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2011年8月13日 (土)

費用対効果 地震研究の記事より

 ビジネスの世界では、費用対効果の考え方は絶対的だと言える。費用に見合うだけの効果(必ずしも金銭とは限らないが)が得られる見込みのない施策には予算が与えられないし、決裁がおりない。もっとも、効果が表れるまでの時間設定にはさまざまあって、機械設備への投資、販売促進費、社員教育費を例にとってみるとその違いが分かる。

 新しい機械は、単なる更新でない限り性能が上がっているわけで、動かせばすぐに効率が上がる。ただし投資額が大きいので、償却には一定の期間が必要である。販売促進費には短期的な効果と長期的な効果が見込まれている。短期的には売上高の増加があり粗利も確保されるが、費用を差し引くと赤字になる場合がある。しかし、その後も一定の期間効果が持続すれば赤字を埋めて余りある効果(利益)が期待できる。教育にかける費用は効果の評価が難しい。教育といっても目的に違いがあり、たとえば、当面必要なスキルを身につけるトレーニング的なものと論理的な思考力を養成する講義とでは求めるものが違う。後者の方は即効性がなく、また長いスパンでの評価も難しい。人間の成長は単純ではないから、何が「効いた」のか評価するのが難しいのだ。

 先日、新聞紙上で地震への研究の在り方について二つの方向性が示されていた。一つは地震の予知は可能として、観測と研究の体制を維持発展させるべきだという考え。もうひとつは、地震の予知を求めて発生のメカニズムを追求しても、現実には法則性が認められないから無駄であり、それよりも防災に力を注ぐべきだという考えである。
 いずれも、すでに研究は継続されていて、行政も加わって体制が出来上がっている。だからやめてしまうことが難しい現実がある。また、両者の言い分もよく分かる。前者は「学」的であり、後者は「政策」的である。可能性があるかぎり諦めず追究したい。これが研究者の本心であろう。しかし、個人ならばそれで問題ないが、大掛かりな研究になればお金が要る。組織がある。国民生活に関係があれば行政も加わり予算も付く。そうすると費用対効果を求められることになる。学問の理想は、費用対効果などいったん外において、無駄とも思われる研究に没頭することであるが、よほど理解のあるスポンサーでも付かない限り、そんな余裕はなくなっているのかもしれない。

 一方、政策的に考えると、防災の研究と投資は現実的だ。限りある予算は、より効果的に使われるべきだとも思う。しかし、地球内部の活動は人知を超えた運動メカニズムを持っているかもしれないが、予知ができる根拠はないと切って捨てる判断はあまりに一方的であるし、「功利的」にすぎるのではないか。

 私は「学」を大事にしたい。「進取の精神、学の独立だ。」

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