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2011年7月30日 (土)

橋下徹知事について

 大阪府知事の橋下徹は、大学の後輩にあたるが、好きにはなれない。すべてではないがその政策内容に賛成できないことに加え、あの極端に強引なやり方が理由である。しかし、多くの大阪府民には人気がある。支持されているというよりは、人気があるという言い方の方が適切なのだと思う。こう言っては失礼かもしれないが、横山ノックを指示した層と橋下を指示している層はかなりの部分重なるのではないか。

 横山ノックがあの事件を起こした時に、彼を選んだ府民にも罪があるという発言にかみついた女性の学者がいたが、大衆には罪がない、あるいは大衆は馬鹿ではないという主張は正しいであろうか。私は、大衆は馬鹿だとは思わない。しかし、馬鹿ではないと言い切る気もない。大衆は常に馬鹿になりうる危険性を持っている。橋下および維新の会は、大衆を馬鹿にする術に長けている。橋下の描く地域社会が実現したならば、彼の支持者の多くは没落するであろう。

 彼の欲するものは何であろうか。府知事と大阪市長のダブル選挙を画策しているが、もう一人の候補選びはまだ終わっていない。彼は、その候補者は中曽根康弘か小泉純一郎のような偉い人物でなければならないと言ったらしい。ということは、自分自身を中曽根や小泉並みの政治家だと認識していることにならないだろうか。
 彼にとっては派手に立ち回ることが、即目的なのではなかろうか。これまでの言動を見ているとそう思えてくる。マスコミを巧みに使い、大衆を煽動し、政敵をかく乱する。そうすることが彼にこの上ない充実感をもたらしているように思う。

 
 議会の定数を大幅に減らすと言っている。東京都と単位人口当たりの議員数を同じにするという理屈である。これはそんな単純な問題ではない。地域の特性もあろうし、少ない議員では意見の多様性を汲み取ることができない。総報酬額を減らしたいのであれば、議員一人当たりの報酬をさらに減らすことを優先すべきである。議員は己の欲を捨て、住民のために仕事をすべきであり、それに橋下も反対はしないであろう。

 反原発を打ち出したが、これは彼の未来社会像に元々あったものなのか。大前研一が事故直後に、これから30年は原発はだめでしょうねと語ったように、事態を敏感に感じ取って、大衆の原発に対する嫌悪感に乗っただけなのではないか。少なくとも、若い時から反原発のポリシーを持っていたとは思えない。したがって、ダブル選挙が終わったあとには、関電や関西財界の圧力のもとに主張をトーンダウンさせていくことが目に見えるようである。

 対立を演出して、流れを自陣営に引き込むのは小泉の手法であった。そのやり口に惑わされて、政策の中身を見失ってはならない。

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