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2011年11月 9日 (水)

社会の分裂、分断(日本の危機)

 世の中が分裂し、まとまりを欠いていないか。

 その選択が正しかったかどうかは別にして、高度成長期には国民に一体感があった。政治的には安全保障の問題を中心に国論を二分する動きがあったが、経済の成長についてはある種の合意があったように思う。それは実現した富を、一定の割合、労働者にも分配したからである。それは労働運動によって獲得したという解釈も成り立つとともに、経済の拡大の条件として必要であったという解釈もありうるだろう。組合の要求に譲歩することは、資本の側が主観的に敗北と受け取ったとしても、結果的には資本の側にも利益をもたらすということはありえた。

 今はどうか。労働分配率は順次低下している。一時トヨタが大儲けをして世界中の注目を浴びたが、そのころから低下しつつあったのである。輸出企業を支える政策は政府によって最優先され、大規模な為替介入も行われた。また、雇用者数を必要に応じて自由に増減できるように雇用にかかわる法令を企業にとって都合のいいように改正してきた。

 働く者は疲弊し、大企業が栄えるという図式がある。また、大企業と中小企業の格差、正規雇用者と非正規雇用者の格差、地方と都市の格差があり、なお拡大している。このような状態で、変革への世論が盛り上がったりデモが行われたりしないのが不思議なぐらいだ。欧米ではかなり厳しい大衆の行動が発生している。これを日本の美徳と解するか、口封じをされた結果と受け取るかは立場によって違ってくるが、美徳にも限界があろう。

 私はなにも暴動をそそのかそうとしているのではない。ただ、現実を反映した民意が必要であり、政治は民意に応えるべきことを言いたいのである。こういう議論は日経新聞を読んでいても出てこない。テレビでも滅多に出てこない。しかしたまにはある。まったく無視することはできないからだろう。書籍にはこのような意見は数多くある。ただ、どれだけ読まれているかは分からない。この場合に注意すべきは、危機は煽るが先ほど書いたような基本的図式を書かないことである。指摘するのは、いかに自分だけが生き残るかという方法論である。

 仲間は売っても、国を売っても、自分だけがよければいいらしい。

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