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2011年8月 4日 (木)

貯金の使い方

 わたし個人のことを言うと、借金はたくさんあるが、貯金はほぼ皆無に近い。ごくたまにではあるが、職場に電話で、先物をやりませんかとかマンションに投資しませんかと勧誘があるが、そんな金は現実にないのだと断っている。もっとも、金があってもそのようなものに使わないのが主義であるが。

 おそらく貯金ができるとすれば、退職金をもらった時だ。勤め人のありがたいのはこの退職金があることである。ただし、企業によってその額に差があり、当然大企業になるほど厚く出るようになっている。私の勤め先は中堅企業だが、同じ規模の企業の中では比較的出している方である。とはいえ、それは現役時代であれば数年で底をついてしまう額であり、今後あまり期待できない年金を合わせて考えても不安が生じるだろう。別途、老後の設計をしっかりして、蓄えを準備している人は安泰だろうが、そういう人は国民の一部にすぎない。私の母を考えてみても、父の遺産はほとんどなく、それでも父の働きによって残された年金の給付があるので辛うじて食べていける状態だ。老いてなお冠婚葬祭(主に葬式だが)の出費があり、老いればこそ医療費に金がかかる。自ずとその他の出費には制限が加わる。これに家賃でも加わればおよそ生活など成り立たなくなる。都会にはそういう老人が多数暮らしている。

 貯金は大事に使わねばならない。ただ消費しているだけでは減る一方であり、明日がない。これは個々人が考えるべきことである。
 新聞や雑誌などによると個人の金融資産は1500兆円近くあるそうだ。だから巨額の財政赤字があっても破綻することがないという理屈が持ち出される。国家の論理としては、それはありうるのかもしれない。しかし個人にとってみたら、いざとなったら自分の財産を奪われるということである。国の危機にあたって、個人がその財産を差し出すことを全く否定はしないし、私には私の考え方もあるが、そのような政策は合意によって進めるべきものであり、個人の財産も国庫も同じように扱うのは問題である。

 それにしても、個々人はじぶんの財産・貯金をどう使うのか、無駄にならない使い方はないのか、社会が潤うような使い道がないのか、考え始めてもいいのではないだろうか。 

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