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2011年8月の投稿

2011年8月31日 (水)

自由度の低い世界になる

 なにかにつけ、選択肢が狭まっていると思う。

 人生の選択とは、まず職業の選択である。いろいろな仕事があるように見えるかもしれないが、実はない。経済成長し、また人口が増加しているときには、必要とする労働力の絶対量が大きいし、産業構造も変化し、あたらな職種が創造される。民間企業からの求人も多かったし、公務員への需要も大きかった。教員の数を増やす必要があったし、サービス業へ労働人口がシフトする流れもあった。

 今は、昔花形だった職業にも暗雲が立ち込めている。医者はまだいいとしても、歯科医は過剰であり経営難が襲う。弁護士もなったはいいが、独立できず、一般企業の社員となる例も多い。税理士などでも同じと聞く。税務署に長く勤めて独立した場合と違って、資格を取っただけでは顧客をつかむことができないからだ。また、学問の世界も厳しいようで、教授のポストなど不足しており、簡単に上がれない。少子化のなかではなかなか厳しい。
 少数激戦の世界に飛び込むのはあまりにリスクが大きい。失敗した時の受け皿がないからだ。昔だったら、親が面倒を見ることができた。しかし今は親の方に余裕がない。昔だったら、中途での採用も旺盛だったが、今は経験を要求されるなど門戸はせまい。

 企業の選択の幅も狭まっている。新しい産業の登場は旺盛ではないし、在ったとしても多くの企業が群がるから厳しい。ニッチなところを攻めるか、既存業界でシェアを上げるために知恵を集中するしかない。もちろんやり方次第で成功は可能だが、極めて強いストレスがかかる。
 それだけ、利益を上げることが難しくなっているのだ。だから儲かる情報に突き動かされて資本が世界中を駆け巡る。それによって、予期しない為替の変動や株価の乱高下が生じるのである。「世界市場」が労働者を国際間競争に巻き込んだ。資本は移動できても、労働者は簡単には動くことができない。できるとすれば、貧しい国の労働者が先進国に流入する場合である。

 このような事情の中で、人は、企業は生き方の選択を強いられる。また、夢も持ちにくい社会になりつつある。それでも、個々人にとっては嘆いてばかりはいられない。自分の納得が第一である。やりがいは自分で見つけなければ、だれかが与えてくれるわけではない。つきなみな表現だが、信じてやるしかないのである。

2011年8月30日 (火)

就職戦線なお厳し

 就職戦線が厳しいようだ、新卒の内定率がなかなか上がらない。以前だったら普通に決まっていたグループの学生たちが、いまだ未定のまま鬱々とした生活を余儀なくさせている。

 数日前に日経新聞に記事が載っていたが、自動車メーカーのダイハツでは数年前までは年に数百人採用していたが。今期は50人しか採らない。内訳は、技術系が44人と事務系が6人である。事務系だと、ほとんどゼロに近い。これほど極端ではなくても、大手は各社絞りに絞っているらしい。採用枠の大きい大手が絞れば、全体の採用数を押し下げ、内定率が下がるのは当然であろう。

 企業単位で考えれば、それは致し方ないことに思える。経営の先が見えないので、人件費の膨張は抑えたい。また、多少仕事が増えたとしても効率化や一時的な時間延長で当座はしのげるという面もある。事業の拡張性がなければ採用枠を増やす方向性は見えてこない。ただし、日本の場合は終身雇用の傾向が顕著であり、労働力の流動性が乏しいので自前で人材を育てる必要がある。あまり絞り過ぎることにもリスクはある。

 とはいえ、企業単独ではなかなか動きがとれない。政府が単なる行政指導ではなく、法的強制力をもって採用数を一定の率をもって増やすことを命じればよかろう。守らない企業には、罰金でなく企業名の公表を行う。罰金だと、採用するリスクより小さいと判断するとわざと命令を守らない判断を下すからだ。公表による社会的制裁の方がよほど怖い。

 採用はあくまで企業の論理で行われる。前にも指摘したが、基準はあくまで企業の人間観による。企業は≒(ニアリー・イコール)社会かもしれないが、=(イコール)ではない。企業の人間観の枠に収まらない人材も少ないがいるには違いないのだ。
 しかし、そんなことを言っていても始まらないのが現実である。改めて、私企業の総務部門に勤める者として欲しい人材像を示しておこう。くどいが、これは企業の論理である。もっと人材の多様性はあってしかるべきだし、認める懐の深さもほしい。

 1 スピード感のある人。どんな社員にも求めたい。昔はのんびりした個性も認められる余裕があったが、今はない。意識して何事もてきぱきと行う姿勢を示す必要がある。誰よりも先に立ち上がり、足を動かすこと。

 2 言われたこと以上のアウトプットを出す人。仕事の中身を細かいところまで懇切丁寧に説明する余裕はない。言われた範囲以上に思いを巡らし、工夫を加え、付加価値を見せつけること。その値打ちの分からぬ上司では浮かばれないが。

 3 感受性の鋭い人。細かいところに気が付く人。感動できる人。他者の存在を気にして動ける人。そういう感受性に欠けると思ったら、文学を読んだり映画を観たりするとよい。

 4 論理性のある人。仕事をするときには目的は何か幾度となく問う。現象をつかんだら必ず原因を考える。人の話が筋の通った中身になっているか考えながら聞く。

 5 まずは相手の言うことを受け入れられる人。始めから否定しない。何か取り入れるべき要素はないか考える。指導を受けたら、言い訳しない。自分の悪いところは素直に認める。

2011年8月29日 (月)

スポーツの勢力地図 何が強さを決するか

 現在、陸上競技の世界選手権が韓国で開催されている。オリンピックほど出場メンバーの充実度がなく、また調整も最高のレベルに達していない選手がいて、盛り上がりに欠ける面がある。しかし、オリンピックでメダル争いに絡む競技者は別として、それ以下の競技者にとっては代表選考へのステップであり、全力で臨まなければならない。

 今大会は女子のマラソンで開幕し、トラックでは女子の1万メートルが決勝の皮切りであった。そして、ケニア勢が両種目でメダルを独占し、強さを見せつけた。従来、トラックではケニア選手の強さは圧倒的であったが、マラソンでも力を発揮できる水準に至ったと考えられる。中継を見ながら、日本人が戦える分野はどこにあるのかと考えてしまった。

 スポーツの世界に限って、種目ごとに強さはどのようにして決まっていくのか考えてみたい。

 ベースにある条件を見てみよう。まずは、人種・民族の違いによる身体の特性である。体の大小、手足の長さ、関節の柔軟性、筋肉の柔軟性と瞬発力、心肺機能などである。同じ人種・民族内でも個体差があり、ばらつくけれども、分布の中心には違いが出てしまう。これは所与の条件であり、短期間に修正することは不可能だ。
 次に文化的な差異である。貧しさ、豊かさも条件になる。これは民族というよりも、所属する国家の問題であり、基本的には豊かな国家ほどスポーツする機会に恵まれ、トレーニングの科学性が担保されるように思う。ただし、貧しい方が有利に働く要素もある。たとえば、ボクシングなどの格闘技は先進国ではあまりやらない。やったとしても貧しい階層の出身者である場合が多い。また、豊かさに加えて国民性の違いというものがある。これは特に集団競技において結果を左右する要素となる。

 以上の要素が基礎的な条件として存在している。冒頭に書いたケニア勢の活躍は、身体性の要素が多分に働いている。その点で優れた母集団のなかから傑出した人材を見つけ出し、一定の資金を投入して科学的・合理的なトレーニングを積ませれば、世界のトップクラスまで持っていくことができる。そこまで完璧にやられたら、身体性に劣る日本人選手には勝ち目がない。おそらく、一縷の望みがあるとすれば、高温高湿の条件下で、最初からハイペースで押しきり、早い段階で振り落とす戦術しかない。

 身体性に続く基礎条件としての文化を考えてみると、それは競技人口および競技の歴史の厚さに関係する。どの競技を好むかという問題だ。競技人口が多く、歴史があれば、優秀な競技者が出現する確率が高まる。日本が野球先進国であるのはその理由によるし、近年サッカーで相対的地位を高めているのもサッカーに取り組む青少年が急増したことが背景にあることは間違いない。もっとも、どこの世界を見ても競技人口の少ない種目もある。馬術であったり、射撃であったりする。このようなものは、昔から貴族や軍人しかやらなかった競技であって、特定の階層の占有物であった。だから、そもそもどれだけの値打ちのあるものか疑問である。
 集団的、組織的競技においては国民性が表われる。日本の野球が強いのは、その典型的な例であろう。相手の得点を抑え、自分の得点を積み上げることが勝利につながるが、その確率を高めるために論理的かつ統計的に最善のフォーメーションを組み立て、そしてメンバーが最善の動きをする。いわば、それぞれが意志を持ったこまに成りきることができる強さがある。

 以上、スポーツにおける強さの源泉について考えてみた。最後に、関心事であった、日本が戦える分野について見解を加えておこう。

 オリンピックの種目から外れたが、野球は今後も日本の得意芸で在り続けるだろう。ノウハウの歴史的蓄積、競技人口の厚さ、組織的競技への順応性などを考えれば、身体性のハンデは補って余りある。
 サッカーについては世界の層が厚く、トップレベルは難しいが、これも組織戦で戦える要素が小さくないので、日本独自の戦法を見いだせば張り合うことができる。若いころからの切磋琢磨で、身体性においても優れた競技者を掘り起こすことができるだろう。
 バレーボールは今後は苦戦しそうである。身体性では明らかに不利。戦術面では他国のチームもコンピューターを使ったデータ分析が進んでおり、差を付けられない。バスケットボールは日本人には向かないだろう。
 体操競技は、今後ともジュニアの育成に力を注げば、戦える種目だ。身のこなしのしなやかさは得意とするところである。舞踊などの文化の伝承がこういうところに影響するのではないか。
 階級制度のある競技は、概して戦える分野だ。軽量級で戦える。お家芸の柔道はもちろんのこと、ボクシング、重量挙げも若い素材を発掘し、科学的合理的なトレーニングを積ませれば十分戦える。地味であっても、資源を投入すれば結果を期待できる。

 陸上競技は全体として日本人に苦しい競技だ。実にシンプルな競技であり、身体性が勝敗を決してしまう。跳躍系はまず難しい。バネが足りない。投擲では、技術を要するハンマーと槍に活路があるか。ただし、室伏は特別であり、例外と考えた方がよい。トラックの短距離も難しい。技術の要るハードルに上手くはまる選手がいればよいが。中長距離も難しそうだ。スピードの差は如何ともしがたい。残るはマラソンだが、男子は期待薄。女子も今後は厳しい。冒頭に書いたように、最初から飛び出せる選手、高速のイーブンペースで機械のように走れる選手を作るしかない。
 

2011年8月28日 (日)

戦後66年は砂上の楼閣か

 野坂昭如氏が日本経済新聞の文化欄に投稿している。氏の作品は学生のころにいくつか読んでいる。「てろてろ」「エロ事師たち」を覚えている。詳細は記憶していないが、無秩序で、規範のない世界における人間の奔放な姿を面白く描いていたように思う。

 野坂氏は、東北大震災の被災地域と戦後の焼け跡を比較している。違いはどこにあるか。焼け跡には瓦礫の山すらない全く無の状況だったが、空襲が終わり、人々はある意味晴れやかな表情で、てきぱきと過ごしていた。厳しい状況ながら希望があったということだろう。
 これに対し、被災地では、先が見えず、立ち尽くすしかない。戦後に築き上げたものは大きかったが、それが一瞬にして失われるところを目の当たりにして、展望を失っているのである。

 戦時戦後の時期には、国民は皆いつ死んでもいい状況にあったという意味で平等だった。焼け出されたら互いに助け合うというルールがあり、その精神があった。行政による援助についても、罹災証明がすぐに発行され、それがあれば優遇措置が得られた。
 これに対し、震災後はどうか。避難所では毛布一枚与えられ、水とパンで暮らす人々の姿が連日報道された。多くの国民は地震・津波の被害を見ながら、ショックを受けつつも、いつものように飲み食いしながらテレビで眺めていた。それは海の向こうの戦争を見ているかのようであり、他人事であった。被災地と非被災地は光と影のように対照的である。

 戦後66年を経て、物質的繁栄は目覚ましく、飽食の時代に生きることになった。しかし、この大震災はそのもろさを露呈させた。電力不足で世間は大混乱した。国策のまずさもあったが、国民が便利さを求めたつけとも考えられる。また、豊かな国土を持ちながら、食料を外国に依存してしまった。他国の胸三寸で活かされも殺されもする。
 戦争を思い出すのは夏だけであり、それもあやふやだ。厭なことは忘れ、かろうじて平和な国でモノの時代に明けくれているのだが、生活の中身は乏しい。見た目の豊かさを得るために失ったものは大きいのである。

 以上が、野坂氏の言いたいことである。

 大震災のあとの日本の状況から、戦後66年の日本という国の在り方に反省を加えている。氏の言う内容にいくつか疑問がある。死の前の平等を言っているが、何も持たず互いに助け合う姿は望ましいけれども、その前提は戦争による惨禍である。前提を認めるわけにはいかない。国の関与も、戦争遂行のためであり、今の政府を批判する材料としては使えるものの無条件に賛美することはできない。

 戦後に日本が選んだ道(アメリカの干渉の下にその道筋を描いたのは政治家であり、官僚であったが、国民の側も自ら未来を描く力を欠いた。)には様々問題が在った。その中心には、「国家としての自立」があった。アメリカへの従属があり、自ら運命を決める権利を持たなかったのだが、それは従属によって自らの政治的利権や経済的権益を享受した勢力の責任に帰するものである。とはいえ、それを跳ね返せなかった責任を国民も認識すべきであろう。権益は順番に下まで降ろされ、享受された面もある。下層へ行くほど、そのおこぼれは少なかったが。
 野坂氏の現状への嘆きには共感できるものが多い。とはいえ、私には過去の美化はない。そこははっきりしておきたい。ここの違いはあるべき未来を描くときの差につながる。

 戦後66年で得たものを否定することはできない。国民は問題はあったものの一定の条件のなかで一所懸命働き、生きてきた。ものの豊かさもわれわれの労働の蓄積であり、誇れるものである。しかし、それが拠って立つ政治的基礎が砂のように脆いものであったことは事実である。そういう意味で砂上の楼閣という表現は正しいかもしれない。

 もう一度、基礎を固める必要がある。1億2千万人の足で、強く強く踏み固めるのだ。
 

2011年8月27日 (土)

島田伸介の芸能界引退に思う

 7月10日のブログで以下のように書いた。

 「日経エンタテイメントの人気調査で、嫌いな芸人1位に島田伸助がランクされ、昨年まで1位を堅持してきた江頭2:50が2位に陥落した。
 島田伸助は、なかなか賢い男で、ニュース番組の司会も務めたことがある。その時は自ら二人のブレーンを雇い、新幹線での移動中にレクチャーさせていた。吉本の元常務木村政雄は伸助の才能を認め、大した奴ですよと言っていた。たしかに、頭の回転が速く、しゃべりは面白いが、力のないものをこきおろす傾向が顕著であり、また出世欲と金銭欲が表に出ていて好感が持てない。私の家内も嫌いである。過去に幾度となく醜聞があり、1位のランキングは、さもありなんと思わせる。」

 彼自身が暴力的であることは、芸能界において言うに及ばず、一般的にもよく知られている。そして、そのことの結果であるのか要因になるのか分からないが、暴力団関係者との付き合いも噂されていた。その関係は、彼自身が接近したこともあろうし、また相手が伸介の金を狙って近づいたとも考えられる。彼の芸能界におけるポジションの確保および財産の形成において、持ちつ持たれつの関係にあったと想像してもおかしくない。

 引退しても生活に困ることはない。ただ、目立つ喜び、芸能界において人を操る喜びがなくなるのである。直接、困ったことになる者は、伸介の後ろ盾で働く場を得たタレントたちである。彼らは当然のことながら伸介を擁護するだろう。これほど頼りがいがあり、優しい人物はいないのだから。

 横山やすし、横山ノック、島田伸介。話芸には見るべきものがあったが、「きれい」ではなかった。芸は芸で別個に考えることもできるが、ダーティーな臭いのする芸は、心を寒くする。

2011年8月26日 (金)

「さん」付けで呼ぼう

 社長の提案で、社内では無条件に互いを「さん」づけで呼ぶことにする。下から上にも、上から下にも「さん」で呼ぶ。呼び捨てや「君」で呼ぶことも禁止である。社長を呼ぶのも「さん」である。これが一番抵抗があって難しいかもしれない。

 組織では、互いに人格を認めあうことが大切だ。部長だから敬うのではない。仕事がよくできるから敬うのでもない。もちろん、努力する人、成果を上げる人にはより大きな称賛があってしかるべきだが、それ以前に、組織を構成する人としてまず認め合うことを前提にしたい。

 よく雑誌などに寄稿している武蔵野の小山社長も、自分の会社でこの「さん」付け呼称を実践しているが、完全にはできていないという。さすがに幹部クラスに手を抜く者はいないが、課長クラスは目を離すと、呼び捨てしたり、「ちゃん」付けで呼んだりするのだそうだ。

 他では、小林製薬が「さん」付け呼称を推進している。ユニークな商品開発で有名だが、いろいろ制約のある人間関係のなかではたくさんのアイデアは出ないのだろう。

2011年8月25日 (木)

三木清と戸坂潤

 日本屈指の二人の哲学者が、敗戦の日を前後して獄中で死亡した。三木清は1945年9月26日に豊多摩刑務所にて獄死。戸坂潤は同年8月9日に長野刑務所で獄死している。三木清については、その死が戦争終結から40日あまりも経過しており、なぜ救えなかったかという議論がある。確かに、有能な哲学者を失うことは大きな損失であると認めたいが、知人の多くも投獄されている事実を知り得なかったというし、ましてや国民にそのような認識は皆無であったろうから、現実的には困難であった。日本の政府法務関係者は、敗戦によって自らの判断と行動の基軸を全くなくしていたのであり、とりあえずは昨日と同じことを惰性で今日も繰り返すしかなかったのだろう。占領軍が動いて初めて事態は変化した。

 三木清は戸坂潤の4年先輩である。三木が、第一高等学校から京都帝大の哲学科に入るという進路に先鞭をつけた。戸坂はその影響を間接的に受けたと書いている。私は両氏の著作に多く触れているわけではないので、その中身について意見を言うことはできない。三木清については、若いころに「人生論ノート」を少しばかり読みかじっただけである。戸坂潤については、いくつかの評論文を読んでおり、その分だけ三木よりも身近に感じる。なかでも、戦前に幅を利かせていた農本主義などの日本イデオロギー批判は面白く、柄谷行人も引用しているぐらいだからそれなりの水準にあるのだと思う。略年譜を見ると、古在由重などの哲学者にとどまらず、中野重治らの文学者とも活動を共にしている。当時の反体制インテリゲンチャは、数が限られていたこともあるが、互いに強く結びついていたことが分かる。それだけに官憲のマークも容易であったと言えるかもしれない。

 戸坂潤には三木清について論じた文章がある。甚だ辛辣な内容であり、簡単に言ってしまえば、自分と三木とは違うのだと言いたいのである。
 「三木においては歴史哲学の追求が基本テーマであり、その発展の過程でマルクスの唯物史観を取り入れた。一時期彼がマルクス主義者に見えたのはその限りにおいてであり、自分(戸坂)が唯物論者であるのと対照的に、ヒューマニストと呼ぶことができる。三木は独創家というよりは、寧ろ優れた解釈家である。彼は優れた解釈の体系を持っており、そのシステムこそ彼の思想であり、独創性なのである。新しく現れた支配的jな事情を逸早く呑み込んで解釈してしまうことが彼の優れたところであって、その意味での一貫性に注目すれば変節漢と呼ぶことはできない。彼の言論は理論というよりも解釈の表現と言った方がいい位で、事物の特色づけが得意である。科学的論文というよりは文学的な記述に近い。」以上のような趣旨で三木を論じている。

 一見その才能を認めているような書き方になっているが、実は痛烈な批判である。戸坂は三木を文化的自由主義者だと決めつけており、凡庸なるインテリ層に受ける、スケールの小さな思想家であると結論付けているように思われる。

 戸坂の見解をそのまま鵜呑みにはできない。私は三木についてあまりに知らなさすぎる。いくらかその足跡を追ってみる必要がある。別のだれかが、三木の態度や振る舞いは紳士的ではなく、周囲からずいぶん嫌われていたと書いていたが、そんな面も敵を多く作ることにつながったのかもしれない。

2011年8月24日 (水)

ユーモア志向の形成

 私には、ユーモアのセンスはないけれども、ユーモアへの志向はすこぶるある。真面目な話をしていても、必要以上にジョークを口にしてしまので、さぞかし周囲のひんしゅくを買っているのではなかろうか。

 「ユーモア」イコール「ジョーク」ではない。ユーモアとはジョークよりももっと大きな範疇のものである。それは余裕の表れであり、寛容なる精神の発露である。文学の世界においても、おかしみを誘うための細かな仕掛けはないのだけれども、全体を通すとなんとなくおかしいという作品がある。人間でも同じで、とってつけたようなジョークは言わないが、なんとなく話の面白い人がいるものだ。

 そういう意味では、私のユーモアなどずいぶん底の浅いものだが、志向の強さが何に由来するのかを考えると、まずは漫才や落語に思い至る。これは何度か書いたから詳しくは省きたい。これらは、もともとが笑いを誘う芸だから、ネタもあれば話術もはっきりとある。それを真似して使うことはあるが、素人のことだからかえって滑ったりする。

 もうひとつのユーモア志向の起源は、小説家のエッセイである。前にも書いたが、高校から大学にかけて、第三の新人と呼ばれる作家群を代表する吉行淳之介、安岡章太郎、遠藤周作の三氏のエッセイをよく読んだ。特に吉行淳之介が好きで、エッセイ集だけで10冊ぐらいは読んだと思う。そこから、人生観やら恋愛観やら女性観について、かなり柔らかい見方を吸収した。
 吉行氏は、人間を、家柄や学歴や地位などに偏重してみるのではなく、「生」や「性」を切り口にすることによって余計な区別を取っ払っている。だから生の人間が出てきて面白いし、そのことが人間のおかしさを導き出している。下半身の話も頻繁に出てくるのだが、じめじめした表現はなく、さらっと読めてしまうところに吉行氏の味がある。ダンディーさは風貌だけではなく、書き方にも表れ、下世話になりやすい話題を上手く料理しているのである。
 そして、全体を通してユーモアがにじみ出ている。こういうユーモアは、寛容な人間からしか出てこないと思うのだが、氏の寛容さは大学を中退したり、肺病にかかって入院生活を送ったり、赤線の女性たちと深く付き合ったりするなかで培われたのではないかと想像される。常に“立派”な道を歩んできた人には“許す心”が欠けているように思う。

 人間、真面目すぎても面白くないし、いい加減過ぎても面白くない。基本は真面目でなければならないが、この範囲ならば許容してもよいという“緩さ”も併せ持ちたい。それも一つの良識の在り方であり、誠実さの形であろう。

 

2011年8月23日 (火)

井伏鱒二 「駅前旅館」

 「黒い雨」に先立つこと9年、1957年に発表された作品である。「私、駅前の柊元(くきもと)旅館の番頭でございます。」で始まる。

 主人公の生野次平は、戦前に、継母の勤める上野近くの春木屋という旅館で育った。学校を出るとその旅館で仕事を始め、母親が亡くなるまで中番を務める。その後籾山旅館に移籍したが、東京大空襲で焼きだされ生地の輪島に疎開する。そして、終戦後しばらくして再び東京に舞い戻り、籾山旅館の旦那の紹介で柊元旅館に勤めることとあいなった。

 駅前旅館という、狭いけれども一つの業界があり、そことその周辺に生きる人々の姿をユーモアあふれるタッチで活写している。「飲む、打つ、買う」の話題があって、堅気の世界とは少々距離があるのだが、登場人物に一定の節度があるから、嫌な感じを与えない。
 特に面白いのは春木屋と水無瀬ホテルの番頭である。仲間内の慰安旅行の途上で、列車に乗り合わせたお高く留まっている風の女性たちに向かって聞かせる作り話がよい。自分たちは土木会社の幹部で、何億という額の工事を請け負っているという設定だ。話の中身がもっともらしく、またその語り口が絶妙である。
 ほかの場面でもその才能が発揮される。修学旅行に来た関西の高校生が、番頭連中が行きつけの辰巳屋に来て酔いつぶれ、おまけに悪態をついてくる。そこへ水無瀬ホテルの番頭が攻撃を入れる。その高校の校長と自分は旧知の友だというのである。旅館稼業では宿泊客の情報を事前に入手しておくも仕事の一つである。校長がどんな経歴で、どんな趣味があるかは調査済みなのだった。この話はあまり効き目はなかったが、業界の裏を知るに効果的な場面であった。

 主人公にまつわる話では、於菊(おきく)との関係がある。於菊はある旅館の豆女中だったのだが、次平が客とのトラブルを解決してやったことがあった。それが縁で、しばらくの間二人の付き合いが続くが、何せまだ子供のことなので深い関係には至らず、いつしか離れ次平の頭からも消えてしまう。
 ある日、長野の実業家が三人の芸者を引き連れて柊元旅館に宿泊する。その夜、次平が湯につかっていると、その芸者のうちの一人が湯船に入ってきて次平の体をつねった。その時はキツネにつままれたような心持だったが、あとで於菊だったことに気が付く。そして心惹かれて於菊の現在を調べたところ、旦那の世話になって紡績会社の寮長をしているのだった。
 その後、於菊は寮の女工たちを連れて柊元旅館に泊まることになる。旅行の行程の隙間を狙って二人で逢引することになるが、そこでも深い関係に至ることはなかった。

 話の筋から離れても面白いネタが散りばめられている。一つは業界で使われる符牒。「バッタ」とはご祝儀のことをいうらしい。よく知られているバッタは、バッタもんという言い方をされ、正規外のルートで仕入れて投げ売りされる商品という意味なので、ここでの使い方はあまり知られていない。
 次に、遊郭で働く、各地方出身の女性の特徴についてである。東北地方・北陸地方の女性は、「貞淑で、根深い堅実性があって純朴。」千葉県の女性は、「ざっくばらんで、純で、男に熱し易く、また冷めやすい。」山梨、埼玉、静岡以西の女性は、「気がきいて賢くて、身を守ることが上手、金を溜めることも上手。」新潟の女性は、「男にかしずく要領が誠に堂に入っておりまして、・・・そのくせ、だんだんと男が窮して来て、最後というときに立ち至ると、うまいこと逃げを打つ。」男と心中した女で、新潟県出身は一度も聞いたことがないと言い、心中する女性の多くは東北・北陸出身であったと次平に語らせている。本当かどうか分からないが、たくさんの人を見る中で業界の定説として語られていることには一定の信ぴょう性がある。その傾向は土地の歴史・風土が生み出しているに違いない。

 この小説は、あっという間に読み終えてしまうが、読後感は決して軽くはない。登場人物に傲慢さはなく、分別があり、つつましい中にも奔放さもあって、実に愛すべき人たちに仕上がっている。井伏鱒二の力量が見て取れる。

 

2011年8月22日 (月)

第93回全国高校野球選手権大会を振り返って

2年ぶりに3人の高校野球ファンが集まり、今大会について語り合いました。

清水 「一昨年は中京大中京が下馬評通りの強さを発揮して優勝しました。非常にいい大会だったと記憶しています。皆さんはいかがでしたか。」

河本 「そうですね。優勝校は予想通りでしたが、日本文理が頑張って準優勝するなど波乱もあって、いい勝負がたくさん見られた大会だったですね。」

児島 「面白かったのは中京と関西学院の試合だったです。最後はサヨナラホームランで決着しましたが、山崎君がよく投げました。大学でも捕手で頑張っているようです。それから、花巻東の菊池雄星と明豊の今宮君との投げ合いも見ごたえがありました。二人ともプロに進みましたね。」

清水 「さて、今年の大会ですが、みなさん忙しくてあまり見ていないそうですね。私も同じなんですが。」

河本 「ええ。郷里に帰っていまして、テレビで少し観た程度です。」

児島 「私もテレビ観戦でした。例年1回は甲子園に足を運ぶのですが、年々あの暑さに耐えられなくなってきました。」

清水 「私は大阪の地方大会を一度見に行きましたが、本大会は皆さんと同じようにテレビで観ました。ちなみに大阪は柏原が逆転で大阪桐蔭を下して初出場しました。これまでも決して弱いチームではなかったが、とにかく強豪がそろっているから優勝はできなかった。私も大阪桐蔭で決まりだと思っていましたからね。田中秀昌監督の力もあります。今アメリカで活躍している黒田投手も、上宮時代に田中監督に指導を受けています。さて、大会についての感想をうかがいましょう。」

児島 「結果的に見ると、日大三校の充実が目立った大会でしたね。優勝候補がそのまま勝ちあがったという意味では91回大会に似ている。」

河本 「打力と投手力がともに最高水準だから強い。もちろん、それでも負ける時はあるんだが。」

児島 「智弁和歌山との試合が山だったかな。終盤のソロホームラン1本が効いたね。」

河本 「あれで吉永が楽になった。」

清水 「兎に角、下位打線までスイングが鋭くて、打球の速さはプロ並みですね。もっとも、木のバットじゃああはいかないでしょうが。他のチームはいかがですか。」

河本 「光星学院の選手はよく頑張りました。秋田君の好投が光ったと思います。特に東洋大姫路の一戦では、緊迫したゲームでよく踏ん張りました。」

児島 「あのチームはレギュラーに地元の選手がいないらしいね。選手に罪はないけれど、違和感がある。地元のファンも複雑な心境じゃないですか。」

河本 「それは否めないね。ただ私学がいい選手を集めてくるのは他のスポーツでも同じでね。人気スポーツだとよりクローズアップされる。」

児島 「世の中、財力のあるところに人材も集まるわけで、その縮図ですよ。」

清水 「しかし、そんななかでも公立校で勝ち抜いてくるチームがあります。そのなかには、徳島商業などの伝統校もあるし、無名の高校もありました。また予選を見ていても、進学校がいいところまで勝ち上がった例がある。奈良の奈良高校と三重の四日市高校はベスト4に残った。ともに県で一番の進学校です。それから、愛知では時習館が中京大中京を破る番狂わせを演じた。私学が強いと言っても、変化はあるようでして、私の知っている学校では野球部にばかり金を使うことに父兄や地域の人たちから批判が出て方向転換しました。」

児島 「それも財力次第という面があって、本当に金のある私学は施設がすごいうえに、合宿や遠征にうんと使っている。金のない学校は、監督自ら中古のマイクロバスを運転したりして事故を起こしたりしている。」

河本 「少子化で生徒を集めるのが大変になるから名を売りたいよね。生徒だって有名な高校に行っている方がアイデンティティーを持ちやすい。」

児島 「難しいことを言うね。でも、スポーツのことを話していても、それは現実の社会と切り離せないということだな。」

清水 「大会の話に戻りましょう。その他のチームで印象に残ったところは。」

児島 「うーん。関西かな。強豪の九州国際大付属戦では、水原君が素晴らしい投球をした。あれで勢いにのって、明豊、如水館と力のあるところを連覇した。」

河本 「私は、チームというよりも、金沢の釜田君と聖光学院の歳内君との投げ合いが見ごたえがあった。松坂のような、どうにも打てないような力はないけれど、投球のレベルは高いと思った。よく切れるスライダーと落ちる球があれば強いね。まっすぐにも力があったが、さすがに甘く入ると今の高校生は打ち返す。それから、キャッチャーのリードだけれど、得意球に偏り過ぎる傾向があった。もう少し考えた方がよい。」

清水 「私は関西人なので、どうしても地元に目が行くのですが、八幡商業の大逆転劇がもっとも印象的です。ああいうことが起こるので、高校野球は怖いし、甲子園は怖いところなんです。打球が吸い寄せられていきました。ポール際は風が抜けていくので、よく伸びるらしいですね。本当に興奮しました。」

児島 「もうひとつ。智弁が横浜を破った試合も印象的だった。8回の集中打はすごかったが、投手の交代のタイミングが問題になったね。私は監督が慌てたと思っているんだが、それも結果論かもしれない。いったん流れが向こうに行くと、止めようがないといういい事例だった。それから、もう時間がないから言っておきたいのだけれど、殊勲打を撃った時の喜び方が異常だね。それがチームに勢いを与えるという面はあるけれど、程度があるよ。大はしゃぎしている感じ。クールに構えている選手もいていいのじゃないかと思う。ついでに中継のアナウンサーも絶叫しすぎ。大きい!と叫んだら、フェンスの何メートルも前で捕られたりする。大きいというのは中段ぐらいまで持っていくのを言うんです。」

清水 「厳しい意見が出たところで、終わりたいと思いますが、できればまた来年集まりたいですね。次の夏まで、健康に気を付けて頑張りましょう。」

2011年8月21日 (日)

被害者意識と加害者意識

 被害者意識は自然発生的なものであり、誰もが日々の生活で繰り返し抱いているが、加害者意識の方は無意識に身に付いている性格のものではない。

 人間、外部の攻撃や干渉から自分を守ろうとする意識が非常に強い。個人においてその傾向は著しいが、集団にあっても防衛意識が強く働いている。猿の時代以来、他の動物と同じく臆病に暮らしてきたことの表れであろう。
 猿の時代には脅威の対象は「自然」であった。気象条件などがもたらす暑さ、寒さ、水と食物の不足があった。進化に連れて、そういった脅威を和らげる知恵と工夫が生まれ、次第に落ち着いて生活できるようになる。しかし、それにつれて人間同士が生活の場を奪い合ったり、水や食物を奪い取ったりするようになる。対象が自然から人間となるのである。

 人と人との関係では、客観的に見れば、被害者であると等量に加害者でもありうるわけだ。しかし、最初に言ったように、意識としては圧倒的に被害者としての立場が自覚される。これは、どうも普遍的なものらしい。ここに、加害者としての意識を加えるものは、信仰や思想である。もっとも、信仰や思想と言っても、なかには被害者意識を煽るようなものもあるから十把一絡げに扱ってはならない。
 とはいえ、人間、衣食が足りるようになると、善良な文化を築く。自分の行為が隣人を苦しめていないか。自国の行為が隣国を抑圧していないか。このような考えは、褒められこそすれ、誹りを受けるものではないだろう。文化的な先進性を示す事象である。

 日本は、明治以来、国家主導で西欧化の道を進んできた。富国強兵によって、他のアジア諸国のような植民地化を逃れ、不平等な関係を順次変更してきた。その方向を推し進めてきたのは自覚的なエリート官僚とエリート知識人であったし、その流れに抗したのも自覚的な反体制エリートであった。大衆は自分の生活が極度に侵された場合には抵抗を示すが、大きな流れに抗することはしなかった。
 日清・日露戦争における勝利は、周辺アジアに対する日本国の優越性を意識の中に植え込んだ。爾来、長い歴史の中で劣等感を持って眺めてきた国家が、逆に蔑視の対象となっていった。その果てはご承知のとおりである。

 富国強兵の理念は行きつくところに行きついた。西欧の悪しき歴史と違わぬ道である。日本にも別の選択はあったろう。あったろうが、それを進めるだけの有力な主体はいなかった。果敢に攻めた人たちはいたにはいたし、その行為に敬意も払いたいが、大きな運動にはならなかった。なぜそうなったか、そこに大事な問題が含まれている。相手が巧妙で強かったからだとか、本来戦うべき勢力が戦略戦術の誤りで相手に飲み込まれてしまったからだとか、そういう理屈だけでは教訓は生まれない。結果責任を問う論理が組織になければ、動機の純粋さだけが神のように奉られるだけである。

 十五年戦争の敗北は重大な画期であった。しかし、敗北であったために手足を縛られ、将来の自主的な選択を妨げた。従属は、国際関係の綾もあって、予想を超える富をもたらしたが、その富をもたらすメカニズムも早晩崩れる運命にあった。従属してよかったのだという意見もあるが、それは戦争を始めた論理に違うことであるし、戦争を食い止めようとした理屈にも合わないものだ。経済合理主義的な結果オーライ論であると言うべきか。

 加害者となった戦争を反省し、主体的に国の在り方を考える必要がある。内容は政治的であらざるをえないが、文化的な要素を多く含んでいなければならない。その選択は、高い精神性をもってこそ可能なことであるからだ。

2011年8月20日 (土)

芦田愛菜ちゃん人気に思う

 天才子役という枕詞が定着した、芦田愛菜ちゃん。確かに可愛くもあり、芸達者でもある。彼女に対してなんら文句はない。

 しかし、彼女に疲れた表情を見るようになり、少々気の毒であるとの思いを抱くようになった。その姿を見かけない日がないほどの売れっ子になってしまった。おそらく出演の依頼はひっきりなしで、あちらこちらの撮影現場を飛び回り、移動中にはセリフを覚え、寝る間もない。そんな生活が続いていれば、疲れも出るだろう。おそらく、親や身近な関係者は休ませてやりたいと思っているのだろうが、なんとかスケジュールを詰めて出てくれと懇願され、やむなく請けているのではないか。稼げるうちに稼いでおこうという徹底した打算で動いているとは思いたくない。

 このような人気がいつまでも続くものではない。可愛いけれども、時間が経てばそれも薄れる。親でさえ、子が成長すれば可愛くなくなっていくのである。今の可愛さは、今の歳格好に見合った可愛さであり、次の年代には、やどかりが殻を取り替えるように、別の魅力を身につけなければならない。それは決して容易なことではない。容姿はともかく、内面から湧きだす魅力は生得の要素は少なく、経験と自らの感性によって紡ぎだすものである。愛菜ちゃんに、それを要求することは酷だと思うし、周囲が新たな魅力を「売り」として作り出すためにプロジェクトを組むことなど、逆にやってはならないことであろう。

 いったん、ただの女の子になるのである。それから先は未知数だ。天才子役が天才俳優に成長した例を知らない。ただし、歌の世界には美空ひばりの例がある。

2011年8月19日 (金)

風評被害について考える

 行動を決するには事実をもって判断しなければならない。これが基本である。一方で、「世間の評判」というものがある。あの会社はケチだとか、あの病院の診療は信用できないとか、あそこのレストランはなかなか味がいいとかいう類のものである。自分で直接経験していれば事実の一端に触れているのだが、伝聞の範囲ではその情報に関する事実の確認はないわけで、そのような評判があるという事実だけ認知するのみである。それにしても、先ほど上げた評判は、一定の地域で一定の期間醸成された認識であって、まんざら無根拠でもない。けっこう信ぴょう性はあると言ってよいのである。

 ところで、「風評」というものは、それとは性格を異にしている。
 思い起こせば、O-157大腸菌による食中毒の原因がカイワレ大根だと報じられて全く売れなくなった。しかし、その後も原因は特定されていない。その他、鳥インフルエンザの関係で鶏肉が売れなくなったこともあったし、ナホトカ号の重油流出事故で山陰のカニ目当ての旅行客が激減したり、豊田通商やオウム真理教の事件で名前の似通った団体がその活動に影響を受けたりした。

 これらの「風評」による被害は一つひとつ見ていくと、必ずしも同じ原因によるものではないように思われる。カイワレの場合は、政府の発表が軽率であった。早く事態を沈静化したいという思いが焦りを生んだのではないか。気の毒なのはカイワレ生産者であり、市場が小さく有力な企業もないので泣き寝入りせざるを得なかったのだろう。鳥インフルエンザについては、インフルエンザと鶏肉の安全性との関係についての情報が十分に流されなかったのではないか。また、鶏肉を取り扱う業者も敢えて流れに抗することをせず、販売を手控えてしまったのではないか。重油流出の場合は、これもカニに対する影響の正しい評価が積極的に報じられなかったこともあるし、おそらくそれ以上に、厳しい条件のなかでボランティアが必死に除去作業をしている状況のなか、消費者は自分たちが暖かい部屋で贅沢な鍋を食することに罪悪感を覚えたに違いない。これは自粛による現象と考えられる。

 整理してみると、まず情報の適切な出し方の大切さが分かる。遅れるのはよくないが、不正確なまま発表を急いでは誤った認識を招く。次に、必ず情報の通り道になるマスコミの姿勢である。単に確認できた事実だけを報ずるのではなく、発生するであろう誤解を積極的に打ち消す報道姿勢が望まれる。また、マスコミに続いて、関連する商品を扱う業者も、購入先を慮って積極的に販売する姿勢を出すべきだ。これは単に商売だけの問題ではない。最後に、消費者も、事実を科学的に理解し行動する努力をすべきだし、人が苦しんでいる時にはある程度足が止まることは仕方ないにしても、自粛一辺倒ではなく、普通の消費行動は被害者の害にはならないし、非人道的でもないことを理解すべきである。

 吉野家の安倍さんが、放射能汚染による牛丼への風評被害を心配していたが、肉はアメリカ産で、米は北海道産なので全く問題ないと思う。よしんば東北産であっても検査をしっかりやる体制があれば問題ない。安全を保証する体制を持つ企業があり、消費者が合理的な行動をとるならば風評など恐れるものではない。

2011年8月18日 (木)

梅崎春生「日の果て」

 梅崎春生は小説を読む前に名前だけ知っていた。いわゆる第三の新人達にとっては先輩の年代であり、彼らの交友録に梅崎氏のことがしばしば取り上げられていたのである。大変ないたずら好きであったそうだが、彼の経歴と作品の故に一目置かれていたように思う。

 今年の夏、終戦記念日(敗戦と言わずに終戦と言うようになった。占領軍ではなく、進駐軍である。)までに3冊の小説を読むことに決めていた。井伏鱒二の「黒い雨」、大岡昇平の「俘虜記」、梅崎春生の「日の果て」である。戦争文学という言い方でまとめてしまうと返って薄っぺらくなってしまうので好まないが、戦争との関わりで評価の高い3作品を選んだのである。そして、すでにはじめの2作品については感想文を書き終えた。

 さて「日の果て」であるが、敗色濃厚なフィリッピン戦線で、主人公の宇治中尉は上官から花田軍医を銃殺するように命令を受ける。花田は医薬品を持って戦線を離脱し、戦地の女と暮らしている。宇治は高城伍長を伴って花田の住処を襲うことになった。

 目的地に向かって熱帯の森を歩く。宇治は戦線を離脱する覚悟を決めていた。そして高城にそのことを告げる。すると彼は自分は隊に戻ると言い、踵を返す。宇治は、背後から高城を撃とうか迷ったが、結局撃鉄を引くことがなかった。高城は再び戻ってくるのである。

 花田のいる場所へ向かう。そこから東海岸への逃亡が可能だ。途中で、病に倒れて虫の息の日本兵に会う。助けを乞われるが如何ともしがたくその場を離れる。目的地に到着するがすでに花田はいない。その代わり、花田と一緒にいたという日本人の男と気のふれた日本人の女に出会う。「あんたも逃げて来た口じゃないのか。」と言われ、胸に感情が泡立ちたぎり立った。
 二人を残し、宇治と高城はインタアルへ歩を進める。そこからは東海岸まで一本道である。宇治は先ほどの男の言葉を不快に思い、ウイスキーの酔いも手伝って高城に殺して来いと命ずる。しかし、後から確かめると、高城が殺してきたのは気の狂った女の方だったのだ。そういう取り違えが起こりうることを示した点で、ここは面白い。

 今ならまだ本隊に戻ることができる。花田は寸前で逃亡したと報告すればよかったのであるし、高城も一緒だったのである。しかし、インタアルに向かう。花田を追うという名目が残っているのである。戻っても、何ら事態の進展は期待できなく、自己への抵抗、障害が増すばかりだ。

 そして、途上で花田の女を目撃する。彼らが近づくと、女は花田軍医を呼び出す。姿を現した花田は、宇治に銃口を向け撃鉄を引いた。しかし、不発だった。今度は宇治が花田を狙う。花田はうつ伏せに倒れた。
 これで終わらない。次は、花田の女が宇治を狙う。左胸を撃ち抜かれた。堤の下に転げ落ちる。宇治中尉の最期となり、物語も終わる。

 主題はなにか。戦況が行き詰まり、戦う意味が見えにくくなった時、兵は何を思うか。展望の喪失、軍紀の緩み、死への恐怖と生への渇望。生の人間を動かすものは、欲望であり、嫉妬であり、自惚れであろうか。 

2011年8月17日 (水)

東海テレビ 中傷テロップ問題について

 東海テレビの中傷テロップ問題、番組の打ち切りを発表 役員も処分

サーチナ 8月12日(金)8時40分配信

 東海テレビ放送の情報番組「ぴーかんテレビ」で、岩手県産の米を中傷するテロップを流した問題で、浅野碩也社長が11日、番組の打ち切りを発表したと主要メディアが報じた。同局の公式サイトにも謝罪文が掲載され、改めて「問題の重大性を受け、現在、休止している『ぴーかんテレビ』の打ち切りを決めました」と発表した。
 この問題は、4日に放送した同番組において、岩手県産米の当選者として「怪しいお米」「汚染されたお米」「セシウムさん」等の不適切な字幕テロップを放送したことが発端。その後、視聴者や農家などから抗議の声が殺到し、事態を重くみた同局は翌日、岩手県庁及び農協岩手県本部へ訪れ、謝罪と事情を説明した。
 今回の問題を受け、番組の打ち切りのほか、浅野社長の役員報酬50%3カ月カットやその他の役員3人の報酬カット、情報制作局幹部2人の降格など従業員4人の処分を決定した。(編集担当:武田雄樹氏)

 テロップの中身は、悪ふざけの類であり、それがまた誤って放映されるとは情けない失態である。局員の意識の程度と管理体制の程度とが、ともに幼稚な次元にあることを示してしまった。非難され、それに対して頭を下げるのは当然の対応であり、やってしまったことへの当然の報いである。

 とはいえ、バッシングが過剰であるという「感覚」を持つ。何かあると、一斉にマスコミがたかる様にして集まり、「たたく」。これに乗らないと、遅れをとるという脅迫観念のようなものがあるのではないか。なぜこのようなことが起こったのか、じっくり取材をして報道する道もあるが、そのような報道姿勢はない。そうこうしているうちに視聴者の関心が薄れ、ニュースとしての価値を失うという面も影響しているとは思うのだが。

 当事者としては、まず謝罪するしかない。社長としては思ってもみないことであろう。少々気の毒だと思わないことはない。しかし、今回の事件が発生した遠因には、報道に関わる者の責任について自覚不足がある。東海テレビの経営理念はなんだが知らないが、やっていいことと悪いことの区別がつく基準としての理念を持つべきだろう。報道関係者といえどもユーモアは必要であるが、今回のテロップにユーモアの要素はない。
 しかし、そうは言うものの、である。なかには社長の辞任を求める声もあったと聞くが、それは行きすぎであろう。言い訳せず、速やかに謝罪を行い、一定の処分を意志決定し実行する。これがまず第一段階。次は納期を設定して、原因を調査し、対策案を発表する。最後は対策の実施結果の報告である。やるべきことをしっかりやればよいのだ。もっとも、そのころになると視聴者の興味は著しく減退しているに違いない。

 そう大げさにすることはないじゃないかと言いたい。これは、たとえば、JR福知山線の事故とは次元の異なる事故である。人間にも、組織にも、そして社会にも、厳しい面と寛容な面との双方が必要だが、そのバランスのとり方が難しい。総体的に、寛容の傾向が弱まっていると思い、危惧もしているが、はたして多くの人はそう感じているだろうか。

2011年8月16日 (火)

甲子園で知る「校歌」

 よく考えてみると、出身校以外の校歌を聞くチャンスは、甲子園での高校野球以外にない。だからこそ甲子園に出場し、かつ勝利することは各高校にとって意義深いことなのである。

 近頃できた(設立は古くとも、共学化や統合などで改組・改名した学校を含む)高校は、古い学校と違って詞も曲調も今風である。残念ながら初戦で敗退し、その校歌は聞けなかった、愛知の至学館高校のものはJ-POP調と評されている。YuoTubeである少女が歌っているが、歌の上手さも手伝ってか、これはJ-POPそのものである。CDにして発売したらヒットするのではないか。あるいは、高校野球のイメージソングにしてもいいのではないかと思ってしまう。一高校の校歌をそのように使うことは不可能だが、そんな内容を持っている。

 大分明豊の校歌にも好感が持てる。南こうせつ夫妻の作品で、こうせつが歌うとなおさらよい。初出場の群馬県健大高崎高校の校歌も、「Be Together」という一節が印象的でよかった。しかし、このようによくできた曲はよいとしても、今風をねらって作ったはよいが、テンポがよくなくて今一つ馴染まない曲になってしまうと逆に悲劇である。それならいっそ、昔ながらの他校との区別がつけがたい重たい曲調の校歌の方がよいだろう。

 ときに、私の出身校の校歌は佐藤春夫作詞の古いものだが、曲も素晴らしく、まさに名作であると思う。在校中、ある先生が、これはうちにはもったいない校歌だと言ったが、私はその意見に同意したい。校歌は立派だったが、われわれは立派ではなかった。勉強しなかったし、隠れてタバコを吸っていたし、居酒屋で宴会をして謹慎処分を受けたりであったから。(断っておくが、私がそうだったという意味ではない。勉強しなかったという一点は当たっているが。)

 身の丈に合った校歌が良い。

2011年8月15日 (月)

水木しげるの「ラバウル戦記」

 朝ドラ「ゲゲゲの女房」でその生き方が広く知られるようになった水木しげる氏の戦争体験記である。戦記と言っても、重々しい内容ばかりではない。自身の手で描かれたスケッチ画とともに面白く読めて、時間を忘れる。それでいて、戦争の一面を鮮やかに見せてくれる。若い人にもぜひ読んでほしい一冊である。

 水木氏の感性、人間観、人生観は独特のものである。普通の兵隊は、戦地でここに書かれているようなことを感じはしないし、同じような行動をとらない。異端には違いないが、得がたい存在である。人間の考えは決して一様ではないし、特殊な見方の中に、実はもっとも大事にしなければならない「嗜好」、「美意識」、「価値観」などが隠れているということを教えてくれる。

 水木氏は昭和18年の11月に、日本軍が大掛かりな基地を築いていたニューギニア島のラバウルに送られる。氏は、隊の中でもっとも多くのビンタを加えられた兵士だった。初年兵で(その後追加の入隊がなかったので最後まで初年兵だったという。)、歳が若かったこともあるが、行動が他と違っていたからである。南国の景色や鳥や虫などの姿に気を奪われていて集合が遅くなったり、楽な姿勢で作業をしているところを見つかったり、空襲があって皆が防空壕に逃げ込んでいるのに一人空を眺めていたりで、それが上官のビンタを誘発する。しかし、氏の行動はそれに学習することなく、変わらない。氏は、若く体力があったせいで、気を病むこともなくすぐに回復したと書いている。また、古兵になぐられて、「ありがとうございました。」というのはこっけいな話だとも書いている。

 水木氏を含む10人の小隊はバイエンという場所で20人程度の海軍部隊とともに上陸を企てようとする敵軍の動きを見張っていた。そこで、おそらくオーストラリア軍に訓練されたと思われる現地人の部隊に急襲される。日本軍部隊は壊滅したが、水木氏ひとり生き残り、そこから本隊に向けた薄氷を踏むような逃亡劇が続く。この間の描写には、まるで映画を観ているようなめまぐるしい展開があり、緊迫感を生んでいる。
 氏は奇跡的な生還を遂げる。そして、何が起こったかについての情報を報告したのだが、中隊長からの言葉は、「なんで逃げ帰ったんだ。皆が死んだんだから、お前も死ね。」であった。おまけに、疲れてフラフラの状態にも拘わらず、一日の休養も与えられなかった。氏は、「それ以来、中隊長も軍隊も理解できなくなり、同時に激しい怒りが込み上げてきた。」と記している。

 水木氏は、土人(差別用語だろうが、土とともに生きる人という意味で、尊敬の念をもってそう呼ぶと注記している)とすぐに友達になってしまう。これは他の兵隊にはない特性である。氏には兵隊が持っている殺気立った空気がなかったのだろう。また、自分たちよりも劣った人々という観念もなかったに違いない、だから抵抗なく受け入れられたのだと思う。一緒に食事をしたり、話をしたり、踊ったりした。帰りには食べ物を持たせてくれる。隊では、そのことが不思議で、魔法使いのように思われていたと書かれている。だが、土人との交流は認められていなかったので、またビンタが待っていた。
 土人の暮らしぶりなどはスケッチ画に活き活きと描かれている。そのタッチには彼らに対するやさしいまなざしが表れている。自給自足で、閉じられた平穏な世界。氏は一時期、ここに残る意志を強く持つようになる。それはそれで一つの選択であったし、妨げるものはなかったのだろうが、結果的には日本に帰り、貴重な作品を多く残すことになる。

 日本に帰ってからもラバウルの土人たちのことは気にかかっていたが7年後に戻ってくという約束は果たせなかった。それから16年経過して、23年目に現地を訪れたのだが、仲よくしていたトペトロ少年はおじさんになっていた。水木氏は、歳を重ねるごとに土人たちの親切のありがたみが分かるようになる。日本軍は現地の人々をいじめるようなことをたくさん行ったのでずいぶん恨まれていたのだが、氏に対しては特別の対応をしてくれていたのだ。のちに、中古の自動車をプレゼントした時に、「やっと昔の恩がかえってきた。」と言われ、彼らの気持ちを理解するようになったそうだ。当時は、そんなことは全く考えず、交流を楽しんでいたのだ。

 若者が戦争を知るにいい教材の一つになると思う。敗戦の日にぜひお薦めしたい。この作品で読書感想文を書こう。

2011年8月14日 (日)

ふたたび世界のピアニストについて

 実際にプロの演奏を生で耳にしたことのない素人にとって批評などはおこがましく、ただ我儘に感想を述べるにすぎない。音楽は、他の芸術も同じだろうが、単純に技術・技巧を競うものではない。芸術には、それを支えるファンが必要であり、その行動を決定する要素は、世間の評価と本人の好き嫌いである。

 私が個々のピアニストに対して抱く感想も先の二つの要素に支配されている。ただし、できるだけ世間の評価を排し、自らの感覚を頼りにしたいと欲している。それでも、求める媒体はCDであったりYouTubeであったりするので、そもそもが世間に出まわっているものであるから、世間の評価に負っていることは否定できない事実である。また、ピアノ演奏の録音を聴き初めてまだ一年あまりであることから、好き嫌いのレベルもまだ初心者である。

 さて、従来からホロヴィッツが私の嗜好の本線にある。これは不動であるが、他のピアニストの演奏も聴くにつれて、ホロヴィッツが相対化されていく。そして、彼が素晴らしい芸術家であり、私が聴いてもっとも感動を呼び起こす演奏ではあるが、実はピアノ演奏の本流からは外れているのかもしれないと感じ始める。より好意的に表現すれば、常識的な枠に収まりきらないと言えるのかもしれない。常識的な線では、ルービンシュタインが本流であり、ポリーニが後を継いだと言えるのだろうか。

 ホロヴィッツにはダイナミックな弾き方と独特の感覚がある。それを上手く表現するのは難しい。技巧については専門家が評価する領域である。ただ、他の人たちと違うということは素人にも分かる。表現については、奔放さを感じる。独特の解釈が入っているように思われる。好きな曲目としては、スクリャービンのエチュードNo.12とショパンのバラードNo.1である。前者の演奏の激しさは、さすがに晩年はおとなしくなったものの、全盛期には凄まじいいものがある。後者は、同じ楽譜でもこれだけ違いが出るのかと思わせるいい例で、ホロヴィッツに独特の解釈がある。その他、協奏曲ではラフマニノフの3番がいい。

 ホロヴィッツ以外ではリヒテルがいいと感じている。ショパンのバラードNo.1はその表現力からして、ホロヴィッツに勝るとも劣らない素晴らしさがある。

2011年8月13日 (土)

費用対効果 地震研究の記事より

 ビジネスの世界では、費用対効果の考え方は絶対的だと言える。費用に見合うだけの効果(必ずしも金銭とは限らないが)が得られる見込みのない施策には予算が与えられないし、決裁がおりない。もっとも、効果が表れるまでの時間設定にはさまざまあって、機械設備への投資、販売促進費、社員教育費を例にとってみるとその違いが分かる。

 新しい機械は、単なる更新でない限り性能が上がっているわけで、動かせばすぐに効率が上がる。ただし投資額が大きいので、償却には一定の期間が必要である。販売促進費には短期的な効果と長期的な効果が見込まれている。短期的には売上高の増加があり粗利も確保されるが、費用を差し引くと赤字になる場合がある。しかし、その後も一定の期間効果が持続すれば赤字を埋めて余りある効果(利益)が期待できる。教育にかける費用は効果の評価が難しい。教育といっても目的に違いがあり、たとえば、当面必要なスキルを身につけるトレーニング的なものと論理的な思考力を養成する講義とでは求めるものが違う。後者の方は即効性がなく、また長いスパンでの評価も難しい。人間の成長は単純ではないから、何が「効いた」のか評価するのが難しいのだ。

 先日、新聞紙上で地震への研究の在り方について二つの方向性が示されていた。一つは地震の予知は可能として、観測と研究の体制を維持発展させるべきだという考え。もうひとつは、地震の予知を求めて発生のメカニズムを追求しても、現実には法則性が認められないから無駄であり、それよりも防災に力を注ぐべきだという考えである。
 いずれも、すでに研究は継続されていて、行政も加わって体制が出来上がっている。だからやめてしまうことが難しい現実がある。また、両者の言い分もよく分かる。前者は「学」的であり、後者は「政策」的である。可能性があるかぎり諦めず追究したい。これが研究者の本心であろう。しかし、個人ならばそれで問題ないが、大掛かりな研究になればお金が要る。組織がある。国民生活に関係があれば行政も加わり予算も付く。そうすると費用対効果を求められることになる。学問の理想は、費用対効果などいったん外において、無駄とも思われる研究に没頭することであるが、よほど理解のあるスポンサーでも付かない限り、そんな余裕はなくなっているのかもしれない。

 一方、政策的に考えると、防災の研究と投資は現実的だ。限りある予算は、より効果的に使われるべきだとも思う。しかし、地球内部の活動は人知を超えた運動メカニズムを持っているかもしれないが、予知ができる根拠はないと切って捨てる判断はあまりに一方的であるし、「功利的」にすぎるのではないか。

 私は「学」を大事にしたい。「進取の精神、学の独立だ。」

2011年8月12日 (金)

どですかでん(黒沢明監督)

 原作は山本周五郎の「季節のない街」である。原作を先に読んでいたせいで、この映画の良さは、原作に描かれている個性的で愛すべき人物を活き活きと映像に持ち込んだ点にあると思われた。山本周五郎無くして、この作品はない。

 「電車ばか」の六ちゃん。足が悪く、顔面神経痙攣のある島さん。連れ合いを互いに交換してしまった河口夫妻と増田夫妻。泥棒に自ら有り金すべてを渡してしまうたんば老人。姪のかつ子を妊娠させて、それが問題になりはじめると慌てて逃げ出した綿中京太。

 どこかにモデルがあったのかどうか知らないが、六ちゃんや島さんの人物像は容易に考えつくものではない。「どですかでん、どですかでん」と、貧しい人々が暮らす街を決まった時間に電車を走らせる六ちゃん。周りの人には六ちゃんしか見えないが、六ちゃんは実物の電車を動かしているのだ。
 島さんには怖い奥さんがいる。体がでかくて、無愛想で、乱暴だ。ある時、島さんが会社の同僚を3人連れて帰る。奥さんは挨拶もしない。そして客を残して風呂屋に行ってしまう。同僚の一人が我慢ならず、なんだあの女はと怒り出す。島さんは済まないと謝るが、同僚は君を責めているのではない、あくまであの女が悪いと訴える。すると、今度は島さんが怒り出す。同僚につかみかかり、僕のワイフが君に何をしたというのか、何もしていないのに叩きだせとはなにごとか、知らないだろうが、ワイフは水を飲んで空腹をしのぎ貧乏に耐えてくれたのだ、とたたみかける。ここは、もっとも印象的なシーンの一つである。

 芸達者な役者がそろっているが、一人名前を上げるとすれば、田中邦衛だ。チンピラまがいの兄さんの役はうってつけであり、酔っ払ったところの演技は、これ以上のものは望むべくもない最高のものである。

 (この映画を見て、私は男の愚かしさと女の強さ・偉大さを見てとった。男とはなんと気ままで、小心で、愚かであるか。)

 

2011年8月11日 (木)

偏見を打ち砕くもの

 へんけん【偏見】 大辞林より

  •  かたよった見方・考え方。ある集団や個人に対して、客観的な根拠なしにいだかれる非好意的な先入観や判断。「―を持つ」「人種的―」

     会社の後輩たちと話をしているときに、偏見についての話題が出て、その例として「胸の大きな女性は頭が悪い」という見方を上げた。これは青年が集まって女性について語る時にしばしば口にされる説である。

     これはおそらく偏見であろう。正しいというのなら、そのことを証明しなければならない。そのためには、まず胸の大きさは何をもって測るのか。体積か、重量か、絶対的な大きさか、相対的な大きさか(体の大きな女性は自ずと胸も大きくなる傾向にあるのだから)。次に頭の良さ悪さをいかに定義するのかという問題がある。
     そして、この二つの要素の関係の問題である。追究の仕方としては、一つは医学的な究明がありうる。乳房の発達と脳の発達との関係を医学的に説明できるのかどうか。一方では、統計学的な究明もありうる。何百人かの女性を検体に選び、「胸の大きさ」とIQとを記録する。この二つに強い相関があるのかどうか見るのである。

     このような追究を行えば、先ほどの説が真か否かが検証される。確かな根拠を持った言説でなければ信用はできない。ただし、上記のような、大した意味がないのに金と時間のかかる検証を行う奇特な人物も組織もあるまい。個人的な興味に基づいて確かめようと思うならば、何十人という女性とつき合わなければならない。それぐらいやれば、一定の確かさをもった結論に至るであろう。経験の豊かさは、賢明な結論を導き出す大きな要素に違いない。

     人間の行動は、根拠ある認識に導かれる必要がある。「胸の大きな女性は頭が悪い」という説は明らかに偏見であろうが、そのような偏見が生まれやすくさせている背景はなんなのか。こんなことを考えさせるのは若い男の嗜好にあるように思われる。青年は、他の条件が同一だとすれば、より胸の大きな女性を求める。女性についてその心理的特性を理解しないうちは、ただ外見に触発されるのである(これも野蛮な偏見か)。では、胸の大きな女性について話題が湧きあがるのは分かるとして、それが頭が悪いという見かたに通じてしまう原因は?これも青年特有の劣等感ではないだろうか。女性を知らぬことへの負い目である。頭のよい女と対等につきあう自信がないのである。だから、頭の悪い女性を求めたがる。

     事実の追究、冷静な観察、合理的な判断。こういったものが、総じて正しい行動を生みだす。しかしながら、実際には、こういったものとは関係なく人間の行動は行われる。冷静な観察に基づけば、男と女はかくも安易にくっついたり離れたりしないであろう。種の保存のために一定の量の男女の接触が必要ならば、青年の暴走もまたそれを支える必須の条件と言える。
     とはいえ、社会的な問題を考えると、そんな冗談じみた現象だけを取り上げている場合ではない。偏見をうまく利用したデマゴーグの暗躍は阻止したい。言葉のトリックを見破るだけの知力を、現代人は身につけねばならないと私は思う。

  • 2011年8月10日 (水)

    人への対し方 尊重し合えるか

     Aさんという社員がいる。私よりもベテランであるが、私の部下である。社屋の管理、その他庶務的な仕事をやってもらっている。

     会社には、工場や営業所から、また仕入先や販売先から荷物が届く。宛先の部署はさまざまである。同じ工場からの荷物でも行先は複数に分かれる。Aさんは、到着した時、一階に留め置くことが明確な荷物以外は、各部署が集まって仕事をしている二階フロアまで荷物を持って上げていた。ところが、折角持って上げた荷物も、こんな嵩張る物を持ってこられても困るからまた一階に下ろしてくれと言う社員がいる。Aさんにしてみたら、汗をかきかき働いている甲斐がない。Aさんはいつもぼやきながら仕事をしている。

     到着した荷物の扱いについては、現状を分析して、効率的な仕組みを考えれば改善はできるだろう。それはそれで指導するとして、人の扱いについてはどうだろうか。
     「庶務の仕事だから運ぶのが当たり前でしょう。」「管理職に上がれなかったからそんな仕事をしているんでしょう。」「それなりに給料をもらっているんだから辛抱してやりなさいよ。」こんな気持ちで接しているのではないか。それがAさんに伝わるから、面白くないのだろう。

     そんなAさんでも、ある部署の荷物だけは文句を言わずに運んでいる。それは、その部署の課長に相談されて特別に荷物置き場などを設けて協力しているからだ。頼りにされ、感謝されれば納得してやる。これは当たり前のことなのだが、日々の仕事の中で気づかいができていない。実は、こんなことで士気を落としてしまっているのである。

     経営の立場からみてももったいない話であるし、それを切り離して、組織における人と人との関係の在り方から考えても、放っておいて済む話ではない。

    2011年8月 9日 (火)

    お台場デモ(?)について

    お台場でデモ騒ぎがあったそうである。フジテレビが韓国のタレントを使いすぎるというのが騒いだ人たちの主張らしい。確かに、現象としては他局に比べて韓流タレントの露出は著しく多い。その点では私も違和感を覚えている。NHKが韓国のドラマを放映するのは、隣国の文化を紹介するという趣旨に解せば肯定できるが、歌のグループが何組も出て、韓国語やたどたどしい(なかには上手な子もいるが)日本語でしゃべり、また、歌だけではなく日本の観光地を旅させたりする。

     子供が見ているので、横から眺めているとその程度の情報を得る。そして何となく変に思う。子供たちも、出すぎだねと言っている。確かに、歌や踊りはよく訓練されて相当高い水準にある。しかし、それだけでは間が持たないからトークにも参加させるのである。聞くところによれば、日本向けに強烈にセールスしているらしい。これはあくまで商売なのである。フジもこれで他局と差別化し、視聴率を稼ごうという戦術である。あとは、それが成功するか否かの問題だ。嫌なら見ないことがフジへの最高のアピールである。

     文化は資本に乗ってくると言われる。これもその例に漏れない。日本で受けなければ、早晩衰退するであろう。台湾では未だに日本のタレントが人気で、若い人たちの憧れである。程度の問題から考えればこちらの方が深刻だが、台湾では文句は言わないだろう。これは国家間、民族間の複雑な関係に起因するものである。

     参加者のなかに、「在日は朝鮮半島へ帰れ。」という声があったという。これは、全くピントの外れた主張である。

    2011年8月 8日 (月)

    大岡昇平「俘虜記」読書感想その4

     5 敗戦後の軍幹部の言動について

     俘虜収容所にあっても、敗戦後の日本の様子は「タイム」に記事や「ライフ」の写真で把握できたという。

     東条英機の自殺未遂に俘虜たちは大いに笑ったとある。最初から死ぬ気などなかったと理解されたのである。軍人であれば銃の使い方はプロなわけだし、どこを打てば死ねるか熟知しているはずである。

     「マライの虎」と言われた山下奉文元大将が、比島で行われた日本兵の残虐行為について自分は知らないと法廷でいったことは俘虜たちを大いに憤慨させた。「どうせ逃れられないんなら、大将は大将らしく、部下の罪は自分の罪だといってもよさそうなもんだ」というのが彼らの気持ちだったのである。山下元大将は最後まで敗兵のホープだったらしいが、この一句が英雄を転落させたと大岡氏は書いている。

     6 最後に

     俘虜たちは、日本に帰れば肉親を戦死させた多くの遺族に会わねばならず、どんな面下げて帰って来たのかと誹りを受けるだろうと予想していた。しかし、実際に帰還してみると、よくぞ生きて帰ったと皆喜んでくれたというのだ。

     大岡氏が考えていたほど、日本の大衆の心は狭隘ではなかったのである。

    2011年8月 7日 (日)

    大岡昇平「俘虜記」読書感想その3

     3 専制への慣れについて

     軍隊およびそれを生んだ日本の社会は、個の人権を尊重しないのだが、個の方でもそのことに慣れてしまい、変えようとはしない。

     俘虜収容所において米軍は、俘虜に組織を作らせ、そのてっぺんに元上等兵である今本という軍人を置いた。彼はその立場を利用して専制を敷いたが、それができた理由の一つとして、誰かがその地位に就かざるをえない以上誰がなっても構うものかという俘虜の怠惰があったと書いている。

     俘虜収容所内では、米軍によって清潔が重んじられたという。今では日本人の衛生意識も高まって欧米に近づいたが、当時の日本人の習慣は米軍の目に余ったらしい。そこで賞を設けて清潔整頓を各中隊に競わせた。しかし俘虜は全く踊らなかったらしい。それでも監督の米兵が見ている前でだけは吸殻を捨てなかったらしい。逆に、米兵が去ったら悪気もなく捨てたという。何事も強制されないと動かないのは、長年にわたる専制と隷従の結果であると大岡氏は書いている。

     4 従軍看護婦について

     従軍看護婦についての記載がある。
    「彼はセブの山中で初めて女を知っていた。部隊と行動を共にした従軍慰安婦が、兵隊を慰安した。一人の将校に独占されていた婦長が、進んでいい出したのだそうである。彼女達は職業的慰安婦ほどひどい条件ではないが、一日に一人ずつ兵を相手にすることを強制された。山中の士気の維持が口実であった。応じなければ食料が与えられないのである。」

     これがどこまで広範に行われていた事実か分からない。また大岡氏の書き方にも曖昧さがある。自分で見たことと伝聞によるものとがあるのだろう。とはいえ、ここに記載された事実あるいはそれに近い事実はあったに違いない。
     これまでにも書いたように、背景には、日本および日本軍における人権意識の薄さもあるし、戦争という異常な状況もある。こういうことが起こるのが戦争であり、だからこそ戦争を起こしてはならないのだという理屈もありうるし、よく耳にする主張だ。ただし、そう帰着させてしまうと、現場にいた人の法的、同義的責任が問われなくなる。また、文学における取り上げ方も違ってくるだろう。

    2011年8月 6日 (土)

    大岡昇平「俘虜記」読書感想その2

     2 小市民的エゴイズムについて

     フィリピンにおける戦闘で部隊の中心となったのは、農民出身の若い現役兵だったという。補充兵には中年の俸給生活者(サラリーマン)が多かった。大岡氏もその仲間であった。

     大岡氏は若い現役兵が好きだったという。こう書いている。「・・・現役の若い兵隊は、むろん甚だ無知であったが、国民の生活に義務というものが存在し、それに今自分自身が機械のように従っているということを自覚していた。従って彼らは多く朗らかで屈託がなく、兵無に関しない限り鷹揚であった。」
     要するに、彼らには規律というものがあると同時に、こまかな損得にこだわらない大らかさがあったと言うのである。これに対し、俸給生活者で多くを占められる補充性には厳しい。こうである。「・・・そして前線にあって彼らはただ日常的狡智を働かせて、この災厄を『日常的』に切り抜けることしか考えていなかった。国家の暴力が衝突する戦場にあってこれほど無意味なことはない。」
     目先の問題をうまく切り抜けることだけに知恵が働き、ものごとを根本的に深く考えないし、対処しない。戦場に来る前も、自分たちの日常生活を何が支えているのか、それを守るために自分たちが何を求められているのか考えてこなかったのだと言う。

     むろん、大岡氏も中年の俸給生活者であったから、同じ誹りを免れえない。たまたま彼が類稀なるインテリジェンスを持ち合わせていたので、この問題を相対化し、認識しえたのである。
     俸給生活者の私としてはあまりいい気分はしない。「使用人根性」とい言葉もあり、そこに差別観を感じる。

    2011年8月 5日 (金)

    大岡昇平「俘虜記」読書感想その1

      この作品は1952年に刊行された。今から59年前である。振り返れば反戦からすでに66年も経過した。もうすぐ終戦の詔勅(玉音放送)を聞いた8月15日がやってくる。
     この作品は主に、「私」が米軍の俘虜になった1945年1月25日から始まっている。捕まるまでの行動についても冒頭に書かれているが、俘虜収容所における経験が大半を占めている。

     この作品は、俘虜収容所における人間観察記である。ここには大岡昇平のさまざまな見方、考え方が示されている。俘虜である日本兵への見方を中心にしながらも、戦争観や国家観も含まれている。これらに対しては、判断のつかないことがらもあるし、賛成できない見方もある。また鋭い観察眼に感心することもある。私の感想もさまざまであるが、全体としての感想は、大岡氏がインテリであることが、彼独特の見方を生んでいるということである。

     さて、これから作品の内容に触れていくが、まとまった文章を書く時間も構想もないので、断片的な取り上げ方にする。それを材料にして機会を作り、後日まとめたいと思う。

      1 アメリカ軍の俘虜への対応について

     大岡氏は、俘虜が収容所の中で堕落したと書いている。そのもっとも大きな要因はOver-paid(支払われすぎ)である。アメリカ軍は捕虜に関する国際協定に基づき、日本兵に対し、自国の兵士と同等に処した。これは人権の思想、赤十字の精神に基づくものだと書いている。収容所では2700Kcalの食事が与えられ、さほど厳しい労役を課せられなかった彼らは次第に太り始める。本国では多くの国民が飢えを耐え忍んでいた時期にである。タバコや石鹸などの配給もあり、それを元に博打を始めるものまでいたという。このような過剰が俘虜を堕落させたのである。

     私が思うに、これは人権意識の問題だけではないだろう。(もちろんそれも大きいのだが)アメリカにはそれだけ豊富な物資があった。本国の国民を食わせてなお余りある物があったのである。逆に日本には物資が乏しすぎた。だからこそ戦争に向かわざるを得なかったというのが軍部の論理だろうが、結果は一層の困窮困苦を国民に強いたのである。 

     追記:「赤十字の精神」について大岡氏は言っている。
      「あらゆる慈善事業と同じく、原因を除かずして結果を改めるという矛盾をもっている。」

    2011年8月 4日 (木)

    貯金の使い方

     わたし個人のことを言うと、借金はたくさんあるが、貯金はほぼ皆無に近い。ごくたまにではあるが、職場に電話で、先物をやりませんかとかマンションに投資しませんかと勧誘があるが、そんな金は現実にないのだと断っている。もっとも、金があってもそのようなものに使わないのが主義であるが。

     おそらく貯金ができるとすれば、退職金をもらった時だ。勤め人のありがたいのはこの退職金があることである。ただし、企業によってその額に差があり、当然大企業になるほど厚く出るようになっている。私の勤め先は中堅企業だが、同じ規模の企業の中では比較的出している方である。とはいえ、それは現役時代であれば数年で底をついてしまう額であり、今後あまり期待できない年金を合わせて考えても不安が生じるだろう。別途、老後の設計をしっかりして、蓄えを準備している人は安泰だろうが、そういう人は国民の一部にすぎない。私の母を考えてみても、父の遺産はほとんどなく、それでも父の働きによって残された年金の給付があるので辛うじて食べていける状態だ。老いてなお冠婚葬祭(主に葬式だが)の出費があり、老いればこそ医療費に金がかかる。自ずとその他の出費には制限が加わる。これに家賃でも加わればおよそ生活など成り立たなくなる。都会にはそういう老人が多数暮らしている。

     貯金は大事に使わねばならない。ただ消費しているだけでは減る一方であり、明日がない。これは個々人が考えるべきことである。
     新聞や雑誌などによると個人の金融資産は1500兆円近くあるそうだ。だから巨額の財政赤字があっても破綻することがないという理屈が持ち出される。国家の論理としては、それはありうるのかもしれない。しかし個人にとってみたら、いざとなったら自分の財産を奪われるということである。国の危機にあたって、個人がその財産を差し出すことを全く否定はしないし、私には私の考え方もあるが、そのような政策は合意によって進めるべきものであり、個人の財産も国庫も同じように扱うのは問題である。

     それにしても、個々人はじぶんの財産・貯金をどう使うのか、無駄にならない使い方はないのか、社会が潤うような使い道がないのか、考え始めてもいいのではないだろうか。 

    2011年8月 3日 (水)

    映画「霧の旗」(65年山田洋次)寸評

     松本清張の作品はたびたび映画化される。また、テレビドラマの原作としても繰り返し使われている。それだけ作品の量においても質においても高水準であり、一時代を築いたが故の現象であろう。ただし、それが映画化、ドラマ化された場合のできの良しあしは脚本のできにかかっているし、また監督や演出家の腕次第であると言えるだろう。加えて、キャスティングの問題もある。うまく役にはまる俳優がいるかどうか。年配者の役であれば、安定した演技の期待できるベテランがいるが、若者であれば経験の少ない役者を使うことになる。だから、どうしても当たり外れがある。当たれば、作品の価値を大いに高めるとともに、その役者の出世作となりうるのである。

     ところで、今週は蔦屋で「霧の旗」を借りて観た。山田洋次唯一のサスペンスという説明がついて回る作品である。私はいわゆる映画通ではないので、相対的な評価はできないのだが、とりあえず観たままの感想を言えば、5点満点で4点は付けられる作品だと思う。素人なりの基準でいえば、①飽きさせない(展開の面白さ) ②印象的な場面がいくつかある ③ベースとして役者のしっかりした演技がある ④音の効果など観ていて意外に気がつかない部分の技術がしっかりしている ⑤その他細部にわたってこだわって作っている 以上の点から評価することになるが、まずは観ていて飽きないことだろう。

     主演の滝沢修と倍賞千恵子がいい。滝沢は大塚弁護士役だが、その重厚さからいって、失うものをたくさん持った地位のある人間を演ずるに適している。大塚弁護士に復讐する桐子役の倍賞は、貧乏人の娘にふさわしく、かつ意志の強さを出せる人である。バーで大塚と会うたびに「女」の部分を出していくのだが、酒場の女としてはあまりにスキがなく、それが桐子という女性の像を鮮明にしている。大塚を騙すにはそれでも十分だったと解釈すればよいのだろう。あまりに色っぽく崩れてしまっては桐子らしくはない。もっとも、そのことは倍賞の演技として評価すればよいのだが、崩れた女を演じろと言っても、彼女には難しいに違いない。見る側も、そんな倍賞を求めてはいなかったのだから。

     話は外れるけれども、松本清張は「悪い人間」を書く能力が抜群に高かったと思う。推理小説を書くことから求められた要件ではあったろうが、よくもあそこまで書けるものである。ただし、それは人間の本性としてのみならず、社会が作り出しているという観点を重視している。

    2011年8月 2日 (火)

    自ら規制する「市場」

     タクシーの運転手は楽じゃないらしい。長期のデフレ経済に大地震の影響が加わって、売上が著しく減少して惨憺たる状況らしい。

     短い距離だけれども、ときどきタクシーに乗車する。けっこう話好きの運転手さんがいて、いろいろ身の上話なども聞かされる。49年やっていて大阪の街の移り変わりを見てきた運転手さん。この仕事の前に、三洋電機の下請け工場を経営していて苦労したと語る運転手さん。運賃が下がり、長い距離を走っても戻ってくるときに高速料金を払うとなんぼも残らへんと嘆く運転手さん。休みが増えると売り上げが減る、サラリーマンと違って日当商売ですからなどとぼやく運転手さん。いい話は、とんと聞かない。

     先日聞いたのはこんな話。タクシーの仕事は最近やりにくくなった。好きなところで、好きな時に客をつかまえることができないというのだ。具体的に言うと、大手のホテルでは客待ちするタクシー会社を指定するらしい。そうすると自ずと大手の会社に仕事が行ってしまう。小さな会社や個人タクシーははじき出される。

     規制緩和の流れの中で、タクシー事業を興すことは簡単になった。行政の流れは今も変わらないと思うが、反面、市場の中で規制が行われるようになっている。
     市場にはルールが必要であり、一定の規制も必要である。なにかルールのあることが市場の動きを阻害しているように言われるけれども、制度から商習慣まで含めてルールがあればこそ動いているのが市場である。打破すべきは、先ほどのホテルのように特定業者の締め出しである。行政がそれをやったら批判は免れないが、民間では問題ないのか。
     ユーザーは乗客であり、ホテルではない。料金の安いタクシーを、ユーザーの利益のために引き入れるというなら筋も通ろうが、そうでなければユーザー不在でホテルの都合ということになる。他のタクシーに乗りたければ、路上で拾えというのだろうか。もっとも、車を選んで乗る客もあまりいないだろうが。

     グローバル化の動きは、力の弱い者にとっては脅威である。自立は早く諦めて、力の強いものに安い賃金で雇用されなさいというメッセージを勢いよく送り込んでくる。

    2011年8月 1日 (月)

    節電から社会のあり方を考えよう

     地球温暖化を食い止めるために、二酸化炭素の排出量を削減する運動が続けられてきた。その一つとして使用電力量の削減がある。企業ではそれは同時に経費削減の取り組みであり、総使用量を減らすとともに、デマンド値を下げることに注力している。それは料金の体系がその二つの数字を元に組み立てられているからである。

     原発事故以降重大な問題になっているのは、電気需要のピーク時に供給量が不足することである。逆に言えば、ピーク時を外れた時間帯で節電をしても今発生している緊急の問題には役立たない。ピークを過ぎた午後7時以降に店舗の灯りを落としたり、街灯を間引きしても効果がないばかりか治安を悪化させる恐れもある。これまでの、一般的に節電しましょうという活動とは性格が違う問題なのだが、従来通りの考えだと先ほどの合理的でない対策が出てきてしまう。

     原発をどう扱うかという根本的な問題があり、こういう状態がいつまで続くのか分からないが、供給電力の大幅な引き上げが困難であり、また環境問題も合わせて考えるとそうすべきなのだと考えると、生活の仕方や仕事の仕方を変えなければならなくなる。

     常時節電に努めるとともに、ピーク時の電力を抑制しなければならない。電力の使用を平準化できれば(時間帯、曜日、季節・・・。さすがに季節変動をなくすのは難しだろうが。)発電能力は小さくて済むし、発電所の数を減らすことができる。。これが電力会社を利するのか、その逆なのか、制度の作り方によるのだろうが、これは企業の問題ではなく、社会の問題であり、社会の哲学にかかわる問題である。だから、企業の収益を超えた問題になってしまった。

     しかし、国、自治体、企業、地域住民が協力して仕事の仕方や生活の仕方を考えないと大がかりな変革はできない。一人ひとりの地道な努力が大事とは言え、広く足並みをそろえないとこの問題は打開できない。

     参考文献:村井哲之氏の「節電の達人」

      村井さんには会社で二度講演をしていただいた。

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