美しい動き、合理的な動作と言うものは、舞踊でもそうだし、スポーツでも共通する要素がある。軸がぶれないとか、柔軟だとか、手先足先まで神経が行き届いているとか、そういうことがある。

 素晴らしいものは生で見たくなる。しかしなかなか見られるものではない。ギエムは東日本大震災の支援のためにこの11月に来日し、福島県いわき市で震災支援特別公演を開催したが、この先また見られるかどうかは分からない。すでに46歳なので、バレエダンサーの寿命は知らないが、音楽家とは違って、おそらく厳しい年齢に入ってきているのではないかと思われる。

 

2011年12月12日 (月)

ホテルニューアワジ 夢泉景別荘「天原」

 お得意先である淡路温泉・ホテルニューアワジで忘年会を行った。総勢15名。金曜日の仕事を終えてから4台の車に分乗し、洲本に向かう。

 会場は夢泉景の別荘「天原(あまはら)」。客室は新しく、立派な部屋で、ベランダから海が見え、遠くには和歌山の灯が見える。さっそく温泉につかる。いくつかあるうちの「棚田の湯」。お湯はぬるめでいいし、サウナもありジャグジーもありで、贅沢である。先月行った榊原温泉のひなびた感じもよいが、施設が充実していると満足感が違う。料金は高いが倍ほどするわけではない。
 宴会は20時から。メインダイニング「旬房 淡悦」にて和食のコース料理をいただく。美味しく上品な料理である。最後のご飯を、皆おいしいと言いながら食べた。地元淡路のお米らしい。他のお客さんがいたし、お得意先ということもあり、あまり騒がず飲みすぎず平穏に終わった。

 スタッフは若い女性が中心でいい仕事をしていた。井脇マネジャー大変お世話になりました。

 

http://www.yumesenkei.com/amahara/amahara.html

ホテルニューアワジの露天風呂

Newawaji

2011年12月11日 (日)

月食

 月食が観測された。特に感慨はない。強いて言えば、宇宙の中の一天体に生きていることを自覚する。

 これは大阪市内から撮影した写真である。

Gessyoku

少なくなった「日本製」

 日本製の商品がますます少なくなった。日本で作っているものの方が少ない。

 ユニクロで下着やシャツなどを買うが、中国製である。ユニクロに限らず、オンワードやワールドなどのブランド品でも中国製が多くなっている。シャツなどではラオス製も見かける。他、マレーシア、タイ、インドネシアの商品も多い。

 意外に韓国製と台湾製は見ない。パソコンでは台湾が強いし、家電関連の機器や部品では韓国が強いが、私はいずれも日本製を買っている。とはいえ、部品の一部は外国製だろう。

 自動車や高額の電気製品はまだ日本製だが、これも今後どうなるやら。消耗品も百均やホームセンターなどの商品は輸入品に変わりつつある。品質は日本製に劣るが、最低限の機能は持っていて、使えないことはない。

 昔は日本製といえば、安かろう悪かろうの代名詞であったが、改善と品質管理の努力で、逆に高品質の代名詞となった。そして今日、外国勢の追い上げで日本製が消えてなくなろうとしている。それにつれて、日本人の仕事がなくなりつつある。失業者の増加である。工業化の進展は多くの労働力人口を必要としたが、生産の高度化と効率化は多くの労働力を必要としなくなったのである。増えるのは付加価値の低いサービス業である。

 少子化の原因は、多くの労働力を必要としなくなった社会構造にあるといえば間違いだろうか。

2011年12月10日 (土)

筋トレの弊害

 しばらくの間、腰に強い痛みを感じないので、軽いダンベルで筋トレを再開した。すると短期間で筋肉が復元される。特に背中と肩はその変化が顕著である。

 それは、始めた目的から言えばよい結果ではあるが、デメリットもある。それは着る服が窮屈になることだ。下着は全く問題ないが、ジャケットやスーツの上着がきつい。シャツも体にぴったりする細手のものはきつくなる。着れないほどではないが、今の傾向が続くと動きにくくなるのは間違いないだろう。

 トレーニング(というほどのものではないが)をやめるのか、あるいはやりながら脂肪を落としていかないとさらに窮屈になっていく。それでも私などは素人だから大したことはなく、ボディビルダーは普通の服が着れない。ラフな格好で仕事のできる人はまだよいが、サラリーマンだったりしたらスーツもあつらえなければならない。ジムの利用料やサプリメントの費用もあり、けっこうなお金がかかる。ボディビルダーは他の楽しみは持てないだろうし、持ちたいと思わないほどトレーニングに集中している。

 55歳まで筋トレで体が大きくなるという説があるが、その年齢にもう少しの私にこういう反応があるのだから、実際はもっと高齢まで可能だと思われる。とはいえ、軽い筋トレは筋肉の衰えを防ぐのに必要だが、それ以上は健康上は必要がない。軽い体操やウォーキング程度が負担なく、望ましい運動方法だろう。

2011年12月 9日 (金)

ディー・エヌ・エー春田会長の言葉

  ディー・エヌ・エーの日本プロフェッショナル野球組織(NPB)への加盟が正式に決まった。これに伴って春田会長の記者会見があった。その席上で運営方針について何点か語られたが、具体的な来季の目標を問われると、「来季はとにかく最下位脱出。3年でCSシリーズ進出。そして、5年でリーグ優勝を」(春田会長)と述べた。

 この発言について、いささかがっかりしたというか、勝負というものが分かっていないのかと思った。一般企業の経営であれば、業績の回復には何年か必要だろう。中期的な計画を立てて進めなければならない。しかし、プロ野球チームは1年ごとにペナントレースを戦うのだから、まずは優勝を目指さないと試合を戦うことの意味がない。監督のミッションはチームを優勝させることであって、最下位脱出ではない。こんなミッションを与えられたら、いくらでも逃げ道を作ることができる。

 FA宣言した村田選手も、優勝できるチームで戦いたいと語ったらしいが、先のような考え方では引きとめることは難しいだろう。それともお金で留めるつもりなのか。

 最下位のチームが優勝する可能性は小さいがゼロではない。一定の補強があり、練習をしっかりやり、選手の考え方を変えてモチベーションを高めれば、トータルで何割かの力を上積みすることができる。もともと同じプロのチームなのだから、著しく技量に隔たりがあるわけではないのだ。

 5年でリーグ優勝などという発言は、以上にことが分かっていないとしか思えない。

2011年12月 8日 (木)

落合という人生

 落合の人生は順風満帆ではなかった。高校では上級生の理不尽ないじめに耐えきれず練習から遠ざかり、映画館通いをしていた。親からもらった授業料も遣い込んで、300本ほどの映画を観たと語っている。大学でも野球部に入部はしたものの、ここも先輩後輩の間に旧態依然とした上下関係があり、馴染まず退部する。1年余りぶらぶらした後、できて間もない社会人野球の東芝府中の一員となるが、やっとここで野球に専念できる環境を得て、一気に才能を開花させる。

 同じ天才プレーヤーでもイチローの人生とは対照的である。イチローにも技術的な壁はあったろうが、野球人生にブランクはなかった。高校の時にもその才能を十分見せてはいたが、甲子園での華々しい活躍がなかったことなどから大騒ぎされずにプロに進んだ。そのことが、じっくり力を付ける時間を与えたのだと解釈することができる。

 人生だから、野球だけやっていればいいということにはならない。専念できる環境は、才能を花開かせるために理想的だが、さまざまな要因で障害が生まれる。落合は、何度かブランクを味わったことで、東芝府中では水を得た魚のように練習とプレーに打ち込んだのであろう。以降、落合は練習の虫であった。人が寝ている間も、自宅の練習ルームでバットを振り続けたのである。

 落合は、「そういう時代があったからこそできない選手のことも理解できる。これが監督の仕事に大いに役立っている。」と書いている。

2011年12月 7日 (水)

落合博満の『采配』より その7「切り替えるな」

 この本を読んでいて、組織においてそのミッションを果たすことに集中していると同じ結論に至るのだと思わされる個所がいくつもあった。その一つが、気持ちを切り替えるな、今に全力を尽くせという考え方である。

 大事な部分を引用したい。

「気持ちを切り替える、その言葉の響きはいい。しかし、厳しいようだが、私には考える力がない人の方便に聞こえてしまう。気持ちを切り替える場面で本当にしなければならないのは、ミスの原因をしっかりと精査し、次に同じような場面に出くわしたらどうするのか、その答えを弾き出してから次へ進むことである。」

 ミスがあると誰しもしまったと思うのだが、その苦しい気分から早く逃れたいと思ってしまう。しかし、それを繰り返していると進歩はない。それどころか反省さえもどこかに消え失せて、仕事の質は低下するし、モチベーションも下がりっぱなしだ。
 ミスの原因の追及は改善の基本である。会社でも口酸っぱく言い、言われもしている。なぜなぜを5回繰り返せはトヨタの精神であり、改善のセオリーである。しかしながら、その原因はこうだよと、ろくに調べもしないで結論を出すことも多い。事実に基づかない、いい加減な推測では再発を防止する対策は出てこない。

 改善には、「執拗さ」が必要である。ケセラセラではことが済まぬ。あまりに淡白な姿勢では困るわけだが、さてその執拗さはどこから生まれるのだろうか・・・。仕事への責任感としか言いようがないのではないか。

2011年12月 6日 (火)

落合博満の『采配』より その6「チームリーダーはいらない」

 プロのチームにリーダーは要らないという。そういう存在があると、そこに頼ってしまって、自立心や競争心がそがれると言うのである。プロであれば、一人ひとりが考え、動ける人間でなければならない。

 リーダー一般の否定ではない。当然監督がいなければチームは動かない。もっと下位のレベルの問題である。企業であっても、社員の自立性は求められるが、一人ひとりが特殊技能を持った個人事業主であるプロスポーツの選手にはなおさら備わっているべき要素である。

 企業でも、「プロ意識」という言葉が使われる。自分の仕事にプライドを持って、高く買ってもらえるビジネスマンへの成長を目指せという言い方がされる。個人レベルで考えたらそういう発想は悪くないと思う。ただし、労働者全体で考えると、そういう次元で企業側と渡り合える優秀な人材はごく一部だろうし、日本では労働者の流動性が乏しい。(正しくは下層の流動性だけは顕著になりつつあるといえばよいか。)

 自立した(自律した)社員を育てたい。でもなかなか育たない。この問題には社会的な原因がありそうだ。ここでそれを詳細に分析することはできないが、規格化・標準化の流れと個の力の発揮がうまく両立しないところに難しさがある。日本の場合は、その標準化の推進に現場の労働者を取り込んで成功したが、それも次第に困難になり、欧米のように決める人と動く人とが別々になる傾向が見られる。ちなみに、決められた通りに動くだけの人は労働の付加価値が下がり、賃金が低下する。

 ユニクロの柳井さんが、マニュアルだけで動かそうとすると馬鹿の大量生産になると言っていたが、その通りだろう。もっとも、ユニクロの商売は大量生産・大量販売であり、規格化・標準化の最たるものであることも事実だ。だからこそ危機感を感じたのだと言うこともできる。

2011年12月 5日 (月)

落合博満の『采配』より その5「身内からも嫌われる」

 スポーツのチームに限ったことではない。落合が語っているように、経営に通じる大事な問題である。

 経営者がつねに考えているのは、どうやって利益を上げるかではなく、いかに社員とその家族の生活を守っていくかということだ。その目的を達成するためなら嫌われても構わないというのが、監督を引き受けた時の覚悟だったと書いている。

 プロ野球と一般の企業とでは条件に異なる部分があるが、トップの覚悟には共通するものがある。違いは、個々の選手の技量とモチベーションが直接チームの結果を左右するので、人材の問題が特に重要になるということだ。企業だと、規模が大きければなおさらだが、システムである程度動かせる部分ができてくる。規模が小さいほど野球チームに近づいてくる。職種で言えば、歩合制の営業などは似た面がある。

 私も経営トップに近いポジションにいるわけで、労使交渉の場などでは嫌われることを言わなければならない役割だ。何でも要求をはいはいと受け入れてはいけない。けじめをつけないと、短期的にはさほど影響はなくても、それが当たり前になることによって経営基盤を蝕んでしまうのである。

 トップの覚悟は並大抵ではない。来シーズン、新しい監督が生まれるが、どれほどの覚悟があるだろうか。高木、和田、栗山・・・。どうも頼りなさそうだ。

2011年12月 4日 (日)

落合博満の『采配』より その4「違いに気が付く」

 特に落合のリーダー論には注目したい。特別に珍しい意見ではなくても、実績を残した人の言うことには説得力がある。

 現場の様子をよく観察して、違い(変化)に気が付くことが大事だと言っている。また、情報をキャッチするためには固定観念を取り除くことが大事だとも言っている。面白いエピソードとして、審判の異変(体調が悪かったそうだ)に気が付いて交代を勧めた話が紹介されている。
 監督は、自分でプレーするのではないから全体を見まわして情報をとり、いつもと違うことがあればその理由を探ろうと動き出す。これが仕事である。

 いつもと同じように見える。なにも感じないということは、見方に細やかさがないということだろう。大雑把にとらえれば、いつもと同じという感覚になる。細かく観察した過去の残像があれば、それが基準にあるから情報が浮かび上がる。

 これは見ようとする意志の問題か、それとももともと備わった感性なのか。両方あると思うが、比率としては後者の方が大きい。ただし、自分の職責を自覚すれば前者のウエイトが高まる。

2011年12月 3日 (土)

落合博満の『采配』より その3「なんでもアメリカ流でいいのか」

 交流試合の楽天戦で、6対0でリードした8回の2死から大島選手がセーフティーバントを試み成功した。そして、その次のバッター森野に対し楽天の投手が報復と思われる危ない球を投げ込んだ。この時の楽天の監督はブラウンだった。

 日本の野球はつねにメジャーリーグの後を追いかけてきた。アメリカでは大量リードした後半にスチールをしたり、バントをしたりすることは相手に対する侮辱であり、成功しても記録には載せないようにしている。この文化さえも近年真似しようとしている。落合はこれに反対している。
 まず、6対0はセーフティーリードではないこと。こういう点差をひっくり返された経験は落合自身にもある。また、新人の大島選手はレギュラーを取るために必死のプレーを続けていた。最後まで全力でプレーするのが日本の文化であり、これは守るべきである。メジャーの試合が頻繁に放映されて感化されたのかもしれないが、守るべきものもあるのではないかと語っている。

2011年12月 2日 (金)

落合博満の『采配』より その2「WBC監督固辞など」

 落合はワールドベースクラシックの監督を乞われたが、断っている。彼は契約が優先すると考えている。球団と契約し、優勝することをミッションとして与えられているのだから、そのミッションを最優先する。12球団で話し合い、球団を通じて要請されたのだったら考えたけれども、そういう手続きなしで頼まれても請けることはできないと語っている。

 続いて中日選手の不参加についても触れている。シーズン前の調整時期に参加することは条件的に厳しい。特に故障を抱えている選手は生活がかかる問題だから安易に行くとは言いづらい。なかには契約への影響を考えて球団にさえ故障を隠している選手もいるから、断るにしてもその断り方が難しいのである。選手は個々に球団と契約を結ぶ個人事業主であり、契約にない行動については、あくまで本人の意思が尊重されなければならないと言う。
 落合は、まず行きたい選手に手を上げさせて、その中から選考する手続きが望ましいと書いている。メジャー志向の選手は、WBCの場での活躍が絶好のアピール機会になるからこぞって手を上げるだろう。その気のない選手まで選んで、国のためだから行けと言う空気には反対だそうだ。

2011年12月 1日 (木)

落合博満の『采配』より その1「山井の交代」

 今でも記憶に鮮明だが、2007年の日本シリーズで8回までパーフェクトピッチングを続けていた山井を交代させたことに対し議論が巻き起こった。当時から、途中で山井が指のマメをつぶしたことは語られていたが、この本でもはっきり述べられている。4回にマメをつぶし、8回を終わった時点で山井からもう投げられないと言ってきたとのことである。

 交代の直接のきっかけはそういう事情である。私は始め、山井のマメのことは知らなかったが、そのことを抜きにしても落合の判断を支持した。その年の勝負の方程式に従い動いたのである。岩瀬だから百パーセント抑えられるわけではない。しかし、この場面での選択は岩瀬だったのである。

 あの時は、ここで投げろと言われた岩瀬はキツイだろうなと思ったと語っている。

« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »