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2011年9月11日 (日)

故郷の台風被害に思う

 ゆっくりと北上した台風12号は、私の故郷が所在する紀伊半島南部に長時間にわたって豪雨を降らせ、甚大な被害をもたらした。もともと多雨で有名な地域であるが、文字通り記録的な豪雨には耐えられなかった。熊野の山々は水を蓄える能力に長けているのだが、3日、4日、5日と降り続く中で、力に余る水を吐き出していったのである。

 これほどの災害はかつてなかった。確か、四十年ほど前に、台風ではなかったが激しい雨が降り続き、三重県南部で山崩れが発生した。多数の死者と、紀勢本線の数週間におよぶ不通を招いた。この時も驚きであったが、今回の場合はさらに広域であり、山崩れだけではなく河川の氾濫を伴ったために被害が拡大した。

 降り始めからの雨量は、私が知る最大値の倍ほどを記録しており、確かに未経験であった。これは東北での津波被害とよく似ている。津波の高さはこれまでの経験の数倍であった。しかし、未経験であることと想定外であるとすることは違う。想定は経験を超えた範囲に及んでこそ有効である。今回の例でいえば、テレビで誰かが言っていたように、ダムを作ったり、河川を補強したりするハードの対策ではなく、危険な領域に入った時の勧告・指示と避難行動の仕組みが重要であった。

 過疎地帯では財源が乏しい。以前であれば土木工事に一定の予算が付いた。それが年々減らされている。また一つひとつの行政区がおそろしく広大である。集落が点々と存在する状況では、効率は当然悪くなる。暮らしのリスクは大きくなるばかりなのである。ましてや住んでいるのは高齢者が中心であり、リスクへの対応力は弱い。

 頼るのは行政しかないのだが、広域の行政(今後ますます広域化する)では対応力が弱い。細かなところまで目が行きとどかないのである。
 とはいえ、今回の被災を教訓にするならば、風雨の観測体制、連絡網の充実、避難の手段の確保など住民の安全確保を優先する施策を進めるべきだろう。それにはダムを造るほどのお金は要らない。

 遠く離れて暮らしている人間にとっては他人事に思いがちであるが、それでも出身の町で死者が出たというニュースは聞いていて悲しい。

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