« 居眠りの原因は怠惰ばかりではない | トップページ | 抑圧された欲望 »

2011年10月29日 (土)

リーダーシップの衰退

 歴史を学んでいると、数々の権力者やリーダーが登場する。政治の世界ばかりではなく、近代にはいってからは経済の分野でも数多くのリーダーが登場している。ところが近年、そのように歴史に残るような人物が少なくなっているように思われるし、世間でもそう言われている。

 特に日本の政治家には評価すべき人材がいないと言われているのだが、なぜだろうか。首相がひっきりなしに交代したり、野党の側も党をまとめきれないなど、日本に特徴的な現象はあるが、リーダーの減少は世界的な傾向のようだ。
 例に出すのは悪いが、最近殺害されたとするカダフィーなどはリーダーには違いなかった。彼は権力を集中して保持していた。政治的リーダーにはこの権力の集中的掌握が条件となる。そういう状況は近代が始まるまでは普通に見られたことだし、近代になってからも社会主義革命やファシズムの台頭や植民地の解放闘争など歴史の転換点では生まれえた。

 平穏な時代が続いて、民主化も進展すると権力が分散化して、特定の人物に権力が集中しない。それが強力な政治的リーダーが登場しない背景にあるだろう。
 それでも、比較的持っている権力の大きい人物を考えると、金正日、プーチン、チャベス、オバマなどの名前が浮かぶ。大統領は相当大きな権限を持っている。プーチンは今は大統領ではないが、その地位を超えた絶対的な権力を持っている。チャベスはアメリカにとったら厄介な存在だろう。オバマは人気を落としているが、それでも大統領の力は絶大だ。

 権力の分散化とともに影響しているものは、選択の幅の狭さである。いろいろな選択が可能であれば、個性の発揮もしやすいが、そうでないなら無難な判断ができる人物の方がリスクは少ない。冒険そのものが評価されない条件があるのである。

 こんな風に書いてくると、面白くない時代になったと思うかもしれない。確かにそうだが、もはや英雄のパフォーマンスは不要なのだ。冷静に、客観的にものを考え行動できる人間が増えてくれたら、社会の向かう方向性の選択も堅実にできるのではなかろうか。逆に、冷静にものを考えられる人間が減少すれば見かけが立派で威勢のいいリーダーもどきが台頭し、おかしな方向に進んでしまう恐れがある。

 だから強力なリーダーの登場はかえって恐ろしい。

« 居眠りの原因は怠惰ばかりではない | トップページ | 抑圧された欲望 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 居眠りの原因は怠惰ばかりではない | トップページ | 抑圧された欲望 »