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2011年8月14日 (日)

ふたたび世界のピアニストについて

 実際にプロの演奏を生で耳にしたことのない素人にとって批評などはおこがましく、ただ我儘に感想を述べるにすぎない。音楽は、他の芸術も同じだろうが、単純に技術・技巧を競うものではない。芸術には、それを支えるファンが必要であり、その行動を決定する要素は、世間の評価と本人の好き嫌いである。

 私が個々のピアニストに対して抱く感想も先の二つの要素に支配されている。ただし、できるだけ世間の評価を排し、自らの感覚を頼りにしたいと欲している。それでも、求める媒体はCDであったりYouTubeであったりするので、そもそもが世間に出まわっているものであるから、世間の評価に負っていることは否定できない事実である。また、ピアノ演奏の録音を聴き初めてまだ一年あまりであることから、好き嫌いのレベルもまだ初心者である。

 さて、従来からホロヴィッツが私の嗜好の本線にある。これは不動であるが、他のピアニストの演奏も聴くにつれて、ホロヴィッツが相対化されていく。そして、彼が素晴らしい芸術家であり、私が聴いてもっとも感動を呼び起こす演奏ではあるが、実はピアノ演奏の本流からは外れているのかもしれないと感じ始める。より好意的に表現すれば、常識的な枠に収まりきらないと言えるのかもしれない。常識的な線では、ルービンシュタインが本流であり、ポリーニが後を継いだと言えるのだろうか。

 ホロヴィッツにはダイナミックな弾き方と独特の感覚がある。それを上手く表現するのは難しい。技巧については専門家が評価する領域である。ただ、他の人たちと違うということは素人にも分かる。表現については、奔放さを感じる。独特の解釈が入っているように思われる。好きな曲目としては、スクリャービンのエチュードNo.12とショパンのバラードNo.1である。前者の演奏の激しさは、さすがに晩年はおとなしくなったものの、全盛期には凄まじいいものがある。後者は、同じ楽譜でもこれだけ違いが出るのかと思わせるいい例で、ホロヴィッツに独特の解釈がある。その他、協奏曲ではラフマニノフの3番がいい。

 ホロヴィッツ以外ではリヒテルがいいと感じている。ショパンのバラードNo.1はその表現力からして、ホロヴィッツに勝るとも劣らない素晴らしさがある。

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