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2011年8月15日 (月)

水木しげるの「ラバウル戦記」

 朝ドラ「ゲゲゲの女房」でその生き方が広く知られるようになった水木しげる氏の戦争体験記である。戦記と言っても、重々しい内容ばかりではない。自身の手で描かれたスケッチ画とともに面白く読めて、時間を忘れる。それでいて、戦争の一面を鮮やかに見せてくれる。若い人にもぜひ読んでほしい一冊である。

 水木氏の感性、人間観、人生観は独特のものである。普通の兵隊は、戦地でここに書かれているようなことを感じはしないし、同じような行動をとらない。異端には違いないが、得がたい存在である。人間の考えは決して一様ではないし、特殊な見方の中に、実はもっとも大事にしなければならない「嗜好」、「美意識」、「価値観」などが隠れているということを教えてくれる。

 水木氏は昭和18年の11月に、日本軍が大掛かりな基地を築いていたニューギニア島のラバウルに送られる。氏は、隊の中でもっとも多くのビンタを加えられた兵士だった。初年兵で(その後追加の入隊がなかったので最後まで初年兵だったという。)、歳が若かったこともあるが、行動が他と違っていたからである。南国の景色や鳥や虫などの姿に気を奪われていて集合が遅くなったり、楽な姿勢で作業をしているところを見つかったり、空襲があって皆が防空壕に逃げ込んでいるのに一人空を眺めていたりで、それが上官のビンタを誘発する。しかし、氏の行動はそれに学習することなく、変わらない。氏は、若く体力があったせいで、気を病むこともなくすぐに回復したと書いている。また、古兵になぐられて、「ありがとうございました。」というのはこっけいな話だとも書いている。

 水木氏を含む10人の小隊はバイエンという場所で20人程度の海軍部隊とともに上陸を企てようとする敵軍の動きを見張っていた。そこで、おそらくオーストラリア軍に訓練されたと思われる現地人の部隊に急襲される。日本軍部隊は壊滅したが、水木氏ひとり生き残り、そこから本隊に向けた薄氷を踏むような逃亡劇が続く。この間の描写には、まるで映画を観ているようなめまぐるしい展開があり、緊迫感を生んでいる。
 氏は奇跡的な生還を遂げる。そして、何が起こったかについての情報を報告したのだが、中隊長からの言葉は、「なんで逃げ帰ったんだ。皆が死んだんだから、お前も死ね。」であった。おまけに、疲れてフラフラの状態にも拘わらず、一日の休養も与えられなかった。氏は、「それ以来、中隊長も軍隊も理解できなくなり、同時に激しい怒りが込み上げてきた。」と記している。

 水木氏は、土人(差別用語だろうが、土とともに生きる人という意味で、尊敬の念をもってそう呼ぶと注記している)とすぐに友達になってしまう。これは他の兵隊にはない特性である。氏には兵隊が持っている殺気立った空気がなかったのだろう。また、自分たちよりも劣った人々という観念もなかったに違いない、だから抵抗なく受け入れられたのだと思う。一緒に食事をしたり、話をしたり、踊ったりした。帰りには食べ物を持たせてくれる。隊では、そのことが不思議で、魔法使いのように思われていたと書かれている。だが、土人との交流は認められていなかったので、またビンタが待っていた。
 土人の暮らしぶりなどはスケッチ画に活き活きと描かれている。そのタッチには彼らに対するやさしいまなざしが表れている。自給自足で、閉じられた平穏な世界。氏は一時期、ここに残る意志を強く持つようになる。それはそれで一つの選択であったし、妨げるものはなかったのだろうが、結果的には日本に帰り、貴重な作品を多く残すことになる。

 日本に帰ってからもラバウルの土人たちのことは気にかかっていたが7年後に戻ってくという約束は果たせなかった。それから16年経過して、23年目に現地を訪れたのだが、仲よくしていたトペトロ少年はおじさんになっていた。水木氏は、歳を重ねるごとに土人たちの親切のありがたみが分かるようになる。日本軍は現地の人々をいじめるようなことをたくさん行ったのでずいぶん恨まれていたのだが、氏に対しては特別の対応をしてくれていたのだ。のちに、中古の自動車をプレゼントした時に、「やっと昔の恩がかえってきた。」と言われ、彼らの気持ちを理解するようになったそうだ。当時は、そんなことは全く考えず、交流を楽しんでいたのだ。

 若者が戦争を知るにいい教材の一つになると思う。敗戦の日にぜひお薦めしたい。この作品で読書感想文を書こう。

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