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2011年8月 3日 (水)

映画「霧の旗」(65年山田洋次)寸評

 松本清張の作品はたびたび映画化される。また、テレビドラマの原作としても繰り返し使われている。それだけ作品の量においても質においても高水準であり、一時代を築いたが故の現象であろう。ただし、それが映画化、ドラマ化された場合のできの良しあしは脚本のできにかかっているし、また監督や演出家の腕次第であると言えるだろう。加えて、キャスティングの問題もある。うまく役にはまる俳優がいるかどうか。年配者の役であれば、安定した演技の期待できるベテランがいるが、若者であれば経験の少ない役者を使うことになる。だから、どうしても当たり外れがある。当たれば、作品の価値を大いに高めるとともに、その役者の出世作となりうるのである。

 ところで、今週は蔦屋で「霧の旗」を借りて観た。山田洋次唯一のサスペンスという説明がついて回る作品である。私はいわゆる映画通ではないので、相対的な評価はできないのだが、とりあえず観たままの感想を言えば、5点満点で4点は付けられる作品だと思う。素人なりの基準でいえば、①飽きさせない(展開の面白さ) ②印象的な場面がいくつかある ③ベースとして役者のしっかりした演技がある ④音の効果など観ていて意外に気がつかない部分の技術がしっかりしている ⑤その他細部にわたってこだわって作っている 以上の点から評価することになるが、まずは観ていて飽きないことだろう。

 主演の滝沢修と倍賞千恵子がいい。滝沢は大塚弁護士役だが、その重厚さからいって、失うものをたくさん持った地位のある人間を演ずるに適している。大塚弁護士に復讐する桐子役の倍賞は、貧乏人の娘にふさわしく、かつ意志の強さを出せる人である。バーで大塚と会うたびに「女」の部分を出していくのだが、酒場の女としてはあまりにスキがなく、それが桐子という女性の像を鮮明にしている。大塚を騙すにはそれでも十分だったと解釈すればよいのだろう。あまりに色っぽく崩れてしまっては桐子らしくはない。もっとも、そのことは倍賞の演技として評価すればよいのだが、崩れた女を演じろと言っても、彼女には難しいに違いない。見る側も、そんな倍賞を求めてはいなかったのだから。

 話は外れるけれども、松本清張は「悪い人間」を書く能力が抜群に高かったと思う。推理小説を書くことから求められた要件ではあったろうが、よくもあそこまで書けるものである。ただし、それは人間の本性としてのみならず、社会が作り出しているという観点を重視している。

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