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2011年10月 1日 (土)

武田泰淳 「蝮のすえ」

 武田泰淳の作品では唯一「ひかりごけ」を読んだという自覚があった。しかし、今回「蝮のすえ」を読んで、どうも以前に読んだことがあるような気がしてきた。おそらく、昔に読んだ文庫は、「ひかりけ」単独ではなく、「蝮のすえ」とセットで発行されていたのだろう。

 確か、武田泰淳は友人のY君が好きな作家ではなかったか。Y君は脳溢血で倒れ、今も体が不自由で厳しい生活を強いられている。この作品を読みながらY君を思い出した。

 さて、主人公は敗戦直後の上海にいる。それまでは日本人のための秩序であったが、一転それは瓦解して、中国人が主人となった。その危うい空気のなかで、そういう状況だからこそ必要とされる代書屋稼業に就いていた。元来役に立たぬ人間だと思っていた自分が、逆に頼られる立場にある。

 主人公は女の活き活きした肢体と言動に幻惑される。上海の町を背景に実になまめかしく、魅力的に描かれ、読者もその女に引き寄せられる。実に上手い。
 女は、人妻でありながら夫の上官である辛島という軍人のものにされてしまう。その境遇から逃げたいのだが、夫が病気であるため辛島の財布に頼らざるをえない。しかし、なんとか逃げ出し、間もなく出航する病院船に乗って帰国したい。その望みをかなえる者として主人公を選んだのだ。健康であり、生きる才も備わっている。病気の主人は早晩命を落とすだろうと、女は計算していた。

 主人公は女を守るために辛島を殺しに行く。しかし、辛島は誰かの手にかかり虫の息であった。主人公はとどめを刺した。結果的に女が仕組んだ通りの結果となった。したたかな女。しかし美しい女。この女は何者であるか。なにを象徴しているか。

 負けはしたが、次に来るであろう時代の希望か。それとも秩序もくそもなく、しぶとく生きる女の強さか。あるいは単にわがままな女を描いただけか。どう読もうと読者の勝手であるに違いないが、そう言ってしまっては身も蓋もないので、私の解釈を記しておこう。
 二番目の、秩序は壊れやすく危ういものであるが、それとの対照でしぶとく、したたかな女を描いたのである。この点は、「どですかでん」で黒沢明が描いたあばら家に住む女たちに似ている。ただし、泰淳の女のように美しくはないのだが。

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